学習活動の成立と新聞活用教育

新聞記事を教材化して学習することは、すべての教科・領域において可能であります。子どもは新聞教材を楽しんで学習しますし、学習意欲も高まり、ひいては授業の活性化への期待も大きい、と言われています。だからといって、子どもに新聞を押しつけたり、ただ「やみくもに」、「無理やりに」使えばよいという性質のものではありません。単なる思いつきや情報を盲信する態度もいけません。教育は常に、意図的・計画的・組織的・理論的におこなわれてきました。新聞活用教育の原理・原則も、その例外ではありません。
新聞は自然体で活用したいし、なによりも学習活動の成立・発展のため、また充実した授業のあり方を求めた活用であることが望ましいでしょう。教師は、@単元の内容や授業の目標を明確に理解すること、A新聞の機能や特性をよく把握すること、Bそして、そのうえで学習活動のなかに新聞教材を「適時・適所に」位置づけて活用する姿勢をとること、が重要なポイントとなりましょう。新聞は、既成の教材としてつくられているわけではないからであります。
ここでは、学習活動の成立という観点を骨子として、新聞活用教育の今日的意義・新聞教材の特質・新聞を活用するうえでの教師の構えなど、について問い直したいと考えます。

Q1.「新しい学力観に立つ教育」との関連で、新聞活用教育の今日的意義をどのように理解したらよいでしょうか。

1 子どもの「活字離れ」の傾向

現代の青少年は、「読まない・書かない・考えない・知ろうとしない」という活字離れに端を発した「四ない症候群」が顕著だ、と指摘できます。特に、電波メディアの発達に伴って青少年の活字離れはますます深刻化することが予想され、ともすれば情報が送り手から受け手への一方通行となり、主体的な思考を必要としないかのごとき様相を呈しています。主体性の確保と活字離れの解決方策の一つとして学校教育において、子どもたちに活字を読む機会を与えるとともに、身近なニュースを教材として取り入れ、教科書にとどまらない幅広い興味・関心、意欲を育てていこうとする新聞活用教育の趣旨は、学習活動の成立のうえからも考慮されてよいことであり、歓迎したいと思います。

2 情報活用能力の基礎としての新聞活用

21世紀を担う子どもたちに、「自ら学ぶ意欲と社会の変化に主体的対応できる心豊かな人間」を育成するための教育活動が、スローガンとなって推進されています。とりわけ、高度情報化社会の渦中にあって、毎日、数多くのメディアから流れる膨大な情報のなかから、適切な情報を選択し、処理・活用できる「情報活用能力」の育成が重要視されております。こうした経緯から今日、活字を媒体とした新聞が、「生きた教材」としてクローズアップされてきたのであります。
新聞活用教育の位置づけは、情報処理に伴う情報の収集、選択、判断、伝達、記録、創造などの活動を具体的に体験でき、しかも、一まとまりの達成体験を得ることができる領域である、と言われております。この点において、現行の教育課程がめざす情報活用能力の基礎は、新聞活用教育がベターであることを確証してくれるものとなりましょう。

3 「新しい学力観」と通底する新聞活用教育

新聞活用教育の目的は一般に、活字に親しむ習慣と新しい知識の獲得、物事を客観的に主体性をもって理解し思考・判断する能力、読解力、論理性、観察力、表現力を育て、さらには社会の機能や仕組みを理解する手助けとなることが、期待されています。この期待は「新しい学力観」の内実そのものを指示している、と考えられないでしようか。
新聞活用教育の基底にはまず、「新しい学力観に立つ教育」が底流していることを知るべきでありましよう。次に、学習指導要領には、情報の増大が社会生活を変化させていることを理解し、情報と人間とのかかわりを考えさせる、という新しい観点が加わりました。具体的に、小学校5年社会で「新聞、放送、電信・電話」のどれか一つを取り上げて学ぶこと、中学校の公民分野に「情報と社会」の単元も導入されました。同様に、表現力や想像力を育てる国語教育の重視、文字を読む習慣を身につけ、物事を判断する力の啓培など文字離れへの配慮、各種教材の多様な活用、体験学習などの重視が謳われていますが、ここにも新聞活用教育と深く関わる指導方針が確認できます。 そして、新しい学力観に立つ教育は知識・理解もさることながら、学習への興味・関心・意欲・態度を大切にするところに求められます。受け身になって「習う、教わる」(learn)だけの学習から 、主体性をもって自ら積極的に「研究する、調べる」(study)学習への変換がより大切であると考 えます。この点で、自分で調べ、考え、まとめて発表する機会の多い新聞活用教育の意義は無視し得ないし、教育課程が求めている自己教育力の育成の方向にも沿っております。
また、新聞活用教育は新聞に関心を持ち、意欲的に学習を展開することもさることながら、さらに進んで課題を解決しようとする点でも役立ちます。問題を設定し、解決の方法を探り、解決の技能を身につける問題解決型の学習形態をとることによって、単なる情報受信者ではなく、自ら情報の発信者となることも可能であります。

4 思考力の基礎は文字を読むことで育つ

今日、教育の情報活用と申しますと、即コンピュータ、と直結して狭くとらえる傾向が強いようにも思われます。情報活用能力の基盤ならびに中核となるのはやはり、文字情報ではないでしょうか。特に、思考力は活字を読むことで育つものでありましよう。さらに、文字は文化であるとも言われております。文字を読むことは思考力育成の基礎・基本と考えられ、その思考から新たな文化が創造されることも肝に銘ずべきであります。
もちろん、映像メディアの重要性も否定できませんが、もし映像メディアのみに偏ると仮定するならば、映しだされたものだけで全部知ったような錯覚が起こりましょう。この点、新聞は冷静に読むことができますうえ、多くの情報のなかから取捨選択できるメリットがあります。これは、生涯学習時代に必要な自己学習能力の育成にも資する今日的意義と申せます。要は、文字情報を中核としつつ、他メディアとの併用を考える構えが肝要でしょう。
このように考えてまいりますと、新聞活用教育は「関心・意欲・態度」「思考・判断」「技能・表現」「知識・理解」をキーワードとする「新しい学力観」とは無縁ではないし、むしろ積極的に「新しい学力観」に対応したものである、と結論づけることができるのであります。

Q2.新聞教材の特質はどこに求められ、またそれを適切に活用するうえでの教師の構えはどうあったらよいのでしょうか。

1 「ある教材」観から「なる教材」観への変換

「どのような教材を、いつ、いかに提示するか」は、いかなる授業でも学習指導上必ず通らなけばならない関門であります。精気の乏しい授業は一様に、この関門への配慮が希薄であるように思われます。
教材は一般に、子どもの学習や興味を触発したり、「共通の場(source)」を提供したり、方向づけたり、確かめたり、さらには子どもの学習や思考の発展を「支援する(aid)」働きをもっています。 ここに教材の意味や機能があると考えられます。教師の教材研究が深まれば深まるほど、それに応じて子どもの学習は確かで豊かなものになります。ただ、教師が注意しなければならないことは、子どもは授業のなかで、教師の「教材研究の範囲内」のことしか学習し得ないということであります。教師の教材研究の重要性は、この点に求められましょう。
「いくら腕がよくても材料が悪ければ、どうにもならない」(加藤秀俊著『取材学』中公新書)といわれます。「材料七分、腕三分」ともいいます。授業における材料が「教材」です。教育的価値の高い教材を選択・構成することが学習指導の焦眉の課題となります。これらの観点は、新聞教材の選定・提示にも共通していることであります。
すぐれた新聞活用教育が行なわれている教室では、教材はすでに「ある」ものとして考えるのではなく、教材に「なる」という意識が定着しているように思われます。「ある教材」は、客観的な存在、あるいは完成品として、固定的・静的な性格をもつものであり、授業とは、そういう所与の教材を巧みに解説し、子どもに伝達すればよいのだ、と解されます。これに反して、「なる教材」は動的な性格を有し、ある教材を一応の前提としながらも、教師自らが解釈し、構成し直すところに特質が認められましょう。教材は授業という実践活動と直接に密着しており、子どもの活動を予測しなければなりません。新聞活用教育の成否は、「ある教材」から「なる教材」へと教材観を変換できるかどうかが、キー・ポイントとなります。

2 カリキュラム・デザイナーとしての教材構成力

これまで教師はともすると、「教科書至上主義」で、カリキュラム・ユーザーに終始しがちであり、問題視されることもありました。「ある教材観」に拘泥していたからでありましょう。魅力ある授業であるためには、完成品としての教科書に頼るだけでは駄目であり、常に創意工夫をこらしながら、新たな教材を探す努力をしなければなりません。その新たな教材の一つが新聞であることは言うまでもありません。新聞は、新しい情報が満載されている点で、教科書にない教材的価値が指摘できます。それをどう学習活動に活用していくかは、教師の熱意や感性にかかっておりましょう。
今日、「なる教材観」に立脚するカリキュラム・メーカー(デザイナー)としての教師の力量が問われております。ここに、新聞教材による学習活動の重要性がある、と推断されます。新聞は「ある教材」としてつくられているわけではないからであります。カリキュラム・デザイナーであってはじめて、充実した学習活動の成立も、有意味な新聞活用学習も期待できましょう。全体的に、「なる教材」や「カリキュラム・デザイナー」の視座を大前提として確認しておきながら、つぎに新聞教材の特質を析出してみたいと思います。

3 新聞教材の特質と意義−−学習活動のリアリティ化

第一に、なによりも新聞は、「知識と情報・話題の宝箱」、最新のデータや情報が盛られております。適切に活用すれば、それは「教材の宝庫」となります。実際にあったことや話題・論争を教科書教材に加えて指導する意義は大きいのであります。しばしば、新聞教材は「現在」に学び、教科書教材は「過去」に学ぶ、と言われます。一年以上も前の事象が載っている教科書では資料が古く、現在の生の姿は見えません。最新のデータを使い、現在の時期を踏まえた授業をするためには、新聞教材は欠かせないのであります。過去を学び、現在をどう生きるかを考えさせる新聞は、教科書教材に「命」を吹き込んでくれる側面のあることも忘れてはなりません。
第二に、日常性、季節感、郷土感、親近感は、新聞でないと得られない特質であります。全国一律の教科書ではこうはまいりません。新聞教材の活用は、新鮮で切実な情報を吹き込むことによって、学習活動の質をもう一歩深めることが可能であります。新聞が「生きた教材」、「実感資料」と称されるゆえんであると考えられます。子どもに現実感や親近感をもたせ、問題意識を喚起・維持する意味で使用される「実感資料」は、新聞教材の本質を的確に表現しているといえましょう。それは、新聞記事の内容を子どもの日常生活のなかから発見させ、それを手がかりとして学習を展開させていくという学習方法で重要な「リアリティ」の確保であり、学習活動がともすれば陥りがちな抽象性を克服する意図をもつものと換言できるのであります。
第三に、学習活動のリアリティ化と軌を一にしたことでありますが、いま「学校知」が問い直されていることを念頭におかなければなりません。学校知は、教科書の内容を意味しております。これまでの学校教育では、教科書の知識を教えることが中心でありました。しかし、子どもたちが求めている知の多くは、日常生活におけるリアルで自然な形で身につける「日常知」だというのであります。この学校知と日常知とを結びつけるブリッジとして新聞教材を活用する重要な意義がありますし、学習活動を実質的に発展させていく契機となることにも留意しなければなりません。

4 新聞教材の活用タイプと教師の構え

新聞活用のタイプとして一般に、次のような学習形態が考えられます。すなわち、@教師が記事内容を吟味・選択して、子どもに資料、補助教材として与える、A子どもが与えられた課題やテーマなどについて、自分自身で記事内容を選択して学習する、B子どもが自由に新聞の記事内容から学習する、などのタイプであります。
冒頭で述べたことに加えて、教師はまず、子どもの実態に合わせて、記事をかみ砕く必要があります。次に、新聞教材をむやみやたらに与えるのではなく、教科書を基盤としつつ、枠にはめることなく良い情報を随時、子どもに知らせてやる構えが肝要でありましょう。
新聞活用教育には「定石」はありません。身近なところから活字離れが進む子どもに、いかに新聞に親しませるかが大切であり、教師は創意工夫を発揮しながら各教科・領域への適用を図り、学習活動を充実・発展していく配慮が望まれましょう。そのノウハウが、このマニュアルに満載されており、十分参考となると確信しております。

ホームページに戻ります。