『学習心理学特論』レポートへのコメント

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<2008年度版>
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■ 遅れたわけ

  今年。

  珍しくこのページの作成が年末にまでズレ込んでしまいました。いつもなら,とりあえず評価のページは早めに(といっても10月か11月)作って,「事例編」はじっくり考えながら書いていくことにしているのですが。

  じつをいうと,これにはちょっと大きな理由があるのです。というのも,今年の授業評価で,こんなコメントをいただいたのです。

  レポートの著作権は本人にあります。レポートはあくまでも課題ですので,ことわりなく「Web上に公開」や「講演会のネタ」にするのはやめてください。少なくとも使用する際には許可をとってください。

  こんなふうに書くと,なんだか恨みがましく聞こえるかも知れませんが,そんなことはまったくなく,この指摘は至極まっとうな批判でして,私も反論するつもりはまったくありません。というか,私もこれまでやましさを感じてこなかったかといえば,そんなことはけっしてなくて,むしろかなりアヤシイと思っていたからこそ,レポートの説明の際にあえてあのような説明をしていたわけでして…。まあ,だからといって何の言い訳にもなりませんが。

  といいつつ,ちょっとだけ言い訳をしておきます。レポート公開(するかも知れない)を前提にしているのは,要するに「おもしろいレポートは自分だけでなくみんなで共有したい」という,非常に単純な理由でして,正味それだけでしかありません。最初のうちは,なるべくレポートの具体的内容に触れないようにしながら,全体的なコメントを書いていたのですが,それではやっぱり隔靴掻痒,それぞれのストーリーのおもしろさがちっとも伝わりません。それで,少しずつレポートの文章を引用するようになり,やがては原文に沿ってコメントを入れるようになり…,ということでここまで来ています。それに合わせて,レポートの説明をする際に,公開についてお断りすることを始めたわけです。

  もちろん,ちゃんと一人ひとりの同意を得て公開すべきなのは当然で,修了後何年もたってからの講演でネタに使わせてもらう,というような場合はともかく,少なくともWebへの公開に関しては,基本的にその年度内のことなので,同意をとる手間をかけさえすれば,できないことはありません。

  ただ,正直言って面倒です。

  もっと計画的にきちんきちんとWebに載せるレポートを決め,コメントを書き,公開する,というような人なら,了解を得ることも手順の中に含めて,きっちりやっていけるのかも知れませんが,空き時間を見つけては,今日はこのレポートについて書こう! とかその場で決めて書いているので(もちろん,候補のS or マルAレポートは,ちゃんと分けておいてあるのですが),書こうと決めて→了解を得るために連絡先を調べて→連絡をして→了解を得て→書き始めるという部分の流れが,どうにも待ちきれません。面倒だから省略していいというわけではないのは十分わかっているつもりですが,実感としてはそうです。

  かといって,すぐに連絡が取れるように,受講者全員に連絡先を書いてもらうようにしたら,今度は膨大な個人情報を抱えることになり,それはそれでコワイです。

  おそらく,レポート提出の時に<公開可・不可>を表明してもらうのが,いちばん現実的なのでしょう。この路線をとってこなかったのは,私が<公開したい>と思うレポートと,受講者の<公開可>の判断とが大きくズレてしまったら,きっとこのページを作成している意味が半減するだろうという,根拠のない不安からなのですが,どうもそんなわがままも言っていられないようです。

  私の誤算,というか認識が甘かったのは,レポート公開に関しては,公開されたら恥ずかしいというためらいがあるだろう,ということをずっと気にかけてきた一方で,著作権という問題が真正面からとりあげられることを,あまり想定していなかったことです。ですから,恥ずかしさの部分に対しては,できるだけ個人が特定できないように細かなところを改変したり,肯定的に評価しているレポートのみを掲載するなど,いろいろと配慮はしてきたつもりなのですが,肝心の著作権に関しては,たしかに軽視しているといわれればその通りです。

  さて,わざわざ授業評価に声を上げる人がいるということは,その周りに同じように感じているサイレント・マジョリティが広がっていると考えるのが普通でしょう。とすれば,このページの在り方自体を考える必要があります。授業評価に対する大学への報告(毎回自己批判させられているわけですね)には,先ほど書いた「レポート提出時に<公開可・不可>を表明してもらう」方式での改善を行うと書いたのですが,その後いろいろと考えてみると,問題点を抱えつつこのページを続けることそのものに対して,かなり懐疑的になってきました。このページを作り始めてからもう10年以上になります。原文重視になったのは2001年度からですから,そこから数えてもだいぶ時間がたっています。もうそろそろこのページの役割を終えてもいいのかも知れません。

  そんなわけで,今年はどうにもこのページを書くモチベーションが上がらず,今になってしまったわけです。とりあえず今年は,このページで事例を取り上げるのはやめようと思います。受講者のみなさんにはお約束したのですが,こういう事情ですので,ごめんなさい。

  その他の授業評価についてはあとまわしにして,先に今年のレポートについてコメントしておきます。

ポイント
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■ 今年のBとC

   今年もC評価が1人いますが,これは,レポート説明の時に少しお話しした,研究授業等で使用した指導案の「使い回し」に,おそらくは該当するケースでした。どこかで発表したのであろう指導案を貼り付けて,レポートとして提出したもののように見えました。ですので,分析の観点がまったくこちらの要求とかけ離れてしまっています。全体として眺めると,学習意欲について<も>扱っているらしいことは読みとれないことはないのですが,動機づけに関する専門用語(とくにこの時間で扱った専門用語)はいっさい出てきませんし,それにもとづいた分析もまったく行われていませんでした。そのため,この授業のレポートとして認めていいものかどうか,すっかり悩んでしまいました。それでC評価。

  それからB評価については,ほとんどが,事例に対する理論的分析がもう一歩というものでした。理論との関連に触れてはいるものの,たんに動機づけが高まった・低まったというレベルでの説明,つまりはどの理論でも当てはまるような説明にとどまっているようなケースです。「なぜ」あるいは「どのように」高まったかというのが,それぞれの理論を区別する際に最も大きなポイントですので,そこはきちんと動機づけ理論と絡めながら分析するようにしましょう。

  中には,事例だけ読むと,無条件でAを出したくなるくらいの力作なのに,つくづく惜しいなあと思うものもありましたが,ここはちょっと非情に切り分けさせてもらいました。

  さて,評価がシブいと公言しているこの授業ですが,S評価が導入されてから,だいぶ評価が甘めになってきているように思います。特におもしろいレポートをS評価にできるので,A評価にあまりいろいろな意味を付与する必要がなくなったからでしょう。何か物足りないところがあればB,<とりあえず>要求を満たしていればAというふうに,単純に考えることができるようになりました。そうはいっても,どちらか微妙で,何度も読み返しながらうんうんうなっているレポートは,相変わらずあるのですけれど。

  ちなみに昨年,このページをていねいに隅から隅まで読んでくれた人のためにちょっとした“アドバイス”を入れておいたのですが,そのアドバイスに従ってレポートを書いてくれた人は,ちゃんと全員A評価でしたよ。(もちろん,手心はいっさい加えておりません。…心理学的には,本人がそういっても信用できないのですが…)

ポイント

■ この授業の目標

  さて,再び授業評価です。

   昨年,今年と,授業評価の自由記述欄にけっこう具体的な指摘がいただけるようになりまして,私もいろいろと考えさせられています。その中で,いくつか気になったところについて書いておきましょう。

  その前に,ひとつ確認しておきたいことがあります。毎年,最初の授業の冒頭で,この授業の目的について必ず言っていることです。

  この授業では,human motivation に関する様々な心理学理論について詳しく見ていきます。目標にしているのは,修論で動機づけ要因を扱う可能性のある人たちにとって必要な,最低限の基礎知識を身につけてもらうことです。
  心理学は,実験・調査にもとづいて理論を組み立てる学問です。学校現場でも,動機づけ理論はかなり紹介されていますが,誤解や拡大解釈で広まっているものも見られるので,理論だけでなく,そのもとになっている実験・調査を詳しく見ていきます。それにもとづいて,理論がほんとうに学校現場にあてはまっているのかを,考えてもらいたいと思っています。
  授業の内容はむずかしめだと思います。大学院の授業ですので,入門的な授業は考えていません。

  なんでこんなことをうだうだ書いているかというと,授業評価の観点が,かなり実践的・応用的なので,どうしてもこの授業の目標とズレが生じてしまうからです。評価項目は,学部・大学院とも共通。学部の場合は,教員をめざす学生のために,実践的に役に立つ内容を求められるのはよくわかるのですが,1ランク上の大学院でも,それとまったく同じでいいのかという点では,私自身は違和感をもっています。まあ全学統一の基準ですので,あえて異議申し立てをするものではありませんが。

  それで私も,担当する授業によってある程度は使い分けていて,分担して1時間ずつ担当する授業は,できるだけ実践に近い内容で話をしているつもりです。しかし,この授業は唯一,自分のいちばんの専門領域の話ができる時間なので,わがままを通したいと思っているのです。

  教育心理学界では,ずいぶん以前から「教育心理学の不毛性」,つまり<教育>心理学を標榜していながら,ちっとも教育実践に役に立っていない,という議論があり,私もこの大学に赴任した当初は,どのくらいのレベルに軸足を置いて授業をしたらいいのか,けっこう戸惑っていたのですが,あるとき,現職派遣の院生からこんなことを言われてハッとしたことがあります。

  実践に関しては,大学の先生よりわれわれの方がよく知っている。だから,中途半端に実践的な授業をしてもらっても,すでにやっていることだったり,実際の学校現場では使えなかったりで,ほとんど役に立たない。

  それよりわれわれがここで知りたいのは,背景にある理論だ。われわれは経験にもとづいていろいろな実践をしているが,これでほんとうにいいのかどうか自信が持てないでいる。それを,きちんと理論とつなげてもらうと,帰ってから自信を持って指導に当たることができる。

  なるほど,と思いました。以来,私のこの時間におけるスタンスは,上に書いたようなものになりました。すなわち,教育実践を念頭におきつつも,自分の役割はその背後にある理論と,さらにその背景にある実験・調査をしっかり解説することだと。それを実践にどのように活かすかは,受講生それぞれで考えてもらえば,それでよいと。とくに修論との関わりという視点で考えると,理論や実験と関係なく個人的な見解で教育実践に役立ちそうなコメントをしたとしても,先行研究としては使い物になりませんからね。

  とはいえ,この大学も昔とは変わり,以前は受講生の大半が現職院生だったのですが,今は半々くらいでしょうか。授業で扱う理論とつなげられる実践経験を持っていない人も多く聴講するようになってきました。そのせいかどうかわかりませんが,授業評価に書かれるコメントも,私の授業に対するスタンスとだいぶズレが大きくなってきている,というのが実感としてあります。おまけに,授業評価自体がかなり実践的な方向で質問が組まれていますから,ますます方向性が違ってくるのは,しかたのないところです。

    前置きがずいぶん長くなってしまいましたが,このことを確認しておかないと,反論ばかりでちっとも反省してないじゃないか,と言われそうですので…。  それでは,その他のコメントについて,見ていきましょう。

ポイント

■ レポートを複数回に

  今年,レポート等の課題を複数回出してほしいという要望が2件ありました。これは,これまで一度もなかった要望です。これ,しかしどうなんでしょう。私は,現在のレポート1回だけでも,みなさんうんうんうなりながらまとめられている様子が見えるので,これ以上レポートの回数を増やすということが,みなさんに受け入れられるのかどうか,半信半疑です。私自身は,2回でもいいんですが。

  で,もう少しレポートを複数回にしてほしいという要望の背景について考えてみましょう。これについては詳しく書かれていませんが,おそらくレポートの説明のときに,「評価はシブい」と予告していることへの反応ではないかと思います。1回だけのレポートでは,じゅうぶん力を発揮できないかも知れないではないか,複数回評価することで,もっと実力をちゃんと評価してほしいと。しかしこれは,この授業のレポートのやり方には,うまくあてはまらないのではないでしょうか。

  仮に,今のようなレポートを,前・後半2回提出してもらったとします。前半では,達成動機~原因帰属までで,最も気に入った理論を使ってレポートを書く,後半では,内発的動機づけと自己効力の中で,最も気に入った理論を使う,ということになるでしょうか。Aさんは達成動機系にはあまり思い入れがなかったので,前半のレポートはB。しかし,後半は挽回し,自分でも経験のある内発的動機づけを題材にしてS評価となりました。その場合,最終評価はどうなるでしょう。平均してA? いや,ベストパフォーマンスで評価してくれということなら,Sですか。

  現在のレポート形式だと,授業全体を通していちばん気に入った理論(というかいちばん書きやすい理論)を使って書くよう言っているわけですから,Aさんは内発的動機づけを選んでS評価のレポートを仕上げることができますよね。つまり,2回に分けても同じ,もしくは2回に分けるとかえって時間がとられるし,広い分野の知識が問われることになって,不利になりませんか? 現在は,とにかく15回中1回だけ何か知的興味が刺激された理論があればそれでいいのです。残り14回は,退屈で何も覚えていない,というのでもかまいません。ビビビときた理論は人それぞれでちがうでしょうし,それでその人の実践や研究が何かしら刺激され,推進されればそれでいいのだと思っています。大学院の授業って,そんなものだと私は思っているのですけれど。

  ところで,複数回のレポートへの要望は,ただ複数回にしろといっているわけではなく,評価のしかたも変えてくれということが含まれているようです。お1人のコメントには,「理論ごとに理解度を把握するようなレポート」という提案がありました。たしかに,これなら複数回の意味もあるのでしょうが,私はこのような評価はしたくありません。それは,「学生の何を評価するか」という根本に関わってくるからです。

  ちゃんと考えて提案してくれた人にはとっても申し訳ないのですが,授業で教わったことを,全般にわたって正確に理解できているかなんて,大学院の授業に関しては,私はほとんど興味がありません。まあ,その結果を見て,次年度の授業で扱うネタを取捨選択するためには,大いに役に立つと思いますが,受講生を評価する基準がそれだというのは,ちょっと悲しい気がします。そういうのは,基本的に高校まででいいです。学部でも,教員養成学部は教員採用試験というしばりがあるので,基礎知識の理解度を評価するという視点があるのはしかたがないと思いますが,一般の大学だったら,もっと学生の考え方を問う評価にするのではないでしょうか。

  上にも書いたように,私は,授業で扱った理論のうちたったひとつだけでも,その人の研究や実践を刺激できればそれでいいと思っていますし,それぞれが授業をきっかけにして何を考え,何を得たのかを知りたいと思っています。ですので,少なくともこの授業に関しては,理解度を評価するようなテストやレポートは,考えていません。

ポイント

■ しゃべりが早い

  これはもうおっしゃるとおりで,本人も重々自覚しているのですが,どうも気が緩むとどんどん早口になり,しかも余裕のないしゃべり方になってしまいます。気をつけたいと思います。

  いちおう,私自身の対策としては,早口でしゃべってしまうぶん,だいじなところは意識して同じことを何回か繰り返していうようにしているのですが,そのたびに補足を入れたりしているので,よけいわかりにくくなっているかも知れませんね。また,複数の実験を紹介しているけれど,けっきょくいいたいことはひとつ,というのもけっこうあって,いろいろしゃべっているわりに,だいじなところはそれほど多くはないんですけどね。…またこういうふうに書くと,ぜんぜん反省していないみたいなので,ここはほんとうに反省しています。

ポイント

■ 板書が説明不足・プリントを詳しくしてほしい

  上のコメントは,「授業の方法について」に書かれた自由記述です。正確に書くと「しゃべりが早い。書ききれない。」でした。早口については重々反省しつつ,一方で「書ききれない」という表現に,ちょっと引っかかったりもしています。同じ欄には,「板書が説明不足」とか「プリントをもう少し詳しくしてほしい」という指摘が並んでいます。

  私としては,板書もプリントも,いってみれば,わざと不親切にしています。どちらも,不正確に伝わってはいけない客観的な情報を,正確に伝えるという目的のために使っています。それ以上のものではありません。小中学校の板書のように,要点や結論がきちんと書いてあり,しかもきれいに色分けまでしてまとめてあって,このとおりノートに書き写せば大丈夫っていう板書・プリントは,最初から想定していないのです。

  とくに,実験から何が読みとれるかという結論部分に関しては,できるだけプリントも板書もしないつもりでいます。その分,みなさんに考えてもらいたいし,自分のコトバでまとめてほしいからです。書きコトバで表してしまうと,どうしてもそれを押しつけてしまいますし,学生にとってみれば,それを書き写すだけでわかったような気になってしまうのが,コワイのです。学部の授業で扱うような“古典的な”or“定番の”実験であれば,評価がだいたい定まっていますので,結論部分まで教え込んでもいいのですが,この授業で扱っている実験は,まだまだ新しい解釈が次々に出されるような研究です。だから,「書ききれない」なんていわないで,自分で考えて,自分のコトバでまとめてほしいのですね。自分のしゃべりのヘタさを顧みずにいわせてもらえば。

  いや,おまえの説明不足加減は,そんなレベルをはるかに超えているといわれれば,もう一度反省し直さないといけませんが。それと,図表を読むというような研究スタイルじゃない人たちにとっては,やはり相当違和感があるとは思います。

ポイント

■ 進め方に変化がほしい

授業の進め方に少し変化があると良いと思います。以前行われた内発・外発クイズなど。

  これは私も大賛成なのですが,今年に関しては,私の見方はまるっきり逆です。毎年,私なりにところどころ「変化」を入れているつもりなのですが(努力が両刃の剣になるという問題とか,概念形成実験とかやったと思います),なぜか今年の学生は,そのたびごとにまったく反応なし。私が問いかけると,例年,そこそこボソボソくらいには発言が聞かれますし,「えーっ!?」とか「ああ(納得)!」とかも漏れ聞こえてくるのですが,今年に限っては,それらが皆無といっていいような状況でした。一度授業が始まる前に私語が収まらなかったので怒ったせいでしょうか。

  私はエンターテイナー的資質がないので,ノッてこない人たちがいたらなんとかのせようと意欲がわく,なんてことはぜんぜんなくて,むしろすぐにLHに陥って,もうやめようと思ってしまいます。年によっては,受講生がのってきたらもうひとつよけいにやるとか,次の時間もこれを入れよう,というネタを多少は用意してあるのですが,今年はそんなわけで,最小限しか使いませんでした。

  だから,こういうコメントをいただいてビックリ。なかなかうまくいかないものです。

ポイント

■ 具体的な対処法を教えてほしい

理論だけではなく,具体的な対処法をもっと教えていただきたいです。 ex. どうすれば動機づけが高まるのか…。

  この要望はよくわかりますが,私としては,15時間の中でそれを両方こなすのは難しいと思っています。理論を踏まえてはじめて,こんな対応をという提案ができるので,たとえば前期は理論を,後期は応用として具体的な働きかけを考える,というようなやり方であれば可能だと思いますが,この授業の中だけでやるのでは,どちらも薄まって,中途半端に終わってしまう気がします。

  ところで,理論中心といいつつ,私自身ではけっこう教育実践を意識してまとめているつもりではいるのです。たとえば,中程度の困難度を持つ目標の重要性,努力帰属とそのもとになる成功感の役割,外発的な活動からどのように内発的動機づけを生み出すか,できそうだという期待の重要性など,どれも教育実践に直結する問題だと私は考えているのですが,どうでしょうか。

ポイント

  さて,今年の授業は,いろいろな意味で「例年とはちがう」授業だったように思います。上に書いたように,うるさくて怒ったというのは,この授業でははじめてのことです。ノリが悪いというのも,年々顕著になってきていた傾向ですが,今年はほんとうにみごとな静けさでした。一方でうれしい「ちがい」もありまして,ここのところすっかり低調だった質問が,今年は復活していました。とくに前半は,毎回授業のあとに質問に来る人がいて,いろいろ話ができました。それを聞いて,翌年の話題の提示のしかたを変えたりもしているので,とても参考になります。私は,この雰囲気が大好きです。

  さて,来年はどんなふうにやっていきましょうか。このところの学生の変化に対応しないといけないと思う反面,この授業に関してはもう少しわがままを通したいという“欲望”もあり,4月まで悩みは尽きません。

ポイント




* ここまで読んだ人だけトクをする<おまけ> *
今年もまた,レポートの下調べのために,わざわざここまで読んでくれたあなただけのために,『レポート提出前チェックリスト』を用意しました。全部チェックできたら,きっとA評価確実(かも?)。

pdfファイルですので,印刷して使ってください。チェックしたら,堂々とレポートに添付して提出しましょう。






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