学級集団に社会数学的規範が形成されていく過程に関する研究

−多様な考えを生かす授業を事例として−



林 尚之


1.研究の動機と目的
 算数の授業において,自分の考えにこだわりを持ちながらも,友だちの考えを受け入れて自分たちの考えを見直したり,より問題に適した考え方を選んで作り出したりする力が大切である。一つ一つの発言はそれぞれの発言した子どもの考えであるが,学級が社会性を持った学びの集団として見たとき,話し合いでは何かしらのルールがあって一つにまとめられていく。

 学級のルールに従って算数の授業を行うという視点には「社会数学的規範」という概念がある。そこで,社会数学的規範の形成という視点で,どのように算数を意識して話し合いを進めていくと,考えが学級に受け入れられていくのかの知見を示していくことを目的とする。

2.研究の概要
 第1章では,子どもたちが数学的な違いについて議論するときには社会数学的規範が支えとなっていること,数学的な違いの観点として簡単・単純・効率的が挙げられること(McClain &Cobb, 2001)を示した。また,自分の言葉で解決の道筋や理由,方略が語られるところに社会数学的規範が表れている(関口, 2004)ことが示された。実験授業の初期の段階では,効率性・簡潔性と厳密性を大切にする社会数学的規範が見られ,後半では,効率性よりも,厳密性・整合性を大切にする社会数学的規範が見られるようになる(熊谷, 1998)ことが示された。それらを受け,多様な考えの数学的な違いを明らかにし,どのように教室で受け入れられていくのか見ていくことにより,学級にどのような社会数学的規範の形成がされているのかを見ることが出来る可能性を指摘した。  第2章では,調査の概要,対象とした学級の様子及びに多様な考えを生かす授業の概要について述べた。調査は,N県小学校6年生24名に対して,4月6日から6月18日までの期間,全31時間の授業を実施した。多様な考えを生かす授業を普段の授業の中に間隔を空けて入れて,それらの授業での社会数学的規範がどのように形成されていくのかを見ていくこととした。ビデオカメラ2台で子どもの授業の様子を記録し,授業プロトコルを作成し分析した。

 第3章では,社会数学的規範が形成されていく過程について分析と考察を加えた。

 第1節では,学級編成して間もない頃の学級について分析した。式のやり方が全てという社会数学的規範を持っていたこと,発展的な考えに関心を持っていなかったことを明らかにした。

 第2節・第3節では,徐々にその学級なりの算数授業を作り出していった時期の分析を行った。課題の指示と異なる発言をしたことがきっかけとなり,補数的な考え方が学級に浸透していったこと,小さい枠組みできまりを見つけ大きな数の場合に適応していく帰納的な考え方が表れてきたこと,式を単独で用いることを考えていたため有効に使えるまでに至っていなかったが,式と表の考えなどと合わせて考えていく可能性が見えてきたことについて明らかにした。

 第4節では,最後の2つの授業の中で見られた社会数学的規範についての分析をした。式・表・図を構造的に見ていくとよいという社会数学的規範が形成されていること,式の考え方は多様な考えの中の1つの考え方として位置づき,自分の考えを明確に表す道具として用いられるようになってきたことについて明らかにした。

 第5節では,この観察学級で見られた社会数学的規範の形成を総括的に考察した。

 社会的規範は,社会数学的規範の形成に影響を与えている。自分で新しい挑戦をしなかった子どもたちが,友だちの発言に自ら関わっていき,理由を明確にして受け入れることがよいという社会的規範を形成していった。その理由が社会数学的規範の形成で問われてくることを明らかにした。

 補数的な考え方をすることで,本来見るべきものの性質をより詳しく見ることが出来,表や数直線の有効な利用によって数学的な違いを見出すことが出来たことを明らかにした。

 式・表・図を合わせて見ていくことがよいという,多様な考えに見られる構造化についての社会数学的規範は,教師の支援によって学級では既に受け入れられており,次の多様な考えを生かす授業場面で子ども自らがこの考え方を用いていることを明らかにした。

 多様な考えを生かす授業で出てくる帰納的な考え方については,受け入れた考え方を次の場面で率先して用いようとした子どもたちを中心に学級に浸透していったことを明らかにした。

 式のやり方が全てと捉えていた学級が,式では問題の全てを表すことは出来ないことを体験し,式を自分たちの考えを表す道具の一つとして認識するように変容していったことを明らかにした。

 さらに,次の点が明らかになった。

  1. ある程度多くの学級に見られる社会数学的規範と学級独自の社会数学的規範とに分けることが出来る。形成されにくい社会数学的規範については詳しく見ていく必要がある。
  2. 初期の望ましくない形での社会数学的規範は,授業を重ねていくうちにその影響力は弱くなっていくが,より望ましい形に変容して形成されて行く。
  3. 学級に形成されている社会数学的規範と教師が作りたい社会数学的規範とが食い違い,授業が混乱することがある。しかし,子どもの発想を拾い上げ認めていくことによって,教師が作っていきたい社会数学的規範を授業に位置づけていくことが出来る可能性がある。
3.まとめ
 本論文では,学級が発言を受容していく過程から,他の考えとの数学的な違いが明らかになること,受け入れた考え方が次の場面で用いられていること,社会数学的規範は変容しながら学級独自のものになっていくこと,多様な考えをいかす授業に社会数学的規範が有効であることを明らかにすることが出来た。教師は,このような社会数学的規範という視点で授業を捉えていくことにより,子どもたちが自分たちで作る授業の支援をすることが出来ると考えられる。

4.主な参考文献
McClain,K. & Cobb,P. (2001). An Analysis of Development of Sociomathematical Norms in One First-Grade Classroom. Journal for Research in Mathematics Education, 32(3), 236-266.

指導 布川和彦


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