社会病理からみるアメリカ文化の多様性――
ヘーゼルデン財団
上越教育大学助手 社会系教育講座
葛西 賢太

1 訪問の目的
ヘーゼルデン全容
 米国理解という私たちの大目的に向かって、現時点で満たされていない条件をいくつか考えてみる。すると、米国の民族的・文化的多様性についての情報があまりにも少ないこと、大量の大衆文化輸入の一方で米国の全体像は見えにくくなっていること、世界の産業や経済を牽引するこの国を裏側から支えている文化的遺産や思想運動が見落とされること等々が想起される。この国を文化的に支えている遺産や思想について理解せずに米国をいきなり「見」ようとしているところが私たちにはないだろうか……。 ヘーゼルデンは、アルコールをはじめとする各種薬物等への依存を抱えた人々のための回復施設である。パンフレットでは心身両面の癒しや心の平安といったことが強調されており、「老人ホームのように穏やかな」生活を患者に提供する施設であると思われるかもしれない。それははずれてはいないのだが、しかし、ヘーゼルデンをそれらとは別のものたらしめているのは、後述する思想的背景である。ヘーゼルデンはこの文化的遺産や思想運動の一つとして捉えられ、米国をよく理解するためのよすがとして、現代文化を映し出す鏡として用いることができる。
 民族的・文化的多様性を強調し、語り合うことをきわめて重んじ、個人の平等を尊ぶこと――これらは米国文化の特徴としてよくあげられることだが、これらが実際にはどのような形をとっているか――決して字義通り・建前通りではない――を示すことが、ヘーゼルデン訪問および本稿において私の目的としたところである。

2 立地
フランス系およびカナダ系の人々の
守護者としての洗礼者ヨハネ
ミネアポリス/セントポールという双子都市(Twin City)には、成田からの直行便があるにもかかわらず、東西海岸部の都市と比べて日本人の比率は低い。しかし、著名観光地に伴う喧噪が少ない、暮らしやすい町である。郊外には農作地と湖沼が広がっている。中西部に位置するので冬季には気温が氷点下20度ほどまで下がる(双子都市についての詳細は五十嵐氏・福保氏の報告を参照)。
 ヘーゼルデンはこの双子都市より、州間高速道路35号を北に上り8号線を東にいった、都心部より5,60キロほど離れた郊外の静寂な農村地帯にある。針葉樹と湖沼に囲まれた広い敷地は患者の散策のために提供されている。「ヘーゼルデン」の名称は、土地の所有者であったHazel氏の名から自然に付いたものであるという。1949年に開所してから、ヘーゼルデンは今年で50周年を迎えた。
 アメリカの民族的多様性はこの地からもかいま見ることができる。自身ドイツ系だというバスの運転手は、8号線沿いのさまざまな看板が北欧系の言語で書かれているのを指摘し、このあたりにも多くの北欧系の移民が入植しているはずだ、大柄の男が多いし、と説明してくれた。それはセントポールの大聖堂のような場所からもうかがわれる。祭壇の裏側の回廊には、民族ごとの守護聖者がまつられている。たとえばフランス系の移民は洗礼者ヨハネの守護のもとにある、といった具合である。

3 平等な語り合いの場が持つ意味
薬物やアルコールへの依存(addiction)は、医学的な問題のみならず、社会的・文化的な問題でもある。薬物は人間関係を悪化・崩壊させる。非行や犯罪の土壌となる。一方、男性と異なり、女性の依存の場合には子供の養育等々の多くの問題が絡んでくる。依存症者は家族や仕事や社会的信用を失うとともに個人としても崩壊するにいたる。
 このような依存症に対して、医学的な処方ではなく、「当事者同士が車座になって語り合うことによって治療する」という奇想天外な発想が最初に具体化するのは、1935年、アルコホリックス・アノニマス(Alcoholics Anonymous, アルコール依存症者が匿名で参加できる断酒会、以下AAと略記) の成立をもってである。さらに驚くべきことに、後者は前者に優る回復率を示し、広く知られるようになる。薬物依存という一見身体的な問題の背後に精神的な問題が隠れていたことが明らかになり、AAのことが広く知られるようになると、アルコール以外の薬物への依存や、拒食・過食症、さらには依存症からもたらされる虐待や不和などの家族の問題についても、(医師や専門家が主導権をとるのではなく)「当事者同士が車座になって語り合う」というスタイル(セルフヘルプグループと呼ばれる)がひろくとられるようになる。
 かつてクリントンが大統領選のスローガンとして、「変えていく勇気(courage to change)」という、AAの文書にある一句を用いたとき、聴衆からは強い賛同の声が返され、彼を大統領へと押し上げたのだった。AAの思想が人口に膾炙して人々の心に響くような状況があるのだ。ヘーゼルデンはこうした動きを受けつつ、それを医学的治療の専門性と結合させ、依存症の全人的(また全-家族的)治療を可能にした施設として広く知られている。当初はボランティアが苦労しながら維持していた組織を、安定した基盤をもった財団へと昇格させたのである。
 米国の繁栄という「光」と、薬物依存の広がりという「陰」の対比自体も興味深いが、ここではむしろ「語り合う」ことの重視と、「専門家よりも当事者が主導権をとる」ことに注目しよう。
 米国は多くのエスニシティから由来するが故に、以心伝心ではなく語り合うことをなによりも重視する文化である。依存症者が口を開くことによって理解されることを求めるというのも、かの国の文化に深く根ざした伝統の現れなのである。
 一方、当事者が主導権を握るということは、教室・授業という概念を再検討するうえで重要な示唆を含んでもいる。たとえば教育工学者レイヴとウェンガーによる研究では、AAを学校・教室と比較するという大胆な試みが見られる。AAのような集団において、新参者が徐々に運営の本質に関わる重要な役割を任せられるようになるにつれてベテランとなり、実際に運営を左右するようになっていく、というプロセスを、彼女らは二つの視点で見る。それは、個人に焦点を当てればこれは学習して発達し社会化をとげていくプロセスであるとともに、集団に着目すれば人間が参入し引退するプロセスによって形成するサイクルは、学校や教室を高度に抽象化したモデルと捉えられる。二つの視点を「正統的周辺参加(Legitimate Peripheral Participation)」という概念で総合しながら、個人の成長/集団の維持と更新という二つのことが同時に自然に達成されている理想的な学びの場を、彼らは示してみせる。

4 レクチャーおよび見学ツアーの概要
1999年8月3日、午前9時にヘーゼルデンに到着。担当のアンダーソン女史(Loretta Anderson)に面会の後、カウンセラーのライト女史(Marsha Wright)による講義があり、続いて施設を案内していただく。昼食をここでとり正午に出発というスケジュールである。なお、患者のプライバシー保護のため、写真・ビデオの撮影、録音などの要望はすべて謝絶された。講義の要旨を以下にまとめた。
 ヘーゼルデンは、アルコールや薬物依存、また機能不全家族(家庭内の虐待や暴力等の問題を抱えている家族)などに対する処方を提供する。そのための施設および回復プログラムの概要の説明がまずなされた。私たちが見学した本部施設の他、12歳から24歳までの若者のための施設、女性と子供のための寮、問題のある家族のための家族支援センター(Family Support Center)、退院後社会復帰までの足がかりとなる中間施設、依存の治療だけでなく生き方のリフレッシュのための場所としてのリニューアル・センター(Renewal Center)などがヘーゼルデンに所属している。精神的なリラックスは身体的な変化からという考えに基づき、充実した運動施設もある。
 患者はホームレスから大会社の経営者までと多岐にわたる。共通するのは、英語を話せることだけである。彼らは男女別に小さなグループに分けられ、定期的に講義を受け専門家との面談をもつ。心理学者や精神科医がチームを組んで、気分の抑鬱や食事の状況をチェックする。このような、身体的医学的なケアに加え、ここでは「ピア・インタラクション(peer interaction)」という、仲間と一緒に過ごし関わり合うことが重視されるが、それはプログラムが既述したAAの語り合いの伝統を引き継ぐものであるからだ。「対等な関係で深く関わり合う仲間」を意味するピアの語は、依存症という社会病理への取り組みの中で、専門家による治療に代わる当事者自身による回復という新たな含意をもつに至っている。
ヘーゼルデンのホームページ
 継続したアフターケアは不可欠であり、患者が帰宅した後は30日・60日・90日目にそれぞれ連絡を取って状況把握を行っているとのことである。問題のヒアリングのために電話や手紙、情報の提供のためにパンフレットや書籍、長期的なフォローのためにAAのようなグループを活用している。ホームページを介しての電子メールによるフォローもある。グループに行き、つながれて、継続したケアを受けることが重要なのだ。依存の問題は容易に再発し、一生切り捨てられないものなのだから。そして、依存症のために失った多くのもの――家族、仕事、社会的信用その他――を取り戻すことが重要だから。
 患者以外とのかかわりももちろんある。アカデミックな側面として、カウンセラーのトレーニングプログラムを提供し、修士号(Master for Addiction、依存症治療士といった訳が可能か)を授与するプログラムがある。一方、患者と専門家のみのためにヘーゼルデンはあるのでもなく、コミュニティの多くの人々にボランティアの場を提供してもいる。
 質疑は治癒率、滞在費用、女性の依存症者の比率と女性の依存症固有の問題等についてなされた。費用は所得に応じた減免や保険等を考慮に入れても決して安価ではないものだった。また、女性の依存症者の場合、彼女の子供をどう養育するかなど、厄介な問題が存在していることが多く、その場合は子供も含めた、あるいは夫等々の家族ぐるみでの治療を行うのだと説明があった。そのために既述した家族支援センターや母子寮などがあるわけだ。

5 まとめ
冒頭にのべたような意図をもってこの場所を訪問地の一つに加えたわけだが、それにどんな反応があったかを述べて結語としたい。今回の参加者の多くがいる新潟県では、まだ若者の薬物の問題は差し迫ったものとなっていないのかもしれない。しかし、家族がその機能を完うできなくなってきているという現代的な課題、それに対してヘーゼルデンが一つの答えを提示しようと努力していることには、共感と関心を示された方が多かったことをあげておこう。
 興味深いのは、ヘーゼルデン財団のような組織がよって立つ文化的基盤である。民族的・思想的にさまざまな背景をもった人々が力を合わせてボランタリーな組織を作ることは容易なことではない。それを成し遂げただけでなく、そのような組織がもつ不安定さは長期的な治療や回復を視野に入れると好ましくないために、財団という基盤を苦労して確立する努力がすばらしい。かたや我が国では、1998年12月に施行されたNPO法に対するボランティア団体の反応は不十分で、関心の面でも経験や実力の面でもかの国のそれに遠く及ばないというのに。米国市民の公共心の凋落を述べる論者は多く、私もまた米国を手放しで肯定する気は毛頭ない。けれども、このような努力を払う人物が輩出し、そして多くの人々の協力を受けて努力に実を結ばせることのできるこの国に、私は畏敬の念を隠すことはできない。

<参考文献と註記>
Jean Lave and Etienne Wenger(1991): Situated Learning: Legitimate Peripheral Participation Cambridge University Press =ジーン・レイヴ、エチエンヌ・ウェンガー(佐伯胖訳、1993):『状況に埋め込まれた学習――正統的周辺参加論』産業図書。
Damian McElrath (1977):Hazelden: A Spiritual Odyssey, Hazelden.

ヘーゼルデンの連絡先は以下の通り。
Hazelden Information Center / Admissions, Center City, MN, 55012-0011,U.S.A.
電話:1-800-257-7800. ホームページ:http://www.hazelden.org/
ヘーゼルデン財団が刊行している依存症についてのパンフレットのいくつかは、みのわマックによって日本語訳が刊行されている。ヘーゼルデン自身は、日本語の文書や日本語のツアーを提供してはいない。みのわマック連絡先は、〒114-0023 東京都北区滝野川7-31-7 電話03-5974-5091。


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