研究の経緯
タイトル
委員長 大嶽幸彦
 上越教育大学が米日財団から資金援助を受け、米国理解プロジェクトを展開したのは今回が初めてではない。平成3年度から5年度にかけ、国際理解教育の面から実施されていたからである。当時、大学教官でプロジェクトのメンバーを形成していたのは、合衆国で教鞭を取っていたか滞在したことのある教官を中心に、全学的に組織されたものであった。今回のプロジェクトは「米国理解のための社会科教材開発」がテーマで、平成10年度から12年度にかけての3ヶ年計画である。当初、加藤章学長に米日財団からプロジェクトの話が持ち込まれ、合衆国に留学していた教官を中心に、英語を通した米国理解の方向で構想を練って来た。しかしながら、米日財団からの要請で社会科を中心にプロジェクトを組み換えることになり、前のメンバーで残ったのは池内正幸、田部俊充教官のみであった。小生はあとから委員長を仰せつかった次第である。そのため、米日財団の副理事長、東京事務所長、詫摩武雄氏との折衝は池内氏、田部氏を通して行われてきた。
 平成10年2月から4月初めにかけ、連日のように電話、FAXで提出書類、合衆国での行動、講演依頼の件、タクシーでの移動に至るまで事細かな注文が舞い込み、われわれは対応に大わらわであった。このプロジェクトの資金は米日財団の援助であるが、大学への奨学寄附金となるので、教務課・会計課等の事務処理を受ける。そのため、財団に要求した予算項目の執行と国の支出する委任経理金は必ずしも整合しないところも出てくる。例えば、参加者への銀行口座には旅費・宿泊日当等としてかなりの額が振り込まれて来る。それらは航空運賃、ホテル代の他、内国旅費、合衆国内でのチャーターバス、タクシーでの移動費、食費、米国での謝金、会議室使用料などに支出される。しかしながら、国庫金の支出はアメリカ滞在に伴う全体の諸経費を参加者全員に分割して支給する形を取るため、参加者の間に疑念を生み出しかねない点が懸念された。従って、できるだけ領収証を集めながら、われわれは予算の執行を米日財団の書式に則って厳密に行った。本プロジェクトは事前の研究会3回、報告書・ホームページ開設、事業の普及活動などのために事後の研究会4回と、毎月1回は集まることが義務づけられているなど、かなりハードな内容であった。
 学長室での事前打ち合わせの際、事務局長より次の点が注意された。すなわち、上越教育大学の授業科目には「海外教育特別研究」なるものがある。こちらは自己負担でイギリスへ行くときなどは30万円近く払い込む。米日財団のプロジェクトはこれと似た内容でありながら、参加費等の負担はゼロに近いものであるから、参加者の人選についてはクレームのでないようにしていただきたいと。今回は学長を含め教官4名の他、現職の参加者12名に絞ったが通訳の2人については池内教官、通訳の1人と社会については田部教官と小生とで何回も候補者のリストを作り1人ずつ決めさせていただいた。なお、現職派遣の大学院生については事故等の対応につき、2〜3の県教委から問い合わせが何度もあり対応に苦慮した。県によっては米国での旅行期間中、職免(職務専念免除)の処置をとるとのことであった。ということは事故が起こっても県教委としては対応するつもりはないということである。従って、本研修旅行への参加は自己責任となるので多額の海外傷害保険をかけておくよう要請した。