A CONSTRUCTIVIST APPROACH TO TEACHING by Ernst von Glasersfeld

(In L.P.Steffe & J.Gale (Eds.), Constructivism in Education. Lawrence Erlbaum Associates, 1995, pp.3-15)


本論文は、von Glasesfeld が急進的構成主義のエッセンスを書いたものとなっている。タイトルには teaching の文字が見えるが、教授に直接関わる部分は少ないように感じた。しかし、構成主義の旗手が書いていること、そして論文自体がコンパクトに纏められていることにより、筆者のように構成主義に詳しくない者にとっては、構成主義というものを確認する上で有用な論文と思われた。一読して率直な感想は、彼が構成主義を (あらゆる) 知識についての一つの見方として捉えており、自分自身が構成主義的な立場で世界に対峙しているということである。
彼は構成主義の主張を次のように纏めている;「知識は人間とは独立な世界を表現するという要請を放棄し、代わりに、我々にとってもっと重要な何か、つまり我々の経験世界 (experiential world) で我々がなしうること、物理的なものと呼ぶ対象を扱う成功的な方法、抽象的概念について考える成功的な方法といったものを、知識が表現するということを受け入れるのである」(pp.6-7)。そもそも、何かが存在するというときには、人間とは独立に何かが存在するということは考えず、あくまでも人間の経験世界の中での話なのである。これを示すために、彼は三つの例をあげている。それは、星座、イギリスの海岸線、そして正三角形であるが、これらは人間が自分の経験世界を組織化しようとする努力により生み出されたものであり、あらかじめ "存在" しているわけではない。
このことは物理的対象を越えて、社会というものにも適用される。つまり、社会的相互作用の相手となる「他者」というものについても、それは環境の一部であり、個人の経験世界の中で構成される比較的「永続的な」対象にすぎない。この捉え方をしたときに、近年話題になっているいわゆる社会的構成主義は、なんらかの修正が必要になるのかどうかは興味のある点である。
教授に関連しては、教師にとってミスコンセプションに見えることも、生徒にとっては viable である点を考慮すること、そして反例を生徒の世界の外から持ってきても無意味であり、自分のアプローチの不十分さを生徒が自分の問題として受けとめたときに初めて変化が生ずることを述べている。またある考えや理論を絶対的な真理として生徒に示すのではなく、それがある文脈の中でどうして科学的に viable とみなせるのかを考えるよう、生徒に教授していくことが重要であるとしている。
構成主義を論ずるときによく「子どもが〜」という言い方を耳にすることがあるが、構成主義が知識についての捉え方であるとすれば、それは (自分も含む) あらゆる人間に 、そして(数学自体を含む) あらゆる 領域に適用されるべきであろう。
なお、本論文の収録された Steffe らの本は570ページを越す大著であり、von Glasersfeld のもう一つの論文 "Sensory Experience, Abstraction, and Teaching" を含め、27本の論文が収められている。著者の中には、 J.Richards, H.Bauersfeld, J.V.Wertsch, J.Confrey, G.B.Saxe, T.Wood, , P.Cobb, E.Yackel, P.Ernest, L.P.Steffe らの名前も見える。

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