学習心理学特論の
レポートについて
97年度版

『学習心理学特論』(修士:前期金5限)のレポートで気づいたこと

1.レポートはおもしろい

 今年もまた多彩な事例が集まりました。私たち「研究者」は,一般的な理論モデルのレベルでものごとを考えがちなので,国語,理科,社会,音楽,障害児教育と,それぞれの人たちのキャリアを生かした具体的な実践のレポートには,いろいろなことを教えられます。各教科に固有な動機づけの方法があることはもちろんですが,そのほかに,たとえば今年は,画家の初期の作品と晩年の作品との違いは,外的報酬の影響であるという分析があって,なるほどと思いました。似たようなことは,Amabileの研究でも指摘されていますから,これはかなり当たっているかもしれません。また,ピアノ教室を題材にしたレポートでは,幼児は失敗不安から易しめの曲を選ぶ傾向があるという分析があり,これは私たちがとらえている幼児像とはまったく逆でした。その教室でどのような教えかたをしているかを含めて,これについては,もっと詳しく知りたいと思いました。

 さて,今年,最も異彩を放っていたのは,「カラオケ行動の分析」でした。好きではあるが1人では歌わない,人を誘ったりもしない,しかし誘われれば喜んでいくという,一見不可思議な自分の行動パターンを,「有能感」という視点から徹底的に分析してくれました。正確にいえば,内発的動機づけでいうような個人的有能感よりは,達成動機流の他者の目を意識した有能感なのですが,この他者からの働きかけとそれにともなう有能感の変化の様子が,じつにていねいに追いかけられています。

 最後には,この自己分析を通じて自分の計算高さを自覚させられて,複雑な心境であると述べられているほどですから,力の入りかたがわかります。(課題を出した方としては,少し責任を感じますが…)

2.ほんとに「内発」か? (再び)

 今年は,「外的目標や報酬が存在している状況では内発的動機づけは確認できない」ということを授業で強調したせいか,生徒の動機づけの内発性をきちんと考えて(報酬状況が終わった後でも,生徒が自分から勉強し出したというように),慎重に記述してあるレポートが多く見られました。感心,感心。最初のうち,報酬状況での意欲が延々と語られていて,いったいどうなることかと心配していたら,最後に内発的興味が検討されている,といったスタイルのレポートもいくつかあって,けっこうワクワクしながら読ませてもらいました。

 反面,「このレポートは,実験的に条件統制してやったわけではないので,厳密に内発的とは言えないが…」と慎重になりすぎて,当たり障りのないことしか書いていないレポートも中にはありました。もともとそんなに厳密な区別を,私は期待しているわけではないので,このへんはもっとていねいに説明しておくべきだったと反省しています。

 その一方,依然としてその区別がついていない人が,やはりいるのです。う~ん。たとえば大学受験に向けた勉強,たとえばコンクールに向けた練習。こういう状況で生徒たちが「やる気になる」のはよくわかります。しかし,それがほんとうに内発的かどうかは,この状況の中だけでは判断できないのです。けっしてそれが「内発的ではない」というわけではありません。内発的だと確認することができないのです。(まあ,このあたりは研究者でもきちんと区別していない人がいますけど。)

 内発的動機づけと学習意欲・やる気とはイコールではありません。どうかこの2つを混同しないでください。

 さらに。
 「完了する期間を限定し,報酬を予期させたり,はっきり見えるようにする」ことが,内発的動機づけを高めると書いてきた人がいて,これにはまいりました。いったいだれがそんなこと言ってるんでしょう? …悲しいです。

3.文献にあたる必要があるか?

 レポートを読んでいると,参考文献の記述を元に書いている人がいます。授業から発展的に勉強してくれることはうれしいのですが,ときどき,その中の理論が授業で扱った内容とはぜんぜんちがったものになってしまう場合があります。「授業で扱った理論」という制限からすると,これをどう評価するかはいつも悩まされます。ただ言えることは,教科書・入門書レベルの文献ですと,先ほど書いたような,内発的動機づけと達成動機・学習意欲が十分区別されていないといった不正確な表現が多いということです。だから,こういうのを参考にするとレポートも曖昧になります。ご注意ください。

4.「学卒」には不利か?

 ところで,この課題は自分の経験にもとづいて書くことになっているので,「学卒」の人たちにはどうも不利なようです。実際,学卒の人たちは,ほとんど一様に「私は教師の経験がないので…」と書き始めています。これについては,改善の余地があるかもしれません。ちょっと考えてみたいと思います。

 ただ,これは自分が生徒のときの経験でもいいわけで,「現職」の人たちでも生徒のとき(あるいは学校場面以外の,たとえば先ほどのカラオケ行動のような)の経験を題材にしている人がいます。それに,学卒の人たちのレポートを読んでいるかぎりでは,事例そのものはけっこうおもしろいのに,理論的に分析しきれていないと思われるものがずいぶんあります。単純に経験のあるなしの問題では,どうもなさそうな気がするのです。


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