ごくごくうちわ向けの論文用文章講座

文章講座

Last Updated on: 2006.01.13.

< 文 章 >

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一つの段落には一つの主張を (全体)

 1つの段落では,なるべく1つのことだけ主張しよう。2つ以上のことを盛り込もうとすると,散漫になってしまうし,読者が混乱する。特に,真ん中あたりに「しかし」があって,その前後で論旨が180度転換してしまうような段落はいただけない。このような場合は,真ん中で段落を分ける。肯定論は肯定論でていねいにまとめ,その上で次に否定論を,これもていねいに書き込んでいく。その方が,論点がはっきりしていい。

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つなぎ言葉を意識しよう (全体)

 論旨が通っていて説得的な文章というのは,結論とその理由,事実とその分析,他者の考えと自分の考えがはっきりと区別され,それらの関係が明示されている文章である。今読んでいる文が筆者の主張全体の中でどのような位置を占めているのかがわかれば,読者は安心して文章を読み進めていくことができる。

 しかし,ただ文を並べただけという印象の記述が案外多い。子どもの作文で言えば,「○○しました。そして××しました。そして△△しました。…」というような文である。わかったようでよくわからない。読んでいて,次にどう展開するかわからないので,不安になる。

 どうすれば説得的な文章が書けるかはむずかしいが,ひとつのヒントは,「つなぎ言葉」に意識を向けることではないか。文と文とをつなげる接続詞。段落と段落をつなげる文。「したがって」「なぜならば」「つまり」「以上のことから」「具体的に言えば」…。こうしたつなぎ言葉をきちんと入れることを意識していけば,それはきっとその文が「結論」なのか「理由」なのか,「推論」なのか「事実」なのかを見きわめながら書くことにつながっていくだろう。

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それで,あなたは何がやりたいの? (問題)

 先行研究の状況はよく調べてあっても,それが本研究とどのように関連しているのか,あるいは逆に,それらの研究と比べて本研究がどんな独自性を持っているのかが,きちんと書かれていない論文がこのごろ目につく。

 「問題」というところは,あなたの勉強ノートを公開するところではない。自分が調べた先行研究を自慢するかのように,やたらとたくさんの研究を並べたところで,それらが本研究とどのようにつながっているかが何も書かれていなければ,読んでいる方はいい加減うんざりする。

 「問題」は,あなたの主張を展開するところだ。あなたがなぜこの問題に関心を持ったか,この問題がいかに研究に値するものであるか,先行研究のどこに問題があり,どこに発展が見込まれるのか。それらを,説得力を持って最大限アピールするのが,「問題」の役割だ。先行研究は,あなたの主張を補強したり確認したりして,全体的な説得力を高めるために用いられる。あくまであなたの主張がメインであり,だれかえらい人がやった先行研究がメインになるわけではない。自分の主張が何もなければ,先行研究も生きないのだ。

 先行研究ではこう言われている。「だから」本研究ではこのように予測できる。あるいは,先行研究ではこう言われている。「しかし」それはおかしいので,本研究では別の仮説を設定する。というように,先行研究の流れの中で本研究がどのように位置づけられるかを,しっかりアピールすることが重要なのだ。先行研究をもとに,自分がどのような発想をしたのかをきちんと書かなければ,「問題」は冗長なだけだ。

 自分の問題意識を,常に意識しながら「問題」を書こう。 問題意識をどれだけ鮮明に意識しているかは,仮説がどれだけ具体的に設定できるかともかかわってくるし,最終的には,結果の分析がどれだけ首尾一貫したものになるかともかかわってくる。

 「遊園地に行きました。そしてジェットコースターに乗りました。そしてお弁当を食べました…。」みたいに,全部「そして」でつながっている小学生の作文を考えてみていただきたい。こういう作文は,往々にして事実の羅列に終わってしまい,何が楽しかったのか,どういうところが印象に残ったかが,ちっとも読み手に伝わってこない。それと同じだと思う。

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「やられていないから」は理由にならない (問題)

 これは文章の問題というわけではなく,もっと根本的な問題なのだが。

 「先行研究は,ほとんどが大学生を対象としており,中学生については検討されていないので」とか,「従来は数学学習場面が主に扱われていたが,国語に関しては研究がないため」ということを理由に,研究の意義をアピールしようとしている論文にときどき出合うが,「先行研究でやられていない」だけでは,研究の意義とはいえない。やられていないのは,そもそも研究の必要性がないから,かも知れないからだ。大学生の結果がそのまま中学生にもあてはまると考えられれば,また,数学でも国語でもプロセスは同じだと考えられるなら,わざわざ中学生や国語をとりあげる意義は薄い。またその概念が,中学生ではまだじゅうぶん発達していなくて,大学生でようやく大きな意味を持つということもあるだろう。

 たとえば,大学2年生と3年生とを比較したい,という問題意識を抱いたとしよう。たしかに,大学2年生と3年生とを比較しようと考える研究は,ごく少ない。しかしそれは普通,大学2年生と3年生との間に,それほど大きな,しかも学年によって一貫した傾向のちがいはない,と考えられるからだろう。幼児なら,この時期に大きな発達が見込まれるから,年齢ごとに比較したいというのも理解できるが,大学生ともなれば,4年間全体をひとくくりに考えても,そうおかしくはない。

 2年生と3年生ではどう違うか? 7月生まれの人と8月生まれの人ではどう違うか? などなど,細かく状況を区切っていけば,先行研究で扱われていない状況はいくらでも存在する。だが,われわれは通常,そんな細かなちがいには注意を向けないものだ。言ってみれば,やっても無駄だからである。

 しかし,たとえば「職業決定」というテーマでなら,大学2年生と3年生との比較にも意味が出てくる。3年生にとっては,就職が切実な問題となってくるからだ。生まれ月の比較でも,7月生まれの人と8月生まれの人ではなく,早生まれである3月生まれの人と,翌月の4月生まれの人との比較なら,所属する学年がちがってくるから,何らかの意義が出てくるかも知れない。

 つまり,中学生には大学生とはちがったこんな特徴があるとか,中学生では未発達だといわれているが,一部の行動はもう発現しているはずだとか,「中学生を対象とすること」の意義を別にきちんと語ったうえでなら,「先行研究ではやられていないから」というのも,じゅうぶんアピールになる。そうした議論をせず,ただ「やられていないから」というだけでは,重箱の隅をつついているだけにしか見えない。

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直接引用と間接引用 (問題)

 心理学の論文では,基本的に直接引用を用いない。使われるのは,せいぜい用語の定義を述べるときとか,一般とはちがう特殊な主張をしているのを強調して示すときくらいだろう。

 これは,「心理学では,だれが何を述べようが関係ない」ということに通じている。えらい人の言うことを一言一句忠実に記載する必要はまったくないし,かえって冗長になる。だいじなのは,その内容が実証データにもとづいているかどうかなので,実証された結果を,なるべく簡潔にまとめて記述すればよい。だから引用も,必要な部分だけを最小限の文量にまとめて,どんと記述する方がいい。先行研究を引用したくなったら,まずその文章の中で,どこが自分にとって必要なところかを考えて,簡潔にまとめてしまおう。

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引用部分のオリジナリティ (問題)

 実験研究はもちろん,オリジナルな著作物である。ではreview論文はどうか?これもオリジナルである。ところが,どうもそのあたりの意識が低いのか,「AさんやBさんやCさんの研究は,Dさんの仮説を支持している」というreview部分の文面をそのまま引き写して,A~Dさんの研究の出典は示しているのに,このreviewが書かれてある論文そのものの出典が明示されていないものを,意外によく見かける。他の人が書いたものは,内容の種類にかかわらず他の人に帰属しているのであって,あなたのものではない。他人の文章を勝手に引き写してはいけない。

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『結果』と『考察』を分けよう (結果・考察)

 はじめにおことわりしておくと,これは一般的な話ではない。あくまで,まだ論文に慣れていない人のために…という前提で言うと。

 『結果』と『考察』は,別の章立てにしたほうがいい。『結果と考察』というふうに一括する方法ももちろんあるが,お薦めはしない。理由は,実験の結果得られた客観的な事実とそれに対する自分の見解とを明確に区別するためだ。『結果と考察』と一括してしまうと,どうも事実の記述の中に解釈が入り込んでしまう傾向がある。また,後述するような「指標ごとにバラバラな考察」をしてしまう危険性も大きい。けっきょくのところ,『結果と考察』にしてしまうと論旨がグチャグチャになってしまう可能性が大きいと(これまでの経験から)思う。

 『結果』と『考察』を分けておけば,『結果』には事実を,『考察』には自分の見解を,というようにはっきり分けて書くことができるので,論旨が明確になるし,さまざまな指標の結果を総合的に見わたして一定の結論を得るという書き方もできる。

 だから,2つを別の章に分けて書くことをお薦めする。なお,細かい実験を多数行って,最後に『総合考察』を行うような場合など,『結果と考察』としたほうがすっきりする場合もあるが,混乱するといけないのでここでは詳しく書かない。各自の判断でどうぞ。

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有意差の有無が結果のメインではない (結果)

 どうも統計的検定の結果を正確に記述することに目を奪われてしまうのか,ひたすら「有意だった」という記述だけで,どの群間に有意差があったのか,どちらの群が得点が高かったのかがさっぱりわからない結果の記述がある。結果のメインはあくまでも差がどこにどのように見られたかであって,統計はその主張に確からしさを付与するものでしかない。有意だったかどうかだけ書いて,それがどんな差か書いていないのは,したがって本末転倒だ。

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同じ文章を繰り返さない (結果)

 結果を記述するとき,指標ごとに平均値はこうで分散分析をやったらこういう結果になったというのを一段落とし,まったく同じ文面を指標の数だけカットアンドペーストして,指標名と数値だけ入れ替えて書いているものがある。ワープロの普及で,こういう作業が簡便になったせいか。

 しかし,こういう段落構成はいかにも冗長である。ぼくはこういう文面に出会うとその先読まないで飛ばすことにしている。読むのが苦痛だからである。こういう書き方は,書き手の都合だけで読み手のことをまったく考えていないというべきだろう。有意差の傾向が複数の指標で似通っているなら,たとえば「B,C,Dの指標でも同様に,教師コメントの主効果に有意差が見られ,交互作用は認められなかった」と書いて,そのあとに指標ごとのF値を並べればよい。そうすれば,A,B,C,Dとも一貫して効果が見られたのだということが一目でわかる。また,ちがった傾向ならちがった部分を強調して書けばよい。「指標Bだけは他の指標と異なり,群間に有意差が認められなかった」というように。同じ文面を並べ立てるだけでは,何も伝わらない。

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全体と部分の分析に注意! (結果)

 よく,結果を分析するときに被験者全体の分析といっしょに男女別の分析を行っている研究がある。それはそれでいい。しかし,ときどき次のような表記を見かける。

「全体と男子の分析では差が見られたが,女子では差が見られなかった」

これはおかしい。男子と女子で結果がちがっていたら,全体の結果には意味がないからだ。上の例のような場合,「全体の分析で見られた有意差」が何を意味しているか,よく考えてみていただきたい。ほら,意味ないでしょう? 「男子では差が見られたが,女子では差が見られなかった」。これだけでじゅうぶんだ。

 男女の差を問題にするなら全体の分析は必要ない。男女の間に大きな差がないのなら,いちいちこまごまと男女の分析を書き並べるのは冗長だ。どっちにしても,全体と男女別の分析を併記するのはまちがいだと思う。

 もちろん,まず全体を分析して,そのあと部分の分析に進むというのは,ありうる。その場合,部分で結果にちがいが出た時点で,全体の差が無効になったということを頭に入れておく必要がある。考察では,全体として差があったような言い方をしないことである。

 このことは,男女差だけではない。学年差や地域差,尺度得点と下位尺度得点などの場合も,まったく同じである。

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因子分析は得点化を自動化する統計手法ではない (結果)

 因子分析を尺度の妥当性を調べるために使い,それにもとづいて得点化している研究はけっこう多い。ところが,因子分析の結果,2因子とか3因子が抽出されたと述べた後,すぐに各因子の得点にもとづいた分析の記述に入ってしまう論文をたびたび見かける。得点化のことが何も書かれていないのである。どうも,因子分析をすると各因子に .40以上の負荷量を示す項目というのが出てきて,それが自動的に各因子を構成する項目であり,当然それらを合計すると各因子の得点が求められると,誤解しているようだ。

 しかし,因子分析の各因子を構成する項目は,因子分析にかけたすべての項目である。たとえ負荷量.001の項目でも,その因子にいくぶんかの貢献をしているのだ。実際,因子得点はすべての項目にそれぞれの重みをかけて利用している。 .40という基準は便宜的なものでしかないし,それに満たない項目がその因子に無関係というわけではないのである。

 因子分析は得点化の方法を自動的に決定してくれるわけではない。こんな項目がよさそうだよと提案してくれるだけである。そのあと.40以上の項目を使うか.50以上の項目を使うか,合計するか平均化するか,あるいは因子得点を利用するかは,尺度をどのように使うかに応じて,あなた自身が選択することだ。

 だから,因子分析を行ったあとどのように得点化処理をしたのか …因子得点か合計得点か,負荷量いくつ以上の項目を使ったか,合計得点ならα係数も… を,論文にきちんと書いてほしい。

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α係数を求めておいて因子得点を使う?? (結果)

 因子分析を行って,単純因子構造を求めるために,負荷量.4以上を基準として有効項目を取捨選択し,各因子ごとにまとまった項目に関してα係数を求める。ここまではいい。ところがその後,個人得点を求めるのに因子得点(標準因子得点)を算出している研究がある。これは手続きとしておかしい。

 α係数は,単純な加算得点に対して求められるものであり,しかもこの場合は,負荷量.4以上の項目だけを取り出して加算したものだ。α係数は,だから,この一部の項目を単純加算することに信頼性があるかどうかを示している。

 因子得点は,得点化の考え方自体から,まったく異なっている。因子得点は,各因子の得点を求めるのにすべての項目を,それぞれの貢献度に応じて異なる重みづけを与えて合計している。単純加算でもないし,選ばれた一部の項目だけを加算しているわけでもない。したがってこの場合,α係数を求めても,因子得点を利用することの有効性をちっとも保証してくれないのだ。

 合計得点→α係数の路線で行くか,因子得点の路線で行くか,どちらかひとつを選択しないといけない。どちらにするかは,分析方針を立てる時点できちんと決めておこう。そうでないと,途中から分析方針がぐにゃりと曲がっているような,ヘンテコな記述になってしまう。


(もう少し詳しい説明は,「α係数と(標準)因子得点」をどうぞ)

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α係数をちゃんと読もう (結果)

 せっかくα係数を求めても,その数字の意味するところをきちんと受け止めないで使っている研究をよく見かける。たとえば,.5とか.6前後のα係数を報告した後で,「α係数は多少低いが,おおむね信頼できると考え,この得点を用いる」と結論づけている研究。

 α係数の基準は,通常.8と言われている。項目数にも左右されやすいので注意が必要だが,せいぜい譲歩しても,.7台くらいが「おおむね信頼できる」範囲だろう。いろんな卒論・修論そして自分の研究を見てきた経験から言えば,.6くらいのα係数しか得られていない尺度は,まともに有意差が得られなかったり,ヘンな結果を生み出す可能性が,きわめて大きい。結局のところ,無理して分析に含めても,かえって結論を鈍くしてしまうだけという場合が多いのだ。

 .6程度のα係数は本来,項目内容を修正するとか項目数を増やして,もういちど質問紙調査をやり直せ,と指示している数値である。時間に余裕がなくて,1回で質問紙調査を終えてしまいたいのであれば,α係数の低い尺度は,その後の分析から除外してしまった方がいい。内部一貫性の低い尺度に固執しても,結局いいことはない。

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指標ごとに考察しない (考察)

 考察で,1つの指標に対して得られた有意差について述べ,その原因を推測し,次に別の指標に対して有意差が認められた原因を推測し…,という具合に指標ごとに考察を書いている人がけっこう多い。推測した原因は指標ごとにバラバラで一貫していない。それだけならまだしも,お互いに矛盾する原因を平気であげている人もいる。これはまちがいだ。

 考察では,問題で設定した仮説が,実験結果を一貫して説明できるかどうかを検討する。指標Aも指標Bも指標Cも,一貫して仮説に沿った結果であったのなら,それは仮説が支持されたのだし,一部の指標でしか支持されなかったとしたら,何か仮説に問題があった(か,または実験方法に問題があった)のだ。それを確かめるのが,考察の第一の役割。指標Aは理論Aで説明可能,指標Bは理論Bで説明可能,…全部の結果が説明可能です。でも説明のための理論はそれぞれバラバラです。というのでは,何の意味もない。