A.S.ニイルにおける「自由教育」の理論と実践に関する研究
学校教育専攻
教育方法コース
畑中千光
1.研究の目的
アレクサンダー・サザランド・ニイル(Alexander
Sutherland Neil,1883~1973)は、「世界でいちばん自由な学校」とよばれるサマーヒル・スクール(Summerhill
School)の創設者として知られる。この学校の理念は、子どもの立場を徹底的に尊重する自由と自治の精神にあった。
ニイルの理論と実践は、特に1960年代後半から盛んとなった英米のフリースクール運動に大きな影響を与えると共に、多くのフリースクールにおいてそのモデルとなった点が特筆される。わが国においても、戦後新教育の時代に多くの支持者を得たと言われている。しかし、その理念が十分に理解されなかったことに起因して、一方では「勝手気ままな学校」という批判がなされ、新教育の異端児としての扱いを受けた時期もあった。ところが、1980年代に入って、不登校、校内暴力、いじめ等の教育病理現象があらわになるにつれて再び脚光を浴びるようになったのである。このことは、ニイルの理論と実践が、これらの病理現象を考える上で重要な示唆を与えてくれるものと考える。
サマーヒル・スクールにおいては、「自由」がその根本理念となっている。「自由」というと一般に、「好きなことを好きなようにさせること」ととらえがちである。そのような自由教育では、子どもはわがままになり、厳しさの欠如によって社会に適応できない人間に育ってしまうことが危惧される。しかし、ニイルの教育は本来、わがまま教育ではなく、真の社会生活に向けての自由教育であった点に特色がある。
『自由の子ども』においてニイルは、「自由とは単に圧制、束縛等から解放する意味でなしに、自分で自分を統御し、自分自身の生活をいとなみうる真の自由人となることを意味する。それゆえに自由の子ども(free
child)は結局において、自律の子ども(self-regulated
child)であらねばならぬ」*1と説明する。すなわち、ニイルの考える自由とは、単なる放縦としての自由ではなく、「自律」を保証する意味においての自由である。「真の社会生活に向けての自由教育」を実現するために、この自律という言葉のもつ意味は重要であろう。実際のサマーヒル実践においても、「自治」というかたちで、この自律が具現化されているからである。
また、子どもが善くない行いをした場合、教師が叱責したり訓戒を与えたり罰を与えたりすることはしない。なぜなら「憎しみは憎しみを育て、愛は愛を育てる。しかして、いかなる子どもも愛によらずして救われたためしがない」*1という言葉からも明らかなように、ニイルは子どもの悪い行いに対しても、それを戒めるのではなく、愛によってその子を包み込むべきだとしているからである。そこにあるのは、子どもを徹底して信頼するという姿である。ニイルの考える「自由」「自律」「自治」のどれをとっても、子どもへの信頼なくしては成り立たない。それを支えているのはまさにニイルの深い人間愛ということになろう。
第二次世界大戦終結の1945年、ニイルはその著『知識よりも感情』において、当時の教育状況を批判し、あまりにも知育に偏し、知識のみを重視して感情を忘れている点に警告を発している。子どもを束縛や抑圧から解放し、知識よりも感情を重視しつつ自由と創造に富む雰囲気の中で子どもを幸福に育てていこうとするところにニイル教育理論と実践のエッセンスがある。
彼のこうした理論や実践のエッセンスから、時間を超えてストレートに結びつくものではないが、教育病理現象への対処の仕方にとどまらず、「開かれた学校」のあり方、さらには「新学力観」の具現等々、今日的教育課題について重要な方向性を与えてくれるようにも考えられるのである。
本研究は、ニイルの理論ならびに実践をトータルに検討することによって、教育における「自由」の真髄、および教師の資質として欠かせない人間愛の本質を明らかにすることを目的とする。
2.論文の構成
<序> 研究の目的・先行研究の状況
第1章 A.S.ニイルの生涯と思想形成の過程
第2章 ニイル教育論の構造と特質
第3章 ニイル教育理論の展開
第4章
<結語> まとめと今後の課題
3.論文の概要
−本章のまとめ−
ニイルは兄弟の中で際立って出来が悪く、劣等感にさいなまれながら幼、少年期を過ごした。ニイルは学校での学科に対して興味を持てないまま、父の期待を裏切る生徒として、時には厳しい体罰を受けながら過ごした。これらの諸経験はニイルにとって父に代表される権威に対する恐怖と嫌悪、そして学科に代表されるように興味が持てないものへの強制の苦痛がいかに子どもの生活を不幸にし、望ましい発達を阻害するものであるかを強く感じさせるものであった。ニイルの自由に対する理念は、これらの経験から伝統教育への反抗として、または抑圧された感情の解放として生れてきたのであろう。
14歳からの4年間、父親のいる学校で見習い教師をするニイルであったが、ニイルはまだ少年であり、教師の仕事をさせられいはいたが、心はまだ子どもだった。だから暇さえあれば、子どもたちと一緒に遊んだ。そうすることによって子どもは、父に対してよりニイルにいっそうなついてきた。後にニイルが大人の立場からの教育を主張し、これを実現するようになったのも恐らくこの最初の四年間の見習い教師時代に、その考えは芽生えていたものだろう。
ホーマー・レーンとの出会いは、ニイルにとって一転機を画するものだった。ニイルが暗中模索的に新しい教育の真の道を求めていたのに対し、決定的な方向づけを与えたものは、レーンであった。ニイルは子どもの自由を護り、ニイルらのために道を開くことに生涯を捧げようとすることに確信を得たのであった。レーンの教育には大事な心理学的な基礎づけがあった。それは新興の科学である精神分析による基礎づけである。レーンがニイルに示してくれたような世界は全く新たな世界であり、それによってニイルの子どもの心理をみる眼はまた新しく開かれていったのである。
ニイルは1921年、ドイツのヘレラウに国際学校を開く。また、1924年イギリスの南海岸の小さな町ライム・リージスに移り、サマーヒル・スクールを開校する。この学校の理念は、子どもの立場を徹底的に尊重する自由と自治の精神にあった。
子どもの自由を護ろうとする新しい教育である。教授という語は学習に変わった。今までは教師は教壇に立って自分の知識を生徒に授けるとか教科書の解説をするという仕事をしていたが、新しい教育ではこうした立場を一切捨て、すべてを生徒が自ら処理し、自ら学習するのである。教師が教えるのでなくて子どもが学ぶのである。
古い教育で重んじられた訓練は斥けられ、自治が奨励された。子どもに正しい行いをさせ、間違った行いをやめさせるためには、教師の圧力によるきびしい訓練が必要であるとされていたものを、新しい教育では、このような考えを捨て、一切を子どもの自治に任せた。そこで、子どもが悪いことをしても先生に叱られるということはない。ただ子ども同士で自治会にかけられ、批判されて、必要な制裁が加えられる。その結果として、子どもは先生に叱られるから善良になるのでなしに、子ども同士が互いに助けあい制裁しあって善良な人になっていくのである。サマーヒルにおける子どもの自由とは、このようなものである。ニイルの学校はこのような子どもの自由を徹底的に実践に移した学校である。
まとめ
ニイルは生涯にわたる実践において、「子どもにとっての自由とは何か」を問い続けた。「自由こそは子どもの育成上にも、われわれの生活においても真の指針となすべきもの」*1という言葉は、ニイル教育論の特質を如実に表している。
ニイル教育理論の中心概念の「自由」の意味は三点に整理できる。 第一に、外的権威による抑圧から解放される「感情の解放としての自由」である。
第二に、社会的側面をさす「自治としての自由」である。つまり「集団の生活をする自由」のことである。
第三に、個人的側面をさす「自律としての自由」である。つまり「自分の生活をする自由」のことである。
換言するならば、「感情の解放としての自由」は、「〜からの自由」と消極的自由を意味するのに対して、「自治」「自律」としての自由は「〜への自由」と積極的自由を意味している。そして両者は互いに他の条件となり、相互に依存しているのである。
図に表せば自由の構造は次のようになっている。
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社会的側面
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個人的側面 |
積
極
的
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自治としての自由
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自律としての自由 |
感情の自由
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つまり、抑圧からの解放である「感情の自由」が根底を築き、社会的側面である「自治」と個人的側面である「自律」により構成されている。
ニイルの「子どもは本来善なるもの」*1 とする信念は少しも変わることはなかった。それゆえかれらの自由に任すべきと主張しているのである。この信念は、永年にわたる子どもの観察によって得られたものといってよい。したがって、親や教師に対しては、子どもにはお説教ではなく、愛と理解が必要となる。子どもが自然に善良になるためには、認めてやることと、自由とが必要だという。
ニイルはしばしば、子どもの教育における愛の重要さを述べているが、真の教育愛は、徹底して子どもの味方になってやり、子どもを支持し、援助してやることである。正しい子どもの理解にもとづくこのような子どもへの愛の観点から、知識よりも感情の重要性さらには家庭教育、道徳教育をはじめ学校論、子ども論、教師論等々が展開されているところにニイル教育理論の特質が認められるのである。
ニイル教育理論を構造化すると次の図のようになる。
学校(教師)論
家庭論
子ども論 |
自律 |
自治 |
知識よりも感情 |
解放 |
子どもの幸福の原理 |
愛
承認・信頼・理解
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【本章のまとめ】
「出欠の自由」を標榜するニイルは、授業そのものをあまり重視していない。彼は、客観的な知識の習得というものに対して批判的であったことが伺える。ニイルの大切にしていたものは、受験テクニックというものではなく、自分が目指すものに対しては何度でもアタックしていこうとする熱意を育てることであることが伺うことができる。彼は、客観的な知識を習得することよりも、自分の感情を自由に素直に表現することを重視していることがわかる。自分の感情を表現することを通して、熱中する楽しさや創造性が育まれてくることを彼は期待しているのではいかと考えられる。彼の学習観は、「知識よりも感情」という考えに貫かれているのであった。
ニイルは、人間は本来善良なものである、という。根からの悪人というものはない。だれしも善良になろうと志している。その自然の性情を認めようとせずに、規則によってこれをしばり、道徳によってこれを押えようとするから、罪を作り、反逆者を作り出すのである。
彼は人が生まれながらにもつ本能を、決して悪だとは認めない。本能は人間の自然性の現われであって、これを肯定するところにほんとうの人間の生活がある。これを否定する教育が子どもを損なうという。人間の本来もつ自然性を肯定せよ、そしてこれを自然のままに発達させよ、そうすれば人間は自然に善良になり、道徳的になる、と言いたいのだといえよう。
ニイルの学校においては、一切の道徳教育を斥けるというが、つまりそれは、権威の道徳を押し付ける教育を斥ける意味であって、子ども相互の社会関係によって形作られる道徳を教えられ、戒律を与えられ、訓戒を与えられることはない。ただ子どもたちの日々の生活の中から、お互いにお互いの立場を尊重しあう民主的な生活の道を学んでいく。これを助けていくのが教師の仕事であるにすぎない。道徳は教師の訓戒指導によって育てられるのでなしに、子どもたちの自由と自治の生活を通して社会的な感情や態度が育てられていくことによって得られるのである。
彼は性の知識は、子どもがまだ幼いうちに、ただこれを一つの自然現象として、子どもがその真実を知りたいとするときに正しく教えておくべきである、という。性教育を純潔教育という立場から、何とかして生徒の純潔を護ろうという方法に一生懸命になるあまり、病気の危険、妊娠の危険などを強調し、それによって性教育をするという傾向があるが、これは間違ったやり方だということを彼は主張する。
健康な社会をつくるには不自由な性の抑圧のない状態に、子どもを育てていかなければならない、と考えているのである。性の抑圧の結果として、性の倒錯の現象がおこる。この状態から、病気・破壊・闘争・戦争がおこってくる。つまり、今日世界がもっとも恐れている戦争の根本的心理学的原因は、性の抑圧と文化の退行ということにある。そういう不自然な抑圧を取り去って、自由な社会が建設されれば、将来の人間はもっと明るくなるであろう、という。ニイルは、性に対する不自然な抑圧を斥けて、自由な、幸福な人間関係をつくりだすことが、平和な世界の将来のために、最も重要なことであると信じているのである。
ニイルの教育理論の展開について、学習観、道徳教育観、性教育観の三つの点から明らかにしてきた。彼は、教育理論の展開においても、子どもが抑圧から解放され自由になることによってこそ、真の教育がなされることを提言しているといえよう。
指導 高田喜久司
*1A.S.ニイル著/霜田静志訳『自由の子ども』黎明書房,1974,p.9.
2)A.S.ニイル著/霜田静志訳『人間育成の基礎』誠心書房,1962,p.386.
*1霜田静志/『ニイルの思想と教育』金子書房,1959,p.265.
4)A.S.ニイル著/霜田静志訳『ニイルの教育』黎明書房,1969,p.262.
5)A.S.ニイル著/霜田静志訳『問題の子ども』黎明書房,1995,p.238
6)永田佳之『自由教育をとらえ直す』世織書房,1996,p.130.
7)永田佳之『自由教育をとらえ直す』世織書房,1996,p.80
8)土居健郎『「甘え」の構造』弘文堂,1984,pp.94-95. 9)霜田静志「ニイルに学ぶもの」堀真一郎編『自由を子どもに』文化書房博文社,1984,p.414..
10)A.S.ニイル著/堀真一朗訳『自由な子ども』黎明書房,1995,p.187.11)
霜田静志著/『ニイルの思想と教育』金子書房,1959,p.137..
12)A.S.ニイル著/堀真一郎訳『自由な子ども』黎明書房,1995,p.269..
*1A.S.ニイル著/堀真一郎訳『自由な子ども』黎明書房,1995,p.187.
*1霜田静志著/『ニイルの思想と教育』金子書房,1997,p.125.