The Dialogical Nature of Mathematics Paul Ernest

(P.Ernest(Ed.), Mathematics, Education and Philosophy: An International Perspective, The Falmer Press, 1994, pp.33-48)


本稿は、数学の社会構成主義者の哲学(a social constructivist philosophy)の一部として、数学がいくつかの意味で対話的(dialogical)であることを示そうとしたものである。彼はまず、近年の数学の哲学における興味が、以前の数学の基礎付けの議論を越えたものになってきていることから論を始める。新しいアプローチに共通している特徴として、次の三つがあげられている; (i) 数学史の貢献が数学とは何かの説明で本質的である; (ii) 数学を社会的現象として捉える; (iii) 数学における証明の役割が社会的である。こうした流れの中で、Ernest自身は数学が根本的に会話的(conversational)であるという説明を確立しようとするものであること、そしてこれは、数学がモノローグ的であるとする伝統に挑戦しようとするものであることが表明される。

Ernestによれば、数学の対話的本性は少なくとも4つの仕方で見いだされる。第一は数学的言語のレベルである。数学を主としてシンボル的活動と見ると、それは読者に語りかけるものであるから、会話的であるはずだとする。書かれた証明にしても、誰かを説得するためのものとすると、それは説得される相手を前提とし、しかもそうした相手からの反論に先んずる形で進められている。また数学のテキストの中では、場面によって表示的な書き方と命令的な書き方が使い分けられている点も指摘される。第二は概念のレベルである。例えば 論法であれば、「あなたがどのような小さな !を持ち出してきたとしても、私は必ずや条件を満たすような "を見つけてみせよう」といった対話として解釈することが可能であり、その意味で極限の概念は対話を内包していると言えるのである。第三は証明の起源や基礎のレベルである。ここでは証明自体を分析するのではなく、Ernestは他の研究者の見解を引用する。一つは古代ギリシアにおける証明の起源に関する研究であり、もう一つは現代的な証明論である。これらより、証明の起源においても、また現代的な定式化においても、証明は対話的なやり取りに根ざしていることを述べる。第四は数学の認識論および方法論のレベルである。ここでは主としてLakatosの「証明と論駁」法がとりあげられるが、Ernestはこれを一般化している。その図式では(i) ある科学的文脈においてテーゼが出される; (ii)受容的反応とともに批判的反応も出されアンチテーゼとなる; (iii) 提案の修正などの局所的再構成とメタ数学的レベルでの大局的再構成によりジンテーゼとなる; (iv) 新たな文脈が生まれる、といったプロセスが数学的発見のサイクルとして提示される。この中に対話的あるいは弁証法的図式は明白に見て取れるとErnestは言う。さらに彼はアカデミックな文脈と学校の文脈を統合した図式を提示し(p.45の図)、会話と弁証法とは教授-学習でも本質的役割をすると述べている。

第四の内容は近年の多くの研究者の関心と重なるが、詳しくは印刷中とされる彼のSocial Constructivism as a Philosophy of Mathematicsを待つことになろう。


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