上越教育大学米国理解プロジェクトは、1998年4月から3年計画で「米国理解のための教材開発研究」をはじめました。1年目の研究代表者は、加藤章前上越教育大学学長でした。この3年間、教材開発のための研究計画、英文でのプロポーザルの提出、書き直し、現職教員の公募(1年度:12名、2・3年度:16名)、研究会の開催と事前指導、米国側との交渉、事前調査、本調査、事後研究会の開催、報告書の作成、ホームページの作成、シンポジウムの開催、業者との交渉、大学事務局との交渉、財団事務局との交渉……といった一連の活動が3年間途切れることなく続き、今やっと3年目の総括、という時期に入ってきました。
 98年にこのプロジェクト着手した当時は他に進行している大学がなく、94年から96年の東京学芸大、92年から94年の広島大の概要を大変参考にさせていただきました。また、東京学芸大の三浦先生をはじめ、多くの先生方にご助言を頂きました。毎年大嶽先生に相談しながら計画書を書きましたが、英文表記に慣れていないためか何度も書き直し、書き直す度に詫摩所長及び英語担当の池内先生に、2年目、3年目は我妻先生にご迷惑をおかけしました。特に、この段階での調査費用の見積もりが厄介でした。3月末に仕上げる段階で、8月の調査の項目ごとの正確な見積もりを算出するのは至難の技でした。とりわけ、1年目は夏にかけて大幅な円安となり、冷や汗ものでした。
 アメリカでは、旧知のデュケイン大学(ピッツバーグ市)のハトラー先生に3年間ともお世話になりました。1年目の学校見学、2年目のホームステイ、3年目の学校見学をこちらの申し上げる予定日に合わせて実施していただきました。ピッツバーグは人情に厚い人が多く、どこでも大歓迎していただいたことは良い思い出となりました。
 私にとっては、1年目の麻田正明氏、そして2年目、3年目の葛西氏との下見も大変な思い出が残っています。本調査と違い、期間が短い、土地になじみはない、バスはチャーターできない(流しのタクシーはほとんどないので公共交通機関しか使えない)と様々な悪条件の中で、2人3脚で下見を決行できたのは、奇跡としかいいようがありません。1年目にワシントンD.C.で1泊しかできず、麻田氏と二手に分かれて急いで調査し、昼に空港に行こうとしたら手配が間違っていてかろうじて飛行機に間に合わせる、といった芸当や危険と隣り合わせのハプニングの連続でした。
 本当に大変なプロジェクトでしたが、教材化という点からみると勉強になりました。それまでの私の訪米は学会開催地への往復に過ぎず、アメリカを点でしか理解できていませんでしたが、このプロジェクトを通じ、アメリカの産業・文化・歴史等など幅広く知ることができました。このことは参加した多くの先生方も同じ気持ちであったと思います。
 最後になりましたが、本プロジェクトの活動を支援し懇切丁寧に指導してくださった米日財団東京事務所長詫摩武雄氏、通常業務以外の多くの書類で煩わせてしまった上越教育大学事務局の方々、貴重なアドバイスを含めていつも励まして下さった大澤健郎上越教育大学学長に心から感謝申し上げます。また、協力して下さったプロジェクトの先生方にこの場を借りて御礼申し上げます。
(田部 俊充)