成長としての生活を視座とした「文化」の創造に関する研究
 
 
学校教育専攻
教育方法コース
木原 弘和
 
 
1.研究の目的  
 教育と文化の関連は、教授学の歴史をみても、常に重要視されてきた。しかし、求められている「文化」の創造はなされているだろうか。今日特に「学校知」が受験学力を支え、現実生活や事物から離れて、形式的知識や記号の記憶と操作として問題視されている。「生活」を視座に据え「文化」の創造を論究する意義をここに見いだした。
 その理論的根拠を、「成長することが生活である」と考えるデューイ(Dewey,J.,1859-1952)の教育観に求めたい。環境に働きかけ絶えず自己更新する姿は、生活に根ざし、主体に深く結びついた文化を創造する学びの根幹である。
 デューイは子どもの「未成熟」を「発達する能力」と積極的に解し、「成長」を教育の目的とする。知性的な「反省的経験」の成立は、教室を文化創造の場とする学びに転換できる。
 「文化」の創造には社会的な視点が欠かせない。デューイは学校を「小型の社会」とし、オキュペーションにより仲間との活動的で社会的な学びを構想している。この共同体の形成と参加は、「正統的周辺参加」や「文化的実践への参加」の学び観から再評価できる。
 「文化」を創造する学び観とは、デューイが示した「活動的で協同的で対話的な学び」であり、共同体の仲間と共に「文化」創造の過程に参加し、相互成長を意味するものである。
 本研究は、「生活に根ざした文化の創造は、『成長としての生活』であり、経験の連続的再構成である」という視座から、デューイを中心とした先人に学び、「文化創造への実践的な参加」を志向する授業構想について論究することを目的とする。
 
2.論文の構成
<序> 研究の目的・先行研究の状況
第1章 文化と生活
第2章 成長としての生活と文化の伝達・創造
第3章 「文化」の創造と知の組み替え
第4章 文化の創造を志向する授業構想
<結語>研究のまとめと今後の課題
 
3.論文の概要
 文化の発生は動物と人間との境界、つまり人為の始まりが起点である。その概念は歴史と共に変遷して、ドイツ的な教養としての「Kultur」から、今日アメリカ・イギリス的な生活様式全体としての「Culture」へと移りきている。
 教育でも文化は今日広く解釈されており、社会的環境との相互作用が重視されている。まさにデューイが志した学びである。成長は生命の連続性ゆえに、環境世界との相互作用を通して不断に文化が伝達・創造される。その姿はデューイの「成長としての生活」で描き出すことができる。
 デューイは未成熟を成長への積極的な能力とし、依存性(社会的受容力)と可塑性(経験から学ぶ能力)により不断の成長を可能にした。成長は4つの衝動(社会的、構成的、探究、表現)に端をなし、興味に方向づけられながら、目的と結合していく。目的は修正を重ね形成される知的作用であり、達成された瞬間に手段となる連続を生み、「成長」の本質をなしている。
 目的達成の瞬間はアプリシエーションと表現され、「しみじみ感じられる」「真に理解した」という心身共に没入し同一化した状態であり、心情的、情緒的側面と知性的側面の融合である。この一まとまりは、「一つの経験」(an experience)と呼ばれ、それ自身統一体であり、成長による生の連続性ゆえに経験も連続する。
 経験はコミュニケーションを手段に「意味」が伝達・共有され、文化を生む。意味は行動の特性であり、「共感」による共同活動への予見的参加により共有可能となる。言語は共同活動のための道具だが、頼り過ぎは否定されている。
 「成長としての生活」は、知の転換を迫るものである。知識とはデューイのいうように「知る」(ken)と「能う」(can)が同一で、行為と切り離して存在しない。知識を細分化するとコード(情報単位)になり、豊かなコードが知識であり、学習はコードの増殖と再定義できる。この学習観は、暗黙知を含む知識の主体的側面を浮き上がらせ、質の高い活動と「反省」の働きによる「反省的経験」の成立を示唆している。
 他方デューイは直接経験における知識の個人的狭さを認め、言語・記号化された間接経験を、創造力により読み解き、探究の資源として積極的に意味付ける。
 知識創造を文化創造に昇華するのは社会的な視点である。デューイがオキュペーションにより、具体的場面や状況に依存した知識獲得(日常知)と、抽象化・一般化された学校(教育知)の融合を構想したが、共同体の形成と参加は、今日正統的周辺参加論や文化的実践への参加等の学び観と共通しており、再評価されている。
 文化を創造する学びとは、個人の知識量や効率性優先の伝達中心から、学びのもつ共同性や知識の共有性により文化を共に創り上げる活動への転換であり、他者に誘われて文化的実践に参加し、文化の価値を賞味し自分も創造活動に加わることを意味している。
 具体の授業を文化の創造へと転換するために、学級風土、問い、教材、教師の共同・支援・指導の4点を洗い直した。
 文化の創造には、子ども中心で支持的な風土を基盤にして、学び手の内面に「問い」を育てることで創造的な風土が形成できる。その際、教材は狭い知識を広げる点と子どもが目を輝かせる点の接点において問いを生み育てるものになる。教師の役割は、「教える大人」と共同者としての「よき大人」の2面から子どもの自問自答を支える「容器」になることが求められる。
 授業構想に向けて(1)題材としての要件、(2)活動構成の要件、(3)授業の要件、の3点から要件を整理したが、オキュペーションを中心とした共同的で活動的で対話的な授業により、求める「文化の創造」に向かう子ども像を描くことができる。文化は既にあるのではなく、まさに成長する子どもが創るものなのである。
 「文化の創造」を志向する授業構想とは結局、「オキュペーションにみられる活動的で共同的で対話的な学びであり、誘われながら文化的実践に参加し、文化のもつ価値を賞味し自分も新たな創造に実践的に参加していく授業を成立させることである」と結論づけることができる。
      
指導 高田喜久司