異文化理解を知った旅        152051B 北市 ゆか

 

 海外教育研修。私はもう大学に入る前から絶対に行きたいと思っていた。知っている人が一人もいなくても行く覚悟だった。行けば絶対に自分にプラスになると信じていたからだ。そして実際、今回の研修は私の予想以上に本当にすばらしいものになった。

 私は今回、海外に行くのは初めてだったので、見るもの、聞くもの、食べるもの初めてばかりで、その全てに感動し、思うことや感じることがたくさんあった。その中で私が強く感じたことは、端的に言うと「異文化理解」ということだ。この言葉を知らない人はあまりいないと思うが、この言葉の意味を本当に実感できるのは、文化のちがう土地へ行き、その土地の風土や文化を体感した人だけだと思った。他の文化のことをテレビで見たり本で読んだりして、頭では何となくイメージしていたとしても、その土地へ行き体感したほうが何倍も何倍もその文化を感じることができるし、その文化について多くのことを考えることができる。当たり前かもしれないが今回の研修でそのことがよく分かった。よってここからは特にウエストミンスタースクール訪問に絞って私が感じたことを書いていきたい。

 この研修の目玉ウエストミンスタースクール訪問。その敷地へ入った瞬間、建物や空間のセンスのよさや敷地の広さ、整然と植えられた大きな木々など、その雰囲気に飲み込まれた。私もこんなところに通いたかったと本気で思った。そんなところに通っている子ども達(日本でいう幼稚園から小学校高学年までの子ども達)はというと、私には、小さい子なりに一人一人が自己をしっかりもっていて自分の考えや信念をもって行動していたように見えた。それは向こうの教育が自立を目指したものなのかなとも思ったが、(それもあると思うが)よく考えたら日本でもそうかもしれないと思った。むしろどこの国でも子どもはそうかもしれないと思った。大人になると、いい意味でも悪い意味でも、世間や社会の既存の考え方に染まってしまうところが必ずあるが、子ども達はまだ純粋に自分の考えをもっている。そういうことを教師は分かって接していかなければならないのかなと思った。それから私達を友達のように暖かくむかえてくれた。話したのは一部の子だけだし、一人でいる子や、友達同士でいる子も勿論いたが、全体的に明るい子が多く近くに行くと積極的に話しかけてくれる子が多かった。それは休み時間の話だが、授業中も休み時間と同じように子ども達の目が輝いていたことに私は驚いた。教室が強制的に勉強させられるところではなく、ちゃんと学びの場になっていた。休み時間は日本と同じで楽しい時間。しかし授業にも興味や関心があるようで積極的に参加していた。寝ている子なんて一人もいなかった。何故か。私は授業を見ていて思った。おもしろいからだ!と。私が見た授業はどれも活動的で、子ども達が作業をすることが多いように工夫されていた。そして黒板をほとんど使っていなかった。日本では黒板を使って先生の話を聞くだけという授業が多い。それを悪いとは思わないがそれだけでは子ども達は疲れてしまう。もっと子ども達が楽しめる工夫した授業を日本でも取り入れていくべきだと思った。

 そしてまた日本と比較して私が大きく違うと感じたとのは、教師の考え方の違いと教師と子ども達の関係についてだ。まず教師の考え方について。子供たちのことを考えて授業をしているという点は両方とも同じだが、ちょっとした問題が起きたときにウエストミンスターの教頭先生は「All things is possible」といって規則にとらわれずその場その場で対応していた。他の先生方も同じ感じだと見た。日本だとまず規則があり、その規則に絶対的に子ども達を従わせ、型にはまったこと以外のことはしようとしない。そして校長や教頭など管理職の人ほど頭が固いというのが一般的だ。ウエストミンスターでは全く逆だった。規則は大事だと思うし、基準となる考えがあってもいいと思うが、それにとらわれすぎてはよくない。私はウエストミンスターの先生方のような考え方が好きだしその方が子ども達のためでもあると思う。こういう柔軟な考え方は日本の足りないところだと思うのでもっともっと取り入れていけたらいいと思った。また教師と子どもたちの関係は友達のような感じだった。信頼しているが何でも話せるという理想的な感じだった。

 そして誰もが大なり小なり感じたことだと思うが、英語の話せなさをとても痛感した。書道の授業をした時も休み時間も、子ども達が質問したり話しかけてくれたりした時に、上手く聞き取れず答えられないことが、とても申し訳なく情けなかった。日本に帰ったら「話せる英語の勉強」をしようと思った。今回の研修で日本に帰ったらしようと思ったことはもう二つあって、一つは、ここまで日本の教育について比較的けなしてばかりきたが、日本だっていいところもたくさんある。日本の良さを他国の人に紹介できるようもっと日本を知ろうと思った。そしてそれとも関係したことで、特にバスガイドさんの話で思ったことが、もっと歴史を勉強しよう、ということだ。人が住んでいる土地があったら、そこにはそれまでの歴史があり、それがあるからこそ今がある。そのことが何だかとても重要なに思えた。そこで自分の町からはじめて、広くには日本の歴史、世界の歴史と時間があれば勉強しようと思うようになった。

 今回の研修、本当に行ってよかった。観光も一つ一つの場所がとても素敵で感動したし、一つ一つの思い出が私の宝物になった。またもっといろいろな国へ行っていろいろな文化に触れたいと思うようにもなった。私の異文化理解の旅をこれからも続けていきたい。

 

 

     My Unforgettable Memory in Australia       保健体育コース2年  稲葉健

 私と加藤先生だけが2年連続で、海外(特別)研究としてオーストラリアを訪問した。周りの友人からは、「また行くのか?」と何度も言われた。参加を決意する前には、お金や、時間の問題が頭を悩ませていた。しかし最終的に私に参加を決意させてくれたものは、昨年のウェストミンスターの子どもたちであった気がする。あの元気のいい、あの笑顔の素敵な子どもたちを思い浮かべると、オーストラリア研修をあきらめることはできなかった。確かに昨年とほとんど同じプログラムである。しかし広いオーストラリア、きっと昨年とは違った発見ができるはずだ。そう確信していた。

 今年の私たちの研修のプログラムとして、当初から、「ウェストミンスターで授業をする」という目標が掲げられた。書道、バスケットボール、竹とんぼの3つであったが、私はバスケットボールのプログラムに参加した。また私自身、昨年の体験や反省等から、今回の研修では、この「授業を通じての子どもたちとのコミュニケーション」を特に注目してみてきたいと思っていた。

昨年、私は、「失敗を恐れない」という言葉が見事に当てはまる、オーストラリア人のコミュニケーションのとり方に驚かされた。どんなに小さな子でも、「Try Again」という気持ちを持っていた。一方私たち日本人は、ウェストミンスターの子どもたちに囲まれた瞬間、無口になり、顔が引きつった。英語を話すことができる、できないにかかわらず、私にはTryしようという気持ちがなかったのである。そんな反省から1年。子どもたちと最もコミュニケーションをとるために最適な場は授業であると考えた私は、バスケットというスポーツを通じて、どれだけ自分ができるのか、また成長できたのかを試してみたかった。

つい3日前に落成式を終えた真新しい体育館で授業が始まった。しかしこれも偶然であろうか。最初に私たちが受け持つことになったクラスはYear5、日本でいう小学校5年生にあたる。しかしこのクラス、昨年私たちが最も仲良くなったクラスだったのだ。中には、日本へ手紙を書いてくれた子もいた。昨年の写真を見ながら早速会話が弾んだ。授業中も常に何かを話しかけたり、質問したりするように心がけた。ゲームをしているときには、ほかのチームを応援したり、さらに時間があれば、バッグの中にあった、私が日本から持っていった、「金閣寺」や「富士山」の絵はがきを見せ、その説明をした。そこで子どもたちは私の話す単語一句聞き逃すまいと、身を乗り出して聞こうとしていた。こうした態度も私たちは見習わなければならないと思う。コミュニケーションをとろうとするときに、伝えることも大事であるが、聞くこともとても大事なことである。スポーツ交流の授業はそういうことを子どもたちから教わっているうちに、あっという間に終わってしまった。

人間とは面白いもので、自信がつくと、次から次へとTryしようという気持ちになるものである。授業では完璧な英語でなく、単語を並べたり、ジェスチャーを使うことで、私が伝えたかったことの大半をわかってもらうことができた。「こんな簡単でいいのだ」と気付いた私は、自然とランチタイムに子どもたちの輪に入っていくことができたし、昼休みにサッカーを楽しむことが出来たのだと思う。

ウェストミンスターで最もExciting!だったことは、なんといっても朝の朝礼のスピーチであろう。まさかあんなたくさんの子どもたちの前で話すとは・・・。200人以上はいただろうか・・・。教育実習でも経験したことがない場面で、さらに英語でスピーチをしなければならないのである。今になっては、あの時何を言ったのかは覚えていないが、これもある意味、一生のうちに一度できるかわからないくらいの貴重なコミュニケーションの体験をさせてもらったと思う。

2日間のウェストミンスターでの研修の中で、異国でコミュニケーションをとるときの自分が、少しだけ成長したのだ、ということを確認することができた。Don’t have a shame. Try again and again! これが会話をするときの合言葉であろう。

 

その後の研修も実に有意義に行うことができた。カンガルー島の自然に感動し、シドニーの町の大きさや美しさに感嘆した。移民によって、オーストラリアがどのように発展していったのか、オーストラリアの文化も学ぶことができた。また、新たに一つの課題ができた。もし私が教師になったとき、今回の体験をどう子どもたちに伝えていけばいいのか?
コミュニケーションをとることの面白さ、難しさ。これらをウェストミンスターのような活気あふれる教室で教えたい。

帰国してすぐに、実家のパソコンにオーストラリアの子どもからメールが届いたという。この子とも、一生連絡をとりあえるようなBest Friendになりたい。

最後に、オーストラリア研修を共にした、スタッフの方々、院生、学部生の皆さん、教務の方々、本当にありがとうございました。



 「オーストラリアが与えてくれたもの」   学部1年  B1クラス  武内 佳那恵

 

 「将来の自分のためになると思うんやったら行っといで。出せへんお金を出すわけじゃないんやから。そのかわり、払った額以上のものを身に付けて帰ってこなあかんで。」

 これは海外教育(特別)研究の参加申し込み締め切り前日の夜に母から言われた言葉だ。私は、この言葉を聞いてオーストラリアへ行くことを決心した。

 それまでは行きたい気持ちが半分、行くのをやめようと思う気持ちが半分だった。海外の教育現場を覗いてみたい、しかし、そのためには莫大な費用が掛かる。就職は日本でするのだから、海外の教育制度よりも日本のそれについて学んでおくべきではないのか、でも、海外の学校で授業を行うようなきっかけなど、この先、生きていて滅多に無いだろうし・・・・・・。と、こんな風に優柔不断な私は、締め切り直前までオーストラリアへ行くか行かないかを迷っていた。迷った挙句、たとえ教育に関する何かを得られなくとも、人に語れる話のネタになるものが得られるならばそれでいいや、と思い、参加を決心した。

 ところが、オーストラリアに着いて、ウエストミンスタースクールを見学したり、アデレードのスーパーへ行ったり、公共交通機関(路線バス、電車、モノレール)を利用したりしているうちに、話のネタどころではないような、とてつもなく大切なものを得てしまった。

 それは「今の自分に何が必要なのか」ということだ。つまり、今の自分に足りないものが何なのか、を知り得たのだ。今の自分に足りないものは、たくさんあったが、特に大きなものであった3つについて語りたいと思う。

 まず1つめは「英会話力」であった。これは参加者の多くが実感したことであろう。

ウエストミンスタースクールでは、竹とんぼを作って遊ぶ授業のアシスタントをさせて頂いた。1回目の授業は、緊張していたせいもあったのか、自分から子どもたちにどうやって声をかければいいのかが分からなくて怖かった。そこで、同じグループの人たちを観察してみた。どうやって子どもに話しかけているのだろう、と思いながら。2回目の授業(1回目と同じ日)は、先ほどの観察を生かして子どもたちに近づいてみた。が、しかし、私と子どもたちの間には、「言語」という大きな壁が立ちはだかった。私が子どもに近づくことは出来ても、子どもは言葉の通じない私から離れていく。子どもたちをアシストしようにも出来ない。これはものすごく辛いことだった。何のためにオーストラリアへ来たんだろう、と悔しくて悔しくて仕方が無かった。

そんな1日を過ごした日の夜、私は翌日に行われる最後の授業に向けて英語の予習をした。授業で使えるであろう単語と、言いたかったフレーズとを電子辞書で調べて頭に叩き込んだ。子どもたちと会話ができることを望みながら。

 そして向かえた3回目の授業。前日にやった予習は私にとって良い結果をもたらした。ほかの人と比べれば、少ししか子どもと話せなかったかもしれないが、以前の自分と比べれば、かなり会話が出来た。今度は嬉しくて嬉しくて仕方が無かった。

ウエストミンスタースクールの子どもたちとだけではなくカンガルー島でのバスドライバーのマイケルや、パスタが美味しかった店の陽気なコックさんや、地元の雑貨店の女主人たちとも話がしたかった。みんな、私たちに、まるで近所の子どもが遊びに来たかのように、笑顔で話しかけてくれた。それがすごく嬉しくて、何とかして自分の気持ちを言葉にしようとしたのだが、ちょうど良い単語やフレーズやセンテンスが浮かばなかった。中学・高校と、今まで必死に覚えたものは一体何だったんだろう、と、心の底から悔しかった。

こんなことがあって、これからは英語の勉強よりも「英会話の勉強」をしなければ、と改めて思った。そしてこれからの英語の授業もそうあるべきだと感じた。

次に2つ目は「即興で何か芸をやれる力」である。今回の(特別)研究には、私を含めて6人の上越教育大学混声合唱団員が参加していた。そんなわけで、ウエストミンスタースクール訪問3日目の朝礼の時に、全校生徒の前で「さくら」の輪唱をすることになってしまった。私は歌が下手なので、上手くなりたいと思って合唱団に入団した。だから、まだ全然上手く歌えないのに、時間がなくて練習もあまりできず、発声のための準備運動も無しで、朝っぱらから歌った。なので、私は大きな失敗をしてしまった。そのせいで、「さくら」の輪唱は私たちの苦い思い出として残ってしまうことになった。

私は合唱団のほかにも、上越教育大学管弦楽団に所属している。せっかく、日ごろから歌や、ヴァイオリンや、クラリネットの練習をしているのだから、「何かやって」と言われたら簡単なものでいいから、ぱっと人前で演奏できるようにしておきたい。楽器や歌じゃなくても、人に見せられるような一発芸(こう言うと飲みの席のようだが)や、聞かせられるような面白い話を持っておきたい。即興でやれるようにするためには、これからも「急がず、焦らず、休みなく」で練習を続けねばならない。練習に飽きてだらけた時は、このことを思い出して頑張ろうと思う。

最後に3つ目は「何でもやってみようとする姿勢を忘れない」ことである。今まで生きてきて、何か物事をする前から失敗や過ちを恐れて、結局何も出来なかった、ということが度々あった。今回の(特別)研究も、締め切りの直前まで参加しないでおこうと思う気持ちがあったし、申し込みをした後でも「無事オーストラリアへ行って、日本に帰ってこられるのだろうか」などと、つまらないことに悩んだり心配したりした。結局、行って帰ってきてみれば、心配していたような一大事も無かったし、今ではもう一度行ってみたいとさえ思っている。

何事も、やってみなければ分からないものである。「怖そうだから」「面倒臭そうだから」などと言って何にも手をつけずにいれば、私の大学生活における目標の1つである「人に語れる過去を作ること」なんて到底出来やしない。普段から頭では分かっていたことではあるが、今まで実際には、物事に積極的になれずにいた。今回の(特別)研究では、「やってみなければ何も始まらない」ことをしみじみと感じさせてくれた。

オーストラリアで過ごした日々は、今の私に足りないものだけでなく、他にも多くのものを与えてくれた。幾つか挙げると、言葉の通じる喜びや、お米の美味しさ、箸を使うことの難しさ、オーストラリアの土地や自然の規模の大きさなどなど・・・・・・。私はそれらを思う存分体で味わい、実感することができた。(特別)研究に参加して、本当によかったと思っている。

一緒に参加した学部生・院生の方々(特に、同じ3班「竹とんぼ」の学生さん)、引率の先生方、教務課の方々、オーストラリアで出会った人々、そして、私の家族へ。

ありがとうございました!!


 

「 右回り・左回り」       学習臨床コース 1年  桃原千英子

 

 海外教育特別研究は海外の教育に触れ広い視野を持った学生を育成する目的で、加藤先生・庭野先生が引率者となり秋期休業期間に行われる。今年は昨年同様オーストラリアはアデレードのウエストミンスタースクールで、授業参観と日本文化の授業をさせていただいた。幼稚園から高校まで一貫教育の私立校だ。空港に降り立った私達を、視野の7割を占める大空と野生動物との共存社会が迎え入れてくれた。滞在中印象的だったのは風呂場の排水溝に勢いよく流れる水が、反時計回りに吸い込まれていく事である。衝撃を受けた。南半球の知識として頭の中にそれなりのイメージは描いていたが、想像するのと実際に見るのとでは全く違う。水が左回りに流れることに対して無意識の内に変だ、有り得ないという受け入れがたい奇妙な違和感を覚える、そんな自分自身が衝撃だった。私達の体や脳がいかに常識に浸かり行動を左右させられているか、そして「非・常識」を受け入れる体の態勢そのものが出来ていないかを知った。

 今回のウエストミンスタースクールの授業参観もそれまで持っていた常識を改めて見直す良い機会になった。行われていたのは相互交流・活動中心の授業である。私自身生徒の活動が多岐にわたる総合学習ではその準備の手間や指導の難しさを感じていたので興味が有った。机で作業する児童、怪我のためパソコンを使う児童、ブルーシートを敷いて色塗りする児童など個に応じた学習が気負いなくごく普通に静かな中で進行するのは魅力的であった。また担当した書道の授業では黒板に貼りすぐ説明できるように短冊を用意していたが、授業を行った美術室には黒板が無く急きょ手で持って説明することになった。生徒と教師との机の距離も近く、壁一面には教師自筆の絵が描かれ教室全体がアート空間であった。美術室に黒板が有るのを当然と思って疑わない所に、型に縛られた日本教育の一端を垣間見た気がした。授業は小学生の一部しか見ていないが、どのクラスの生徒も躾がしっかりなされていて、時と場所をわきまえた行動で無駄な私語が無い。男女分け隔て無く困っている友達に自然に手を差しのべる品格も備わりそれを冷やかす雰囲気もない。自分の行動に責任を持ち、生き方に自信を持っている様子が伺えた。教育は型ではなくその奥にある人々の精神や文化と一体であり、学校だけでなく社会の一人一人が作るものである。表面的な相互交流の活動学習を取り入れるだけではいけないと当たり前のことを今更ながらに思った。自分の中にある沢山の右回りを壊したい。広い世界と多様な価値観に触れ、次代を担う子供達に右回りも左回りも受け入れられるスケールの大きさを感じてもらえるような教師になりたい。

 

 

 海外教育特別研究に参加して    上越教育大学大学院 生活・健康系コース(保健体育)1年   柴 田  栄

 

 日本から9000km、南極大陸から5000kmの地、アデレートはとても素敵なところでした。2003年の海外教育特別研究に参加して、ウェストミンスタースクールでの授業実践やカンガルー島の自然の美しさを感じることができとても貴重な体験ができました。「百聞は一見にしかず。」自分の目で見て、体験することの素晴らしさを再認識することができました。

 まず、ウェストミンスタースクールでの授業実践では、スポーツ交流班として、バスケットボールの授業を3年生2クラスと5年生1クラスに対して合計4時間実施してきました。授業は、準備運動→パス→ドリブル→シュート→ゲーム→感想という流れで実践しましたが、印象に残ったことは、日本語教育を受けている学校なので、準備運動の号令をイチ、ニー、サン、シー、ゴー、ロク、シチ、ハチと日本調にやっても、自然と子ども達が一緒に声をあわせてやってくれたことです。すべて英語で指示するよりもかえって普段聞かない生の日本語を聞けて、子ども達にとっても新鮮味があったのかもしれません。また、子ども達は大変素直で、私のつたない英語の指示を一生懸命理解し活動に取り組んでくれました。今回の授業で良かったことは、4チームの担当を学部生に任せたことです。5,6人の少人数制の指導になり、子ども達との交流が十分に図られコミュニケーションがうまくとれました。そのことは、授業の感想やあいさつの後に抱きついてくる子ども達の様子からもはっきりとわかりました。また、3年生と5年生の発達段階の違いが見られたこともよかったです。一緒に授業に取り組んだ5人のメンバーの協力があって、授業が成功したことを感謝します。

 

 授業の感想の一部を紹介します。

really enjoyed today’s basketball lesson.

This was the most fantastic lesson I ’ve ever had

I still want to contact you. さよなら                  from  John 炯東)  

 

Thank you very much for today’s lesson. 

If  I could wish for one more subject, it would be with you and your friends.

I thank you again for you time and effort you put into this lesson.       from  Nicole

 

 

          


                 

5年生との授業のあとで

 

  次に、カンガルー島の観光についてですが、この日は雲一つない快晴だったため、リトルサハラの真っ白い砂漠とシールベイの青い海がとてもコントラストに見えました。海なし県(栃木県那須)で生まれ育った私にとっては、目の前にそれらの景色が見えた瞬間言葉では言い表せないような感動が生まれました。また、身近に自然の状態で生活しているアシカやコアラやカンガルーを見ることができ、オーストラリア人が自然を大切にしている様子が肌で感じられました。南十字星や日本と逆巻きのツタを見たのも感動でした。

 たった9日間の短い研修でしたが、遠く離れた南半球のオーストラリアの地で、日本では味わえない貴重な体験をたくさんできたことをうれしく思います。最後になりましたが、私たちを温かく迎えくださった副校長先生のブライアン氏をはじめとするウェストミンスタースクールのスタッフの方々、研修中にいろいろとご指導・ご助言をくださった加藤先生、庭野先生、秋山さん、一緒に楽しい思い出を築いた仲間たちに心より感謝致します。

 


      リトルサハラにて           アドミラル・アーチ

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