中学校数学における個に応じた働きかけについての研究


−教師の指導と生徒の学習の相互の変容を視点として−


太田 浩一


1.本研究の目的
 「個に応じた指導」を行うための授業形態として登場した少人数指導では,教師と 生徒との関わりが多くなることが,メリットとして挙げられている。一方,この授業 形態では「一人ひとりの反応を分かっている」「一人ひとりがどの程度理解している か分かっている」等,教師と生徒の認識に有意な差があるとする報告がある。

 「個に応じた指導」について,これまでの研究では,1回の授業内容をどのように 工夫していくかに焦点を当てたものが多く見られる。しかし,教師の指導と子どもの 学習の影響関係を究明し,それぞれの適合関係を検討していく必要性(梶田,1986)に ついて考察したものは,ほとんど見られない。

 そこで,本研究では生徒の学習状況に応じて,教師がどのように指導の仕方を変え ていったのか,また,教師の働きかけによって生徒の学習がどのように変容していっ たのか,その要因を探ることを目的とする。

2.本論文の概要
 第1章では,個に応じた指導の背景として,学習者が既習事項を通して自分で問題 解決の手立てを図り,学習する意味が持てること。そのためには加藤(2001)が述べ る,学力,学習時間,学習適性,興味・関心,生活経験といった個人差に目を向ける 必要性があることを示した。  次に,個に応じた指導の実践についての先行研究を 取り上げた。その結果,これらに共通する成果として,学習者が主体的な学習を行う ようになり,問題に取り組む意欲が高まっていることを明らかにした。一方で,教師 が個の学習過程をどのように把握し,対応していくのかが指導上の課題となることを 示した。

 第2章では,個に応じた働きかけの意義について述べた上で,指導事例についての 検討を行った。その結果,学習者は既習事項とのつながりが持てたのか,問題解決の 仕方が適切だったのか,学習する意味を感じ取ることが出来たのかが問題となった。 そこで,「個の学びの過程における理解の捉え方」「指導者が学習者の持つ学習観に 与える影響」「学習者の数学的対象への主体的な関わり」の視点から考察を行い,個 に応じた働きかけを行うのにあたっての方向性を明らかにした。そして第1章に示し た課題である,教師が個の学習過程をどのように把握し,対応していくのかを検討す るためには,長期に渡る授業観察を通して,それぞれの影響関係を究明していく必要 があることを述べた。

 第3章では観察者である筆者が,第2章に挙げた,3つの視点を意識した働きかけ を3か月間に渡って行い,調査・分析した内容を示した。調査にあたっては,宮城県 内の公立中学校3年生1クラスの少人数指導の授業より,ひとりの生徒陽大(仮名)を 対象に観察を行った。また,目的に沿った考察を行うため,観察者は必要に応じて授 業中の働きかけや放課後のインタビューを行った。記録にあたっては2台のVTRを使 用した。1台は授業での教師の説明と黒板の記述の様子,もう1台は陽大のノートへ の記述を中心に撮影した。また,観察ノートを使って毎時間の授業の概要や気がつい たこと,観察者自身の働きかけの反省を記入した。更に,全24回にわたる授業の発話 記録を作成した。その他資料として彼のノートや,単元テストのコピーを収集した。

 観察当初の学習者は黒板の正答を写し,答えが合っているかどうかに重点を置いた 学習を行っていた。観察者は,学習者の考えを聞こうとするものの,学習者の考え方 に沿った働きかけとはなっていなかった。それが観察期間の終盤になると,学習者は 問題の解決に至る手立てを,これまで学習した知識と意味づけることで,既習事項と のつながりが持てるよう,学習の仕方が変容していた。観察者の働きかけは,学習者 の学習状況に応じて指導の手立てを変え,学習過程における考え方を聞く立場へと, 変化していった。

 第4章では第3章に挙げた観察事例をもとに,学習者の学習観の変容を述べ,次に 指導者の指導の変容について考察を行った。

 初めに学習者の学習観の変容として,3章で述べた変化に加え,中間考査後間違え た問題を見直していること等,学習に対するこだわりを示した。

 次に,学習者との関わりにおける観察者の変容について,事例の考察を行った。そ の結果,次のような知見を得た。

  1. 指導者は学習者の考えを聞き,問題解決の手立てを学習者に任せる必要があっ た。  その際指導者は学習状況の把握に努め,学習者と共に,問題解決過程において何が 問題となっているのかを考える姿勢を持っていた。そのことで学習者自身が自分の問 題解決の手立てを使って問題を解くようになり,指導者はそこでの考えを支持すると いった変容が見られた。
  2. 指導者の示した手立てが学習者に生かされるためには,その手立てが必要となる 場の設定を設ける必要があった。  その際指導者は,学習者の理解状況の判断を事前のテストから のみ行っていた。し かし学習者の学習状況を見て,示した手立てが必要となるかどうかの選択を,学習者 自身に任せた。
  3. 指導者は学習者の考え方の誤りを把握した上で,そのことに学習者自身が気付く ような働きかけを行う必要があった。  その際指導者が,状況に応じて指導の手立てを変えていることが明らかとなった。 また,学習者自身が数学的対象に関わるための手立てを指導者が示すことによって, 学習者自身が問題解決を図るための主体的な活動につながった。
3.今後の課題
 事例の考察を通して得られた示唆は,個に応じた働きかけの一端を見たに過ぎな い。

 そこで,実際の指導場面を通し,今回の考察が生徒の学習にどのように生かされる のかを,年間の指導を通して検証していくことが,今後の課題である。

4.主な参考文献

指導教官 布川和彦
修士論文タイトルに戻る