25th Conference of the International Group for the Psychology of Mathematics Education,PME25 Summer Institute (7月11日から21日)参加記


  2001年7月11日から21日まで,オランダのフロイデンタール研究所で開催された 25th Conference of the International Group for the Psychology of Mathematics Educationと PME25 Summer Institute とに参加してきました。会議での雑感を上越地域の 算数・数学教育誌である,平成13年度研究と実践,に掲載しました。次はその原稿です。




 

和蘭フロイデンタール研究所における数学教育の理論と教材


上越教育大学 高 橋 等

1. はじめに

 欧州ドイツとフランスとの狭間,海岸沿いにご存じの通り通称オランダと呼ばれる国がある。オリンピック,世界選手権などで度々登場する国名である。最近では第9回世界水泳選手権大会で注目されたファンデンホーヘンバンド氏の国として有名であるし,この国で我が国のサッカー選手がプロとして活躍し始めた。我が国とは縁が古く,江戸時代の鎖国時であってもオランダ,漢字で書けば和蘭(阿蘭陀)であるが,とは長崎の出島を通じて貿易を続けていたことは知られている。江戸時代の洋学と言えば出島が取り込み口となる蘭学であり,当時の医学,自然科学,軍事学などは殆ど蘭学の範疇にあった。通称オランダと述べたが,正式に蘭語ではKoninkrijk der Nederlanden ネーデルランド王国,英語にするとKingdom of the Netherlands ネザーランド王国 である。12の州からなり,面積4万1526平方キロメートルに人口1560万人が暮らす,世界一人口密度の高い国の一つである。オランダという呼称が定着したのは,16世紀にスペインから独立して以来,政治,経済ないし文化の中心となったアムステルダムを擁していたオランダ州の呼び名,現在の北オランダ州と南オランダ州,が換喩的に国を指す名となったからと言われている。

 さて,7月12日から22日にかけてオランダに出かけてきた。学会と夏期講習会に参加するためである。学会とは25th Conference of the International Group for the Psychology of Mathematics Education(略称PME,第25回数学教育のための心理学会)であり,夏期講習会とはPME25に附属のPME25 Summer Institute(略称PSI)である。オランダは我が国よりも8時間ほど時刻が早く,帰路では日付が一日分加算されることを考慮すると,いわゆる休む間もない旅程であった。

  本稿では,PSIを催したフロイデンタール研究所の概要をフロイデンタール教授の主な実績と併せて述べ,PSIで得たRMEの理論と教材とを紹介する。

2. フロイデンタール教授とフロイデンタール研究所

 PME25とPSIとも,ユトレヒト州の州都ユトレヒトにあるユトレヒト大学での開催であった。ユトレヒトはオランダのほぼ中央に位置し,古代ローマ時代を起源とする,約24万人とオランダ第四位の人口をもつ都市である。街は長崎ハウステンボスのモデルともなった高さ112mの鐘楼を有するドム教会を中心として発展し,大学は教会の庇護により1636年に設立され,今日に至る。

 数学教育学に関して言えば,有名なProf. Hans Freudenthal(1905-1990),フロイデンタール教授が数学,応用数学および数学基礎の主任としてユトレヒト大学において活躍して以来,この大学はヨーロッパにおける中心地の一つとなっている。フロイデンタール教授は数学者としてトポロジー,幾何学あるいはリー群に係る研究で優れた業績を残した後,数学教育学者としてRealistic Mathematics Education(略称 RME) 現実的数学教育を開発,創始した。さらに,フロイデンタール教授が創刊した雑誌Educational Studies in Mathematicsは最も高度な雑誌の一つとなっている。フロイデンタール教授から今日に至る遺産として,数学教育の改善において実際的であるのは,1971年にフロイデンタール教授が創設したFreudenthal Institute フロイデンタール研究所の活動であろう。

 フロイデンタール研究所は75名のスタッフからなり,RME理論の発展のための基礎研究,RME理論に基づく教育課程開発とその実践に従事している。今回の夏期講習会PSIはPME25の開催者でもあるフロイデンタール研究所が催した。内容はRME理論と教育課程,教材などの紹介であった。他に,当初は授業観察が計画されていたものの,学校が夏期休業中ということで中止となり,代わりにコンピュータ内での授業のビデオ観察となった。多少の無理をしてPSIに参加した目的は学校を訪問しての授業観察にあったのだけれども,短時間のビデオ鑑賞では授業の実体を掴むには至らず,非常に残念な思いをした。

 なお,フロイデンタール研究所の概要およびフロイデンタール教授の経歴はホームページhttp://www.fi.ruu.nl/en/welcome.html に掲載されている。

3. RME理論

 RME理論の紹介は,平成九年に高橋が既に行い,研究と実践でもその理論と教材に触れた(高橋,1997)ものの,今一度,RME理論の概要を主にGravemeijer, K., Cobb, P., Bowers, J. & Whitenack, J.(2000)を参考としつつ紹介しよう。

 RME理論はフロイデンタールによる,人間の活動としての数学,という思想を根底に置く。児童・生徒は活動を通して算数・数学を経験する必要があると言うのである。活動は問題探し,問題解決などを含むものの,RME理論の特筆すべき特徴は算数・数学を巻き込む現実的な状況における児童・生徒の実経験から出発すべきとしたことである。形式的な数学は現実的な状況での非形式的で具体的な経験から出発し,構成されるのでなければならない。この状況は児童・生徒にとって親しみのある状況であり,多くの場合,日常的な現実性をもつ。勿論,形式的な数学それ自体が児童・生徒にとって親しみがあり,現実性を有する場合もある。

 児童・生徒の活動は数学化を伴うのでなければならないとされている。彼らの言う数学化は,一般化:一般化すること(類比を探すこと,分類すること,構造化すること),確実性:反省すること,正当化すること,証明すること(組織的な取り組みを用いること,精緻化し試みることによる推測,など),正確性:モデル化すること,記号化すること,定義すること(解釈と妥当性に制限を加えること),簡潔性:記号化すること及び図式化すること(標準の手続きと表記法を発達させること),を特徴とする。この一般化の過程で創造的発明がなされるとするのである。

4. RME理論と教材例

 RME理論では伝統的な講義伝達型授業からの転換を図っている。彼らの求める授業は,児童・生徒にとって現実的な状況において,児童・生徒たちと教師とが互いに相互作用し,共同で数学化を押し進めるというものである。個人による算数・数学の構成を伴いつつ学級全体で算数・数学を構成する,我が国の理想的な授業実践に近い方向を彼らはもっている。

 授業で設定する問題状況は,先にも述べた通り,児童・生徒にとって現実的な,日常生活の状況或いは架空の筋書きを含むものである。例を示そう。フロイデンタール研究所のホームページhttp://www.fi.uu.nl/en/indexzoeken.htmlに掲載されている一次関数のソフトウェア教材(下図)である。 この教材ではグラフ上に置かれた球を弓矢で射るというゲームが現実的な状況である。弓の射方には四水準がある。水準1では弓を射る方向にそって原点からx=5の軸までに予め線分が引いてある。その線分のy軸上の点とx軸に対する角度とを,カーソルを動かして直に調節し,線分の延長線上にある球をめがけて矢を射る。左図の下部中央にある弓の絵のついたボタンを押して矢を射るのである。矢は線分の延長を軌跡として進み,球に当たるとファンシーな絵柄が弾ける様に出現する。ボタンの左にある二つの箱では,左側にx=0の時の高さ(y切片の値)を,右側に傾きの値を表示する。これらの箱の下部にある矢印の付いたボタンにより箱の中の数値を上下させ,矢を射る時の高さと角度とを調整することもできる。

 水準2では,原点からx=5の軸までに予め引いていた線分の高さ(y切片の値)と傾きを左下部箱の数値を動かすことによってのみ調整できる。

 水準3では,原点からx=5の軸までに予め引いていた線分は表示されず,原点に目立つような点を打ってある。矢を射る方向は水準2と同じく箱の中の数値の調整に依る。

 水準4では,原点に置いた目立つ点もなく,箱の中の数値を頼りに矢を射る方向を調整することになる。水準2,3,4では,試行錯誤的な接近もできようけれども,球が位置する座標を手掛かりに,矢を射る方向を算出する活動が必要になる。

 この一次関数教材におけるゲームでは練習,一人用および二人による競技からなる。練習では各水準において,ともかく球に向かって矢を射る。一人用のゲームでは矢を射た回数と球に当たった回数が得点として表示される。二人用のゲームでは各自が赤球か青球かを持ち球とし,交互に矢を射ることになる。

 PSIではこのコンピュータソフトによる演習の時間があり,30分ほど一次関数の遊びを楽しんだ。そこで気付いたことを幾つか述べていこう。一つ目は,単にゲームを楽しませる授業が当然にあり得るのだけれども,一次関数の考えの育成に焦点を絞った授業を目指すのであれば,教師による指導計画の準備やソフトを使用する場合の制約が必要となることである。例えば,原点からx=5まで引いた線分の傾きを零とし,y=aの軌道でもって矢を射ることが可能である。この場合,確かに球を射る率は100%,百発百中であろうけれども,一次関数の考えとしては狭いものとなる。一定の傾きでy切片の値を変えるとか,或いはy切片の値を一定にして傾きを変える場合などを教師が設定することが必要であろう。もっとも,自由な活動の中で児童・生徒自らがこれらの制約を作り出すことになれば理想的である。さらに気にかかることは数学化の過程がどのようになるかということである。

 なお,このソフトウェアの著作権はフロイデンタール研究所にある。

5. 演習の時間でのエピソード

 一次関数のソフトウェア教材自体とは直接的な関係はないものの,演習の時間でのエピソードを述べておこう。コンピュータの台数と参加者数との関係から,私はギリシャから来られたDr. Christos Mitsoullis ミツオリス博士と組になった。

 二人で話し合いながら一次関数のコンピュータソフトの仕組みを確かめ,2人用のゲームをすることになった。ゲームは楽しく進み,後攻の青球,ミツオリス博士の勝ちになった。私が'Ha, Ha. You gained.'と何気なく言ったところ,ミツオリス博士は,このゲームで勝敗に価値があるのか,我々は協力してコンピュータソフトの使い方を確認し,ゲームを楽しんだ,それで一次関数の新しい教材を経験することができたんだ,我々は協力者なんだ,と述べた。その瞬間,私の方は,ああそんな気持ちで言ったんじゃないのに,と思った一方で,もしかしたら競い合いに対する妙な意識が身に付いているのではないか,という内省に至った。競い合いに対する誤った解釈と実践とが我が国には蔓延している。今後,教育実践で標識となるであろう共生なる語の真意をミツオリス博士の言に垣間見た気がした。

 二人での共同学習で意気投合した後,街の食堂で博士夫婦と夕食を共にした。その際に博士は彼の名の由来を説明し,彼の人生がその名に少なからず影響を受けていると述べていた。Dr.Christos Mitsoullis,ギリシャ語でホライトスという発音だが英語綴りを見れば瞭然の通り,彼の名はキリストである。奥さんの名はマリアと聞いた。私は宗教にはさほどの関心はもたないけれども,ミツオリス博士夫婦との会話を楽しみつつ,お二人の不思議な縁に妙に気を巡らしていた。

6. おわりに

 フロイデンタール教授とフロイデンタール研究所との紹介をし,この研究所が開催した夏期講習会PSIの内容の幾つかを述べてきた。PSIへの参加者は約55名,その殆どが数学教育学研究者であった。多少の語弊を覚悟して言うけれども,研究者相手に夏期講習会を開催できる数学教育学研究機関は世界を見渡しても僅かよりない。フロイデンタール研究所のスタッフが総勢75名と充実していることがあるものの,理念と理論とを継承発展させる有能な人材が活躍していることが,PSIを開催できる強みであろう。本稿で紹介した一次関数のソフトウェアも,専門の技術者によってでなければ開発し難いほど洗練されたものであり,彼らはこのソフトウェアと同等の教材を幾つも開発しているのである。幾らかの羨望がある。



文献
Gravemeijer, K., Cobb, P., Bowers, J. & Whitenack, J. (2000). Symbolizing, Modeling, and Instructional Design. In P. Cobb, E. Yackel & K. McClain(Eds.), Symbolizing and Communicating in Mathematics Classrooms(pp.225-273). Mahwah,NJ: Lawrence Erlbaum Associates.
高橋等(1997). 米国における最近の数学教育改革の方向.平成9年度研究と実践,2-5.




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