『学習心理学特論』レポートへのコメント

コメント
<2005年度版>
●過去のコメント
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■ 人の話はちゃんと聞こう

  レポート締め切りを真夜中に設定した翌朝,大学に出てきた私は,6階の研究室に近づくにつれて異様な光景を目にすることになりました。たくさんのレポートがドアに重ねて貼ってあり,さしずめ神社の柱に二重三重に重ねて貼り付けられた千社札といった趣です。おまけにその日は,台風が最接近すると予報が出ている日。気まぐれに吹きつける強風の中で,さして強力でもないマグネットが悲鳴をあげていました。一歩まちがったら,マグネットごとみんな吹き飛ばされていたかも知れません。いや,もしかしたら実際に,何人分か飛ばされてなくなってしまっているかも知れません。

  レポートの説明をしたとき,ちゃんと言ったでしょう? 夜間は事故が心配なので箱を出しておかないから,夜間提出する人はドアの下から室内に入れておいてくれと。ドアに貼り付けていいかどうかはいちいち書かなかったけれど,「事故があるかも知れない(=だれかいたずらで持って行ってしまうかも知れない,風でどこかへ飛ばされてしまうかも知れない,など)から,安全確実な提出方法を」という趣旨を頭の中できちんと理解していれば,ドアに貼り付けることがいかに危険なことか,わかると思うんですけどね。せっかく締め切りギリギリまでがんばって書いたレポートが,風でどこかに飛ばされて期限内に担当教員に届かなかったら,それって,けっきょく自分が損するだけなんだよ。

  見たところ,ひとりの人がマグネットを使って貼り付けたあと,「前へならえ」で次々に貼り付けられていったフシがうかがわれるんですが,小学生じゃないんだから…。しかも,レポートが重なって厚くなるたびに,マグネットの能力は落ちていくわけで,後から貼り付けた自分だけじゃなく,前に貼っていった人の分も危険にさらしているんだよね。

  で,来年度からは「真夜中締め切り」をやめることにしました。最終日の追い込みに勝負を賭けるタイプの人たちには申し訳ありませんが,午後5時締め切り。これなら確実に「提出箱」でレポートを受けとることができます。

ポイント
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■ 今年のB,今年の厚み

  金曜4限という授業時間のせいで(念のために言っておきますが,この授業はもとから金曜4限だったのです。それが今年から事情が変わってしまい…,来年はいよいよ時間を動かさないといけません),今年は受講生の所属コースが極端に偏っています。そのため,事例も似たものばかりになってしまうのではないかと心配したのですが,そんな心配はまったく必要なく,いつもどおり多彩な事例が集まりました。理論的な骨子は同じでも,場面により,対象者によりじつにさまざまな事例があることを知ることができるのは,このレポート課題を出し続けている最大の理由であり,私にとってのいちばんの楽しみなのです。

  今年,B評価にしたレポートは,わりあい理由がはっきりしています。事例はちゃんと書いてあるのですが,それに対する理論的な検討が不十分…というかほとんど書かれていないものです。どうも,本人の頭の中では対応関係ができあがっているようなのですが,コトバでの説明が足りないので,読んでいるこちらにそれが伝わってこないのです。たとえば,「この事例は内発的動機づけをよく表している」と一言だけ書かれていても,どの部分がどんなふうにかかわっているか具体的に説明されていないと,こちらはそれに共感することができません。逆に,理論はていねいにまとめられていても,対応する事例がちょっぴりしか書いてないケースは,1人だけでした。

  さて,昨年の「コメント」を見てくれたのでしょうか,今年のレポートは例年以上に添付資料が多く,なかなかに分厚いレポートがたくさん届きました。なかには,関係書類をひとそろいバインダーで綴じてあるものや,総カラーの印刷物をクリア・ファイルにきちんと収めたものまであり,もう完全に「ちゃんと読んでください」とレポートが訴えています。

  ええ,もちろん読みましたよ,全部。せっかくみなさんがんばって作ってくれた資料ですから。もともと文字が書いてあると読まずにはいられない困った性分の私ですし,ついつい隅から隅まで読んでしまいます。自分が「ごく平均的な小学生だった」ということを証明するために添付してくれた当時の通知票の中で,「行動および性格の記録」の3段階評価が,言うだけのことはあって,みごとにどの項目もまんなかのBに集中しているのを見たときは,笑ってしまいました。

  そんな調子ですから,読み終わるのに時間がかかる,かかる。それでなくても,わがままで教務から言われている締め切りをオーバーして提出期限を設定したというのに,また時間がかかって評価の提出が遅れては,事務の人たちに申し訳ない。成績評価は,無事みなさんの手に届いたでしょうか?

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■ 生徒が主役 Part 1

  では,事例,いきます。

  まずは,対照的な2つの事例を見てみましょう。

  1つめは,高校の文化祭委員会に対する指導を扱った,この事例です。舞台は,「教師の強い指導もいやだし,長い時間をかけて着実に積み上げていくということも嫌いな,でも気のいい高校生が集まっている,ほんとうに普通の普通高校」。この年はじめて文化祭担当になったこの先生は,前年度の生徒たちの様子から,彼らが「それなりにこの文化祭を楽しんでいる」ことを見てとり,その気持ちを尊重しながら,それをうまく意欲につなげないかと考えます(大事にしたいこと1)

  そこで先生ははじめに,昨年から引き続いて文化委員を務めている何人かに昨年のことを聞いてみました。

すると,しゃべるしゃべる,そして言うこともなかなか的を射ている。たとえば,「1年生は劇,という枠ははずし,1・2年全体から希望の5団体,というふうに決めた方がいい」「クラスの希望を最優先した方がいい」「やはり出し物のレベルをある程度のところまで上げないと,内輪ウケなだけでみっともない」「ミスコンは,いじめの危険性もある」などなど,具体的な点から倫理的な面まで,生徒はよく見て理解しているのだという印象を持った。

  で,先生はまた気づきます。自分たちでやることは自分たちがいちばんよく知っている,ということ(大事にしたいこと2)

  これらをもとに,先生は,生徒自身が運営するのだということを前面に押し出そうと考え,そのために,リーダー組織の強化を図ります。すなわち,前年度は正副委員長3人だけだった執行部を,9人の「総務」へと拡大。それも,各学年との意思の疎通を円滑にするため,各学年から等しく3人ずつ募ります。そして,最初の集まりで先生は,「昨年のやり方にとらわれず,自分でよいと思ったことや考えを遠慮せず話し合いの場に出そう」と提案し,先に挙げられた改善案を含めて生徒たちから意見があがってくるのを待って,最後に「総務の話し合いを活性化して,全校に提案できる改善案を作ろう」と呼びかけたのでした。

  そのあとの経過は,レポートを読んでみましょう。

  4月に立ち上げた「総務」は,週に1度の定例会はもちろん,なんだかんだと頻繁に集めるようにした。9人という人数は,なかなかフットワークが軽く,また1人2人都合が悪くても,後の人数でなんとかなるという利点もある。1年生が途中2人ほどまったく来なくなる,という事態が起こったが,すぐに違うメンバーを引き入れる,という裏ワザも使った。そして,おしゃべりとも話し合いともつかない,本音で話し合える雰囲気の総務会で出されたアイディアをどんどん具体化していった。

  突拍子もないものは自然淘顕されていく。なかなか生徒は慎重かつ常識的である。私がほとんど口を出さないので,やるとなったら自分が責任を持たねばならないと感じとり,自然にそういう態度になったようだ。もちろん改善点は数項目にすぎないのだが,生徒たちは,言うは易いが行うは難し,ということを,身をもって体験していたようだ。

  主な改善点は以下のようなものである。
  1. プログラムの全面改訂
  2. 金券販売方法の改善
  3. 会場表示の工夫
  4. 出し物のバランスの検討
  5. 入場ゲートの簡略化
  6. 時程・日程の変更
  7. 出し物の規制の緩和
  「総務」の生徒たちが学校全体の声を把握し,昨年の様子などをよく見ていたため,これらの提案はスムーズに文化委員会を通過した。職員会議でもめた事項もあったが,なんとかうまくクリアできた。

  「改善点は数項目」と謙遜されていますが,内容を見るとけっこう基本路線にかかわる変更が加えられていますから,総務の人たちのがんばりがうかがえます。文化祭当日は,天気にも恵まれて昨年度の1.5倍の入場者を数える盛大なものとなったそうで,彼らのがんばりも,しっかりと報われたといえるでしょう。全校生徒,全教師から集めたアンケートでも,総務に対する評価は高かったそうです。

※   ※   ※

  さて,ではこの事例はどう分析できるでしょうか。先生はまず,文化祭をこんなふうに位置づけています。

本校のような「普通」の学校では,ある生徒にとっては,まったく余計な,ないほうがよいような煩わしいものだが,ほとんどの生徒にとっては,それなりに楽しみなのだ。家族も来るし,他校に行った中学の友人も来てくれる。楽しんでやりたいけれど,ギチギチ鞭で叩かれてまではやりたくない。努力もたいしてしたくない。でもあんまり情けない文化祭も恥ずかしい…このような,大変中途半端な,両義的な意味合いを持っている。そのリーダーをやるなんていうのは,よっぽど人がいいか,お祭り好きかのどちらかだ。

  授業では評価を受けるし,部活や友人関係は気を遣うし…,という日常の中で,文化祭は損得勘定抜きの「なんだか楽しそう」感覚が働きやすい活動,あるいはそうした内発的動機づけのもとでしか動かせない活動だというのです。とくに,そのリーダーとして集まってきた生徒たちですから,選ばれた事情はいろいろあるにしても,みんなある程度は内発的動機づけを持った人たち,「面倒そうだけれど,なんだか楽しそう」感が強い人たちだと推測されます。

  その彼らを義務として動かすだけでは,彼らは苦痛しか感じないでしょうし,報酬を投げかけたとしても,ほんとうに「楽しい」活動にはなりません。「なんだか楽しそう」の部分に焦点を当て,「自己決定」を促しながら具体的な活動を組織し,それによって「変革した実感」を持てることが,意欲の持続につながるのではないか,と先生は分析します。そこで先生は,生徒たちの自己決定感と有能感をくすぐるべく,「自分たちのアイディアで改善しよう,全校生徒を動かそう」と投げかけたわけです。

  その結果,彼らは話し合いを重ねて改善案を練り上げ,全校に提案します。そしてそれらはみごとに文化委員会を通り,職員会議を通り,実現へとこぎつけました。彼らの内発的動機づけが,うまく達成感へとつながっていったのです。

  つまりこの事例は,生徒たちの自己決定性・自律性を前面に押し出すという方針にもとづいた指導によって,彼らの活動が活性化し,質的にも高められた事例とまとめることができるでしょう。で,もちろんその陰には,生徒たちの自律性を支え続けた先生がいるわけで,この間の先生の「がんばり」についてもふれておかなければなりません。自己決定を促したからといって,先生はなにもかかわらないでいいわけではないのです。

  おそらく,先生のいちばんの活躍は職員会議の場だったのでしょうが,残念ながらそれについては,レポートには何も書かれていませんでした。しかし,それ以外にも,

生徒の提案の細部を調整したことは多々あったし,根回しもフォローもした
裏でいろいろ策を講じたことは多々あったが,表面では,生徒の提案を尊重することを心がけた

といったコトバの端々に,先生の奮闘の様子が滲み出ています。それでも先生は,「生徒のことは生徒がいちばんわかっている」と,生徒を信頼し続けます。

  また,総務での話し合いの進め方にも,特徴が見られます。

教師に言われたことでもないし,一部の生徒の利益を代表しているわけでもないので,生徒の改善提案はごくまっとうなものであり,正当性があった。なぜその「よい」提案が実現していないかの情報を与え,改善するとしたらどのような方法が一番よいかを話し合った

  まず生徒たちの主張の正当性を認めるところから,はじまっているのです。提案が良いか悪いかという,ある意味不毛な論争に終わりがちな次元でではなく,「その提案を実現するためにはどうすべきか」という次元で議論させることで,生徒を話し合いへと引きつけ,また具体的な意見や行動へとつながりやすい雰囲気を作るのに成功していると思います。

  最初からよい提案だと認めているからといって,生徒にすり寄っていると批判する人がいたとしたら,それは短絡的な反応です。実現させるための具体的な話し合いの中で,提案の穴は指摘され,埋められる穴か,それとも提案自体に無理があるのかが厳しく吟味されるはずだからです。それらは,いずれ全校へと提案したときにだれかから指摘されることですので,きっと生徒も真剣に対策を考えることでしょう。だから,おそらくここでは,提案の是非を議論する場合と同様な批判的検討が,なされるだろうと推測されるのです。内容が同等であるとすれば,実現を目ざしてより具体的に検討する話し合いの方が,雰囲気が前向きなぶんだけ,みんなのりやすいですよね。優れたやり方だと思います。

  全体としてこの事例は,「生徒はそれなりに文化祭を楽しんでいる」,「生徒のことは生徒がいちばんわかっている」という2つの信頼にもとづいた,教師の自律性支援的なはたらきかけの様子とその成果を,よく表しているといえるでしょう。

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■ 生徒が主役 Part 2

  一方こちらは,同じく「生徒が主役」な活動なのですが,内容もその結果もまったく対照的な事例です。書かれている事例内容がけっこう深刻だし,一部の登場人物の特殊事情により,書いた人を特定しやすいかも知れないのが,とても気がかりではあるのですが,とりあえず掲載してしまいましょう。

  舞台は高校のバレー部。インターハイ予選が終わり,3年生が引退して,新チームでの活動が始まったときから,事例ははじまります。「私」は当時1年生。2年生の部員が少なかったため,必然的に1年生からもレギュラーメンバーが選ばれ,身長があり,技術もそれなりだった「私」と双子の姉はその中に入っていました。6人のスタメンのうち3人が2年生で,残りの3人は,私たち姉妹とチームで一番背の高いAの1年生という構成。

  さて,いろんな経緯があって新チームの顧問は,バレー経験のない若い女の先生になりました。しかし,この先生はこのあとレポートにはまったく登場しません。力のない先生に代わって,「主役」となるのは2年生です。

  新チームでは一つ上の先輩が実質的な権力を握ることになった。大会のメンバーの決定権もすべて先輩の手中に収められることになったのだ。だが,入部したばかりの私たちは,そんなことを知る由もなく,目の前の大会を目指して,少しでも上手く,強くなれるようにただただ練習に励んでいた。

  練習のメニューも先輩たちが考えていたのだが,それは高校受験というブランクのあった私たち1年生の身体に大きな負担をかけるものだった。ブランクがあるにもかかわらず,同じ練習メニューをこなすことが要求され,しかも,練習は休みなく毎日続いた。そのため,新チーム結成後最初の大会に,疲労のピークがくることになった。身体的・精神的な疲労とプレッシャーとで,大会の前日にAが足首の靭帯を断裂,翌日の大会の初日に姉が膝の靭帯を断裂するという結果を招いた。

  今にして思えば,新チームが始動して先輩たちには焦りもあったのだろうが,一緒にコートに立っていても,先輩たちに励まされることはほとんどなく,なじられることばかりで,その理不尽さに腹が立ったし,できないことも悔しかった。そのような状況でも,大会を目指して頑張れたのは,同じコートに立つ姉とAという支えがあったからだった。その二人が目の前で怪我をし,コートからいなくなった後の試合は本当に散々だった。代わりに入ってきた1年生のメンバーは,余裕がなかったこともあるだろうが,先輩と同じように,周りと自分に対する苛立ちをむき出しにしながらプレーを始めたのだ。

  私は周りがイライラしていても平常心で声を出して,声をかけて,盛り上げていこうと頑張ったが,それは孤独な戦いだった。バレーボールは,ミスを責めあうのでなく,互いに励まし合って,声をかけ合いながら,プレーの面も心の面もカバーし合ってやっていく,ひとりではできないスポーツである。私はそこにバレーボールの魅力を感じていたし,そこにバレーボールをすることの大きな意義があったのだが,その思いはくだかれてしまった。

  悲劇はこの大会だけでは終わりませんでした。

  部内のすべてを牛耳る先輩たちの影響で,私たちの学年の仲も次第にこじれていった。先輩のやり方に耐えられず「部活をやめたい」という子,やめていく子が出る一方で,先輩に取り入り,レギュラーの座を獲得しようという子もいた。先輩たちは,実力や日頃の練習の頑張りによってメンバーを選ぶのではなく,自分たちのお気に入りでメンバーを選んでいたのだ。そんな先輩たちには本当に腹が立ったし,先輩のご機嫌とりをすることばかりに一生懸命の子に対しても腹が立った。

  それでも「私」は,「励まし合える仲間がいて,バレーが好きだったから」,練習は頑張っていました。しかし,先輩との軋轢は強まるばかり。先輩にとってはちっとも可愛くない存在なのに,身長があり,そこそこの技術があるためにメンバーに選ばれ続けていたのですから,当然です。

  しだいに「楽しい」という気持ちは薄れ,「私はここで何をやっているんだろう」という気持ちが大きくなっていき,それはプレーにも表れて,とうとう「私」はスタメンから外されることになります。先輩に,「こっちに戻りたいっていう気持ちを見せて!」とハッパをかけられても,自分の思い描いているバレーがここにはないと思うと,「戻りたい」とは思わなかったといいます。

  「私」の辛さはもうひとつ,双子のお姉さんのことでした。あの,無理を強いられた末に,復帰に1年以上もかかる大怪我をしたお姉さんです。このころ彼女は,復帰を目指してリハビリに取り組んでいました。体育館の隅でひとりリハビリに取り組みながら部活の様子を見ていた姉は,「私」に腹を立て,しまいは「あんたが怪我すればよかったんだ!!」となじります。バレーがしたくても,ボールにさえ触れない姉の気持ちも,姉の性格もよく分かっていただけに,「私」の心の中にも,いろいろな思いが渦を巻きます。

  それでも「私」は,「あんな先輩のせいでやめるのは悔しい」と,部活をやめることはしませんでした。それは,「私を支え,応援してくれる仲間がいたから」だといいます。先輩のやり方に腹を立てながら,励まし合い支え合って頑張っていく過程で,同級生同士の絆はしだいに深まっていったのです。

  結局,先輩と私たちの学年との関係は完全に決裂をむかえることになった。先輩が,引退後も,私たちの代の新チームのことについてまで余計な手出しをしたことで,私たちの怒りは頂点に達し,それ以後,先輩が部活動に関わることを拒否する結果となったのだ。ドキュメンタリー番組ができそうなくらい,本当にいろいろなことがあったが,気持ち新たにスタートした新チームでは,みんなが一丸となって取り組んだ。指導者に恵まれなかったことが残念だったが,私たちの代のチームは本当にいいチームだったと自負している。高校時代のバレーボール部の仲間は,私にとって一生大切にしていきたい仲間である。

  さて,この事例は,先輩からの制御的なはたらきかけと内発的動機づけとの葛藤という視点から分析することができますが,ここでは,それではなくて,Part 1 との比較をしてみたいと思います。Part 1 とPart 2,同じように先生が指導から一歩退いて生徒が活動の主役となった場面ですが,内容はまったく違ったものになっています。いったいこの2つは,どこがどう違っているのでしょうか。それとも,そもそも場面がまったくちがっていて比較しようがないのでしょうか。

  もちろん,断定的なことは何も言えませんが,とりあえず2つの場面のちがいを列挙しておきましょう。


観 点 Part 1 の事例 Part 2 の事例
教師の関与度 ・前面には出ないが,生徒の活動に参加し,方向づけたりフォローしたりしている ・まったく生徒任せ? 関与を示す記述が見られない
集団の目標 ・高校祭での成功。
 パフォーマンスは問われるが,大きくて遠い目標なので,プレッシャーはそれほど強くない。
・試合への勝利。
 きわめて明確で近接した目標。明確にパフォーマンスが問われるので,プレッシャーが強くかかる。極端な成績随伴性報酬構造か?
集団の構造 ・各学年から3人ずつが,それぞれの学年の立場から対等に発言し,決定に関与している。 ・先輩と後輩,レギュラーとサブという上下関係が,集団内に強く意識されている。上位の者のみが決定権を持つ。
生徒の意識 ・昨年のやり方を自分たちで変える。自分たちが改善する。 (こちらは推測)
・少なくとも昨年までのレベルを守る。自分たちの代で弱くなったと言われるわけにはいかない。
失敗への意識 ・改善に向けて,どんどんアイディアを出し,みんなで検討する。 ・プレーで失敗できない,許されない。(パフォーマンス志向性と相俟って,失敗回避が強く表れているか?)
失敗や問題への対処 ・参加できない人がいても,他の人がカバー。 ・プレーで失敗した個人を叱責。

  こんなところでしょうか。これらの比較からどんな分析をするかは,ちょっとみなさんに聞いてみたいと思います。もちろん,高校祭指導のやり方をそのままバレー部の指導に当てはめたらうまくいくかといったら,そりゃあ,あまりに乱暴すぎます。スポーツという,本質的にパフォーマンス志向性を伴う領域には,それに見合うやり方があるはずです。どちらが良い悪いではなく,ここでは,どんなところに問題点があるかをきちんと分析することが重要でしょう。

  ちなみに,どちらの事例でも生徒は(Part 2 の場合は「私」),活動に対してある程度の内発的動機づけを持っていて,積極的に参加している人たちであるという前提があります。そうでない人たちについては,また別に考えましょう。

  最後に,Part 2 の「私」が,仲間に支えられてバレーへの内発的興味を取りもどすことができたのは,なによりも幸いでした。

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■ わからなくて当然

  続いて,失敗回避動機の性質を逆手にとった,こんな授業を見てみましょう。

  はじめに,関連する授業の内容のおさらいから。Atkinsonのモデルに沿って考えると,達成動機の高い人は,自分の実力に見合った中程度の困難度の課題に対してもっとも高い意欲を示しますが,失敗回避動機の高い人にとっては,中程度の困難度の課題は,いっしょうけんめい努力しても失敗という結果しか得られなかったときに,自分の能力の低さを露呈してしまう心配があるため,このような課題にはもっとも強い回避反応が示されます。彼らはむしろ,誰にでも解けて失敗の可能性が低い,極端に簡単な課題か,逆に失敗しても,だれがやっても解けないのだと言い訳できる極端に困難な課題を好んで選択する,と予測されます。

  では,実践です。

  ここは高校の定時制課程。毎年35人ほどが入学します。そこに,国語の教員として赴任したこの先生ですが,当初,一般的な生徒の授業態度は以下の通りでした。

  1. 発問があっても,自分で考えようとしない(答えが板書されるまで何もしない)
  2. 理解できたか,出来ないかについての発言をしない
  3. 板書されたもの,あるいは,教科書からそっくり抜書きするものに関しては積極的に取り組む

  赴任当初の授業では,先生の声だけが教室に響き,生徒は先生が話しているときには何もせず,板書や教科書の書き写しのときだけ,手を(手だけを)動かしているという状態だったのです。

  正直なところ,教科書と適度な課題があれば,私が話す必要はまったくなかった。ただし,ここで言う適度な課題とは,「次の読み方をする漢字を抜き出せ」「登場人物を抜き出せ」「教科書の何ページ~何ページまで書き写せ」等,誰がどう見てもその答えにしかならない課題,生徒各自の思考にはまったく関わらない課題のことである。

  ある意味,教科書を書き写せという課題に黙々と取り組む彼らの姿は感動ものだった。しかしそれでは,教員が授業に出る意味がない。ましてや,生徒に力がつくことなどあり得ない。

  さらに,先生は生徒たちをこう分析します。

  定時制の生徒は,他校の生徒に比べ,ある面(服装,授業以外の行動等)において自己主張が激しい。事実,授業時間中でも,雑談となると積極的に私に話しかけてくる。しかし授業に関してはまったく発言できない,そして取り組めない。理由は,間違った発言によってバカにされること,そして,真剣に取り組んだ結果出来なかった場合,これまたバカにされるということを,極端に恐れているからである。

  そこで先生は,一計を案じます。

  第1段階では,T大学やK大学といった有名・難関大学の赤本から,その中でも特に難しい教材を選び,校名をでかでかと掲げて,生徒に取り組ませる。

  校名を添えるのがポイントで,それは,生徒が「~大の問題なんて解けるわけない」「何が書いてあるのかさっぱりわからない」と,素直に「わからない」ということを口にするきっかけとなるのです。

  そんなふうに生徒が言い出したら,先生はすかさずダメ押し。「全日の生徒でも無理だろうね」と教えてあげます。すると,彼らの中に妙に安心した空気が広がっていきます。そしてまた,「わからない」「できるわけない」と気軽に口にする生徒が増えていきます。その状態を利用して,あとはヒントを乱発しつつ,生徒を「なんとなくわかるかもしれない」という気分にさせていくのです。「わからない」=「恥ずかしい」という意識を取り除き,「わからなくて当然」からはじまって,「もしかしたら,わかるようになるかもしれない」という意識を植え付けていくのです。

  第2段階では,同じくT大学やK大学の赤本から,その中でも特に難しい教材を選ぶとともに,その中に数題,記号問題や抜き出しの問題(もしかしたら当たるかもしれない問題)を交え,校名を添えて,生徒に取り組ませる。

  「わからなくて当然」な問題の中で正解することは,「わかった人がすごい」のであり,「わからなくても恥ずかしくない」ということを,意識づけるのが目的です。「わかる」ことが自慢すべきことであり,「わからない」ことは一般的なことであるととらえられるようになれば,この段階では成功。

  このころになると,生徒の授業に対する考え方は,ずいぶん気楽なものへと変わってきます。へんに身構えることもなく,わからないものはわからないと素直に口にするようになります。しかし,ここに大きな問題が生じます。「わからなくても恥ずかしくない」ので,問題の解答を聞いても「ああそうか」「またはずれた」という,クイズ番組の視聴者的な感覚で授業に参加する者が多く見受けられるようになるのです。そこで…

  第3段階では,漢文問題を解く。

  漢文は,ルールを知らなければ単に漢字の羅列に見えますが,ルール(と漢字の読み方)を知れば,意味のある文として読めるので,ある意味並べ替えパズルや暗号解読のようなものともとらえられます。そしていちばんのポイントは,生徒の誰も漢文に接したことがない(接したのかもしれないが,誰も覚えていない)ということです。全員が「わからなくて当然」からスタートして,ルールのマスターの仕方によって,わかる者とわからない者が出てくるわけです。

  わからないのは,自分の「ルールのとらえ方」が間違っていることを示しますが,しかし第1,第2段階を通り,みんなで「わからない」状態からいっしょに始めた彼らの意識は,以前とはちがったものになっています。「わからないから恥ずかしい」のではなく,「わからないから悔しい」というのです。そして彼らは,わからないことをわかるためには,ポイントがあり,ルールがあるということに気づいていくのです。

  まとめると,こうなります。

  1. 自分がわからないことを素直に受け入れ表現できるようになる。
  2. わからないことが普通の状態であり,わかることがより良い状態である,と見方を変える。
  3. わかるようになるためには,ルールやポイントに焦点を当てればよいと気づく。
  そして,こうした意識をクラスが共有したとき,生徒が参加できる授業,生徒どうしが認め合い助け合う授業ができるようになる。ただし,生徒が積極的に参加する分だけ,教員も手を抜けなくなるのだが。

  なるほど。失敗回避動機の強さを逆手にとったこの授業は,誰もが解けない問題をうまく利用して,「わからないのが当然。わかるようになることがよいこと。」という意識変革を生徒に起こさせた実践といえるでしょう。授業では毎年,古い話題を少しずつカットして,なるべく新しい話題を増やしていっているのですが,こういう実践レポートが寄せられると,やっぱり古い達成動機の話もカットするわけにはいかなくなります。うれしい悩みではあります。

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- 長くなったのでPart 2 に続きます -


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