上越教育大学 教員養成GPプロジェクト

子どもの学びの深化を促すカリキュラム構成と支援のあり方−河川をテーマとした総合的学習のアクションリサーチを通して−

取組実績と課題

6.総合的学習が充実したものとなるための鍵

 2校に2年間かかわることで筆者等は、子ども達や担任教師に多くのことを学ばせて頂くことができた。特に総合的学習において真に児童の学びを生起させるためには、構想段階や展開段階で教師が特に配慮すべきことが見えてきた。それについて次に具体的に記述する。

(1)ねらいの明確化

 様々な学校の総合プランを拝見していて気になるのが、ねらいに学習指導要領のねらいがそのまま記述されていたり、付けたい力をねらいとしている例が見られることである。このようなねらいでは、テーマとの関連が希薄になり、学習の方向性が見えてこない。
 今回の大手町小学校4年生では、「市民の川、青田川がより自然に優しい水辺環境を整えるには、どうしていかねばならないかに思いを巡らせる。」や附属小学校4年生では、「河川との様々なかかわりを通して、これからの河川と私達との在り方を考える。」としたことで、ゴールを意識し、様々な河川環境と触れ合うという体験の取組が組織された。ねらいが明確であるからこそ、どんな事象とどのようにかかわるかという方向性が見えてくるのである。付けたい力とは、児童の実態を踏まえ、このテーマとねらいに基づいて学びを展開しつつ、変容後の求める児童の姿なのである。

(2)構想プランの大切さ

 ねらいが明確となったら、次に大切なのが年間の単元構成であり、そして、各単元における展開構想である。当然、それは児童の興味関心やこだわりに応じて柔軟に軌道修正が図られていくものでもある。年間の単元構成では、両校のように「没頭期」、「追究期」、「表出期」と季節を考慮し、学びの深化を考慮して「期」としてまとめる方法や、「人と川のかかわりの歴史」というように内容によって単元構成をする方法も考えられる。年間の単元構成が構想されたら、次には単元内の展開構想を立案することが大切である。ここでは、どんな人、どんなこと、どんなものとどうかかわらせ、問題意識を醸成し、課題につなげていくかという観点からの立案が大切となる。この構想では、次に述べる体験の質や人的ネットワーク、教師の経験幅が大きく構想に反映してくることになる。決して教師自身も万能でないことをしっかりと自覚することが大切である。消極的な姿勢で自らの経験の範疇で構想すれば、それは狭いものとならざるを得ない。ねらいを意識し、より充実させようとすれば、地域の人たちの支援、その道の専門家の支援、関係機関との連携がどうしても必要となってくる。

(3)学びを生起させる体験の質

 体験活動に終始しているとの批判もあるが、体験なくして自分ごととしての学びはないことも確かである。また、対象となる事象だけを見ていたのでは、問題意識も思考する判断資料も得られないことも事実である。正にどんな事象とどのようにかかわらせるかということが構想段階で十分検討される必要がある。例えば、川に入っての雑魚捕り体験を両校とも展開したが、それは児童にとっても教師にとっても全く未経験の世界であった。どこの川がよいのか、果たして魚が捕れるのか、弓だもをどう扱えばよいのか、深さや流れの速さ、投棄ゴミ等での児童への危険はないのかなど、教師にとっては疑心暗鬼の状態であった。また、河川に臨んで濁りや流れ、草ぼうぼうの水際に接し、正直、児童も教師も躊躇の気配を見せた。しかし、いざ入って活動してみると、次々と魚が入り、水中での転倒が爆笑を誘い、児童はいつしか草やぶでも押し分けて入っていく逞しさに変わっていった。その感動体験があったからこそ、自然に優しい水辺環境を水生植物や動物に着目して考えることができるようになり得たのである。

体験の質とは

  • 児童のそれまでの経験を越える感動や充実感を伴い、新たな見方・考え方を誘発する直接体験
  • 上流と下流を比較したり、他の河川と対象河川を比較したりして問題意識を醸成する体験
  • 学習集団の協力によって、協働の達成感が得られる体験

(4)教師の的確な支援

 児童たちが事象とかかわりながら発する言葉や振り返りシートに綴られる内容には、課題に繋がるものが多く見られる。例えば、川での雑魚捕りで「ヤゴがいっぱい捕れるね。」という発言からは、どんなトンボのヤゴが確認できるかで、調べ学習が生まれ、再生しつつある水質環境へと発展できる。「草や木があって深いところに魚がいるみたい。」の発言からは、魚にとっての住みやすい水辺環境への学びが生まれてくる。要はその場その場での児童の思いや発言を意味づけたり、価値づけたりしてやる支援が大切となる。

(5)学習集団としての学び合い

 総合的な学習においては、事象とかかわらせることで児童自らが課題を設定し、学びを深めていくという考えがある。その立場からひたすら事象とかかわらせ、振り返りシートを書き綴らせる学校もある。このような展開の場合は、個と学習集団との関係性が希薄になり、一人一人の興味関心も異なるため、テーマにかかわるねらいへの学習集団としての方向付けはなくなる。また、「なりきり作文」が多用されるが、事象とかかわっての観察事実が影を潜め、自らの先入観や思いが先行し、観念的な文章に終始しやすいという問題点を感じている。更には、児童任せに陥ると児童の既習知識や経験知の範疇で回転し、新たな学び方や新たな見方・考え方へと容易には高まらないという問題点もある。当然、総合的学習における学びは個において成立するものであるが、筆者はその学びとは個と周囲との交互作用の中で深化が図られていくと考えている。個の思いや考えを仲間の中で表出させることで、それによって内省、自問、共感、考えの強化が図られ、問題意識の焦点化が図られていく。時には、「飼育したサケをどの川に放流するか」などのように、教師は児童の振り返りシートをみとり、相異なる意見を表出させて、学習集団で問題を共有し深め合うことで顕著な学びが生起する。場合によっては、その道の達人や歴史を知る証人の講話が入ってもよいし、平成18年度の附属小学校の実践で、塩水クサビが問題となり、教師が調べる方法として硝酸銀水溶液による白濁反応をやってみせたことで、新たな方法を得て追究活動が拡がったように、調べ方や学び方は必要に応じて教師が指導することも必要となってくる。それも学習集団での議論を踏まえての提示や指導である。

(6)ポートフォリオによる学びの深化のみとり

 「総合的学習を通して、児童の学ぶ力は伸びましたか?」と問われて、「確かに伸びてきました。」と明言できる教師は極めて少ない。それは、「学び」という言葉が抽象的に用いられていて、何が学びなのかが教師自身にも見えていないためでもある。5で筆者等が河川学習を通して「学び」を定義し、そして、様々な学びの様態について記述した。それらをカテゴリーとして、4月から年度後半へと児童の振り返りシートや作文にアンダーラインを引いて見ていくと、徐々にアンダ−ラインが増加し、そのグレードも高まっていくことが読み取れる。それは児童にとっても自らの学びの軌跡を振り返ることで、やれる自己をメタ認知することにもなる。また、教師にとっては評価と改善を進めていく判断の拠り所となる。