記録編 ボストン
ボストン・フリーダム・トレイル
西頸城郡青海町立田沢小学校 秋山正道
 ボストン・フリーダム・トレイルはボストン市のダウンタウンにあるボストンコモンからバンカーヒルに至る長さ2.5kmの歴史の道である。ここには、合衆国独立革命の中心となったボストンの歴史的遺産が保存されている。訪れた人たちは、フリーダム・トレイルを歩くことによって、合衆国独立の経緯を実感的に知ることができる。コースには赤いラインが引かれている。今回の旅で、私たちはこのラインに沿って全行程を歩いてみた。道に迷うことなく、また、安心して歩くことのできるコースであることも実感できた。次に、このフリーダム・トレイルにある歴史的な遺産を紹介しよう。
グラナリー墓地
 1770年3月5日にボストン大虐殺事件が起こった。数千人のボストン市民がここに5人の犠牲者を葬り、反英感情を高ぶらせてこの通りに満ちあふれた。ここにはこのようにアメリカ独立革命に命を捧げた多くの愛国者が埋葬されている。
 1773年のボストン茶会事件を引き起こし、独立革命のきっかけをつくり、後にマサチューセッツ州の知事になったサミュエル・アダムス、独立革命に一生を捧げたジョン・ハンコック、ポール・リビアも葬られている。
オールド サウス ミーティング ハウス
 1729年に建築家のジョシュア・ブランチャードが新しい煉瓦つくりの建物を完成させた。ボストンでは収容面積が最も広い会議場である。
 ボストン大虐殺事件が起こると、アダムスはここで集会を開き、イギリス軍隊の移転を要求した。1773年12月16日には約5千人の群衆がここに集まり、3隻のイギリス東インド会社の船を攻撃することについて討論した。「自由の息子たち」は茶税のかかった船荷を積み下ろせという命令を妨げることを誓った。英国総督トマス・ハッチントンは反撃し、税関の所員に深夜、それらを強制的に積み下ろすように指示を出した。
 集会は午前10時から夜遅くまで続けられた。ついに、サミュエル・アダムスが秘密の合図を出し、100人の男たちがこっそりと集会を抜けた。顔を黒く塗り、毛皮を身にまとい、インディアンの使う斧を振り回して彼らは再び現れ、「ボストン港は今夜ティーポットとなる」と叫んだ。暴徒たちがそれに続いた。「モホーク(北米インディアンの1部族)よ、奮い立て!斧を持て!そして、国王ジョージに告げよ、我々はもう税は払わないと。」と歌いながら。342個の大箱すべてを港に投げ捨て、「少し塩味のきいた紅茶をつくっ」た。
 本国のイギリス政府はこの茶会事件に厳罰姿勢で臨んだ。しかし、この報復措置に対する怒りは、マサチューセッツのみならず他の地域にも広がって、本格的な独立革命への導火線となったのである。