雑食風読書ノート(その8)



東山紘久. (2000). プロカウンセラーの聞く技術. 創元社.

「[年功序列では]年齢による順序、つまり長幼の序によって成員の順位が決まりますが、不思議なことにこうなると、順序が上の人が話すようになりがちです。ですから、上司(年齢の上のもの)は話すばかりで聞くのが下手になります。能力で選ばれたリーダーでないだけに、聞くのが下手な上司には、部下が心からついていくことができなくなります。人間は聞くことによって相手を知るので、聞けないと相手の考えていることや情報がわからず、こちらの判断だけでものごとを決めていきますので、部下はわかってもらった感じがもてないからです。人の話をよく聞く人が人格者ということになります。」(pp. 106-107)

「相手の話をよく聞こう、理解しようとする人は、正しいことにのみ目を向けるのではなく、人間の弱い部分、影の部分に対しても理解があるのです。いわゆる評論家や正しいことをばかりを言う識者とは違い、相手の悪の部分や弱い部分、影の部分も認められるということなのです。人の深い部分に触れるということは、どうしても影の部分に触れることになるのです。」(p. 139)

・・・相手の話を聞くことの大切さと難しさ、そして少しでもそうした聞き手に近づくために心がけるべき点をわかりやすく示してくれる一冊。


保阪正康. (2005). あの戦争は何だったのか:大人のための歴史教科書. 新潮社.

「本当に真面目に平和ということを考えるならば、戦争を知らなければ決して語れないだろう。だが、戦争の内実を知ろうとしなかった。日本のという国は、あれだけの戦争を体験しながら、戦争を知ることに不勉強で、不熱心。日本社会全体が、戦争という歴史を忘却していくことがひとつの進歩のように思い込んでいるような気さえする。国民的な性格の弱さ、狡さと言い換えてもいいかもしれない。日本人は戦争を知ることから逃げてきたのだ。[中略]現在の大衆化した社会の中で、正確な歴史を検証しようと試みるのは難しいことかもしれない。歴史を歴史として提示しようとすればするほど、必ず『侵略の歴史を前提にしろ』とか『自虐史観で語るな』などといった声が湧き上がる。しかし戦争というのは、善いとか悪いとか単純に二元論だけで済まされる代物ではない。あの戦争にはどういう意味があったのか、何のために三一〇万人にも日本人が死んだのか、きちんと見据えなければならない。」(pp. 7-9)

「太平洋戦争を正邪で見るのではなく、この戦争のプロセスにひそんでいるこの国の体質を問い、私たちの社会観、人生観の不透明な部分に切り込んでみようというのが本書を著した理由である。あの戦争のなかに、私たちの国に欠けているものの何かがそのまま凝縮されている。そのことを見つめてみたいと私は思っているのだ。その何かは戦争というプロジェクトだけではなく、戦後社会にあっても見られるだけでなく、今なお現実の姿として指摘できるのではないか。/戦略、つまり思想や理念といった土台はあまり考えずに、戦術のみにひたすら走っていく。対症療法にこだわり、ほころびにつぎをあてるだけの対応策に入りこんでいく。現実を冷静にみないで、願望や期待をすぐに事実に置きかえてしまう。太平洋戦争は今なお私たちにとって、"良き反面教師"なのである。」(pp. 240-241)

・・・戦争を不勉強であったことを反省させられる一冊。日頃起こっていることが太平洋戦争で起こったこととどこか似ていると漠然と思っていただけに、後者の引用には首肯してしまう。


高間邦男. (2005). 学習する組織:現場に変化のタネをまく. 光文社.

「この組織的学習性とは、組織が自律的に環境変化に適応して、新しい価値観や世界観、思考方法、知識、技術、行動を獲得する力を持つことである。内外の環境の様々な問題に対応するために、企業内外の状況を構成する諸要素の複雑な相互作用を把握する力を養い、組織メンバーのコミットメントと創造性を高め、チームや組織として個々人の力を結集するスキルを持つことが、成功への条件なのだ。[中略]そこで問題になるのは、組織の学習性が高まるように、自社の状況に合わせていかにメンバーの意識や主体性を高めていくかである。『人と人とが相互作用の中で、よりよい未来を生み出す場』を作る。それこそが組織変革の終わりなきゴールかもしれない。」(pp. 13-14)

「遊びの感覚で自由に主体的に仕事に取り組めたらどうだろう。仕事をしていても疲れにくく、楽しく一所懸命にできるに違いない。[中略]そうなれるかは、前述したように、主体的意思によってゴールや目標を決めたかどうかである。[中略]メンバーが主体的に動かない、熱意がないと嘆く前に、この目標設定のやり方を変える必要がある。この話は、経営学者や心理学者が四〇年以上も前から言っていることなので、別に新しくも珍しくもない。しかし、実際の組織では、これとは逆の迷信に支配されている。賞罰を思い切って行うと、人はますますやる気になるというのだ。[中略]主体的に目標を設定したあと、メンバーが仮説・検証を試み、そこで成功したことが組織に水平展開されていく。そのあとで仕組みや制度が作られていくのが望ましい。」(pp. 137-139)

・・・プロセスも評価する共生体型の組織(p. 99)が今後重視されることを、私などは希望したい。そのためにも、著者が重要とする「組織の通貫性」が大切にされなければなるまい。


西平 直. (2005). 教育人間学のために. 東京大学出版会.

「さて、そうすると、フィリピンの暮らしを生きた相手として見るには、ただ行って見てくれば良いというわけではない。むしろ『観察の道具』としての私たちが、どれほど相手に対して開いているか。防衛的な固さを解きほぐし、傷つきやすいまで(ヴァルネラブルに)やわらかく相手と自分に対して開いているか。どれだけ、相手と共感し合い、響き合う準備ができているか。それが、本当に<見る>ことができるかどうかの分岐点であると思うのです。[中略]見る・知る・わかる・共感する。それを通して、相手を生き生きとさせながら、自分も生き生きする。そうした相乗的な関係を可能にするのは、どんな『からだ』なのか、どんなセンスなのか。」(pp. 196-199)

「教育という人の手によって、心の深い切なさが癒されるはずはない。教育によってすべてが良くなるなどという発想(幻想)は、私には始めから、なかった。では教育など無力か。それが私にとっての問いであった。/本当に教育は何の役にも立たないか。どんなに努力しても同じことなのか。私は始めからそのような問いの立て方をしていたのだと思う。その意味では、教育は私にとって、始めから『にもかかわらず』なされる営みである。限界は見えている、にもかかわらず、関わる。/教育の限界を知ることは、しかし、教育の放棄とは違う。限界を知りつつ、にもかかわらず、引き受ける。ギリギリのところで、でも、もう一度、やり直していく。諦念を底に秘めた再挑戦。その動き出しの瞬間に、私は期待しているのだと思う。」(p. 244)

・・・教育、あるいは人と人との関わりについて真摯に問いかける姿に触れることができる。


山田昌弘. (2004). 希望格差社会:「負け組」の絶望感が日本を引き裂く. 筑摩書房.

「リスクが普遍化する以前は、そこそこの能力をもつものであれば、リスクを避ける選択肢が用意されていたし、発生したリスクから守ってくれる集団が存在した。しかし、今では、リスクを避けるのも、リスクに対処するのも、個人の能力次第ということになる。/リスク化と二極化は、相乗効果を及ぼしながら、『社会的弱者』を作り出していく。そして、リスク化し二極化している現代社会の弱者は、連帯という道も、集合的な反抗という道も閉ざされている。リスク化と二極化が不可避であるならば、この社会的弱者への社会的対応が必要になってくるのは、それゆえである。」(pp. 69-70)

「ある職業に就きたければ、その職業に就くための学校に入る必要があるということは、ある職業に就きたくても、その職に就くことが見込める学校に『合格』できなければ、あきらめざるをえないということである。学校システムの効用は、実はここにあるのだ。青少年は、学校システム、そして、受験の中で、過大な希望を『あきらめ』させられ、結果的に自分の能力に見合った職業に就くよう振り分けられる。」(p. 87)

・・・教育の「自己目的化」を否定する氏の立場も忘れてはならないだろう。


藤原正彦, 小川洋子. (2005). 世にも美しい数学入門. 筑摩書房.

「なんで、日本人が数学的にすごいかといいますと、美的感覚がすぐれているからなんです。二十数年前に亡くなられた、天才数学者の岡潔(おかきよし)先生は、日本に俳句があるからだとおっしゃる。大自然をたった五七五でビシッと表現しつくすと。子供のことから、そういう五七五に慣れていて、十七文字からまわり全体、地球全体、宇宙全体を想像するようになっている。たとえば、『荒海や佐渡に横たふ天河』とかね。目の前の荒海を見て、向こうの佐渡を見て、そして天の川という宇宙までいっちゃうというようなイマジネーションを、子供のころから鍛えていると。岡先生は、このイマジネーションは数学における創造のオリジナリティーと同じだとおっしゃるんですね。」(pp. 27-28)

「数について何かを発見するためには、数を転がして、ころころと手のひらで弄ぶことが一番重要なんです。足したり、引いたり、ひっくりかえしたり、想像したりね。そうすると、もしかしたらこうかなという、ちょっとしたきっかけが見つかり、そこから大胆にいろいろ実験してみて、本当そうだったらいよいよ証明にかかる。証明になったらたいていの場合、もう赤子の手をひねるようなものです。そこまで、いろいろ弄ぶんですね。弄ぶというのは、独創に非常に良い影響をあたえます。たとえば美しい文章を読んで理解していても、その人の宝石にならない。暗唱したり、思い出して口ずさんだり、言葉を弄ぶというのが重要だと思いますね。だから、図形で発見したければ図形を弄ぶことです。ああでもないこうでもないと、いろいろ図形を描いて考えながら遊ぶことですね。」(pp. 71-72)

・・・計算を"数との戯れ"と考えられないかと以前から思っていたので、数を弄ぶという藤原先生の表現に目がとまりました。


猪木武徳. (2004). 文芸にあらわれた日本の近代:社会科学と文学のあいだ. 有斐閣.

「しかし、このような自然科学的モデル分析の有用性が限られており、現実の『理解』に不十分であるからには、別の手法(知的領域あるいは思考方法)でわれわれの『理解』を補う必要がある。たとえば、その時代の政治体制と人々の生活、とくに経済生活がどのような時間と空間の感覚で営まれていたのか、家族や職場、友人や近隣と人間関係といった最も具体的な人々の生活はどのようなものだったのかを知るためには、人間の生活そのものを雲や石ころのような外在的実体として捉えるモデル分析は非力なのだ。ある行動の動機はどんなものであったか、どのような恐怖と希望を人々は抱いていたのか、彼らの愛と野心と憎悪の対象は何であったのか、何を崇高なものとして賛美し追い求めたのか。こうした内的生活を理解することなしには、社会生活全体の把握はおぼつかなくなる。『あるがまま』を外から捉える知識も大切だが、何故そうあるのかを語ることのできる知識とストーリーの方がさらに大切なこともある。」(pp. 8-9)

・・・「サザエさん」にも昭和の生活史が見えますね。


苅谷剛彦. (1998). 学校って何だろう. 講談社.

「ところが、私たちが本当に解決しなければならない問題のほとんどは、中学校の数学のテストの答えとは違って、いつでもどこかにたった一つの正しい答えがあるというわけではないのです。[中略]正解探しのかわりに、どんなふうに学校について考えていけばいいのか、どのように問題を立てればいいのか、そういう疑問や発想のしかたを大切にすること、そこから自分なりに学校について考えを深めていくことで、あなたなりの答えにたどり着けるはずです。」(p. 3)

「つまり、日本人の120人に一人は学校の先生ということになります。[中略]全体としてみれば、普通の人がついている、普通の職業だと考えた方がよいのだと思います。単純に数の上から考えてみても、先生に何ができるのか、その限度がわかるでしょう。『あれも、これも』と学校に要求しても、十分期待にこたえられない。それは先生のせいでも学校のせいでもない。むしろ、そういう期待自体にいきすぎがあるのではないでしょうか。/まじめな先生ほど、社会からまかされた大きな責任が重荷となって、疲れてしまう。疲れた教師たちにのしかかっているのは、社会からの大きすぎる期待や要求の重さです。120人に一人の割合で日本人にできること。そう考えてみると、先生の仕事も違って見えてくるでしょう。」(pp. 149-150)

・・・社会における学校の役割についての共通理解をはかり、その役割にとって必要なシステムを整備するということが大切なのではないだろうか。


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