「活動主義カリキュラム」を中核としたブルーナー学習理論の研究
 
 
学校教育専攻
教育方法コース
中島佳明
 
 
1.研究の目的
 ブルーナー(Bruner.J.S.,1915-)の著書『教育の過程』が邦訳された1960年代は、「教育の現代化」が提唱されつつあった。その中で、彼の著書はバイブルのようにもてはやされ、「構造」やレディネスを中心とする学習理論は大きな反響を呼んだ。現代化における落ちこぼれなどの問題の生起とともに、彼の学習理論は等閑視されてきたかのように思われる。果たして、彼の学習理論には現代において評価に値するものを見い出すことはできないのであろうか。
 総合学習の必要性が叫ばれる今日、彼の提起した「活動主義カリキュラム」に注目したい。彼のカリキュラムは、従来の教科の枠組みにとらわれずに、「体験」、「学習共同体」による活動、身近な問題の発見による「問題解決」などの活動を重視するものだからである。
 『教育の過程』に代表される構造重視の学習理論を主張した彼が、このような活動重視の学習理論を展開するようになった背景としては、教育のレリバンス(適切性)があげられる。  本研究は、ブルーナーの学習理論について、構造重視の学習理論と「活動主義カリキュラム」提案の背景及び構成を明らかにし、「活動主義カリキュラム」の授業について論究していくことを目的とする。
 
2.論文の構成
 <序> 研究の目的・先行研究の状況
 第1章「構造」重視の学習理論
 第2章「活動主義カリキュラム」提案の背景
 第3章「活動主義カリキュラム」の構成
 第4章「活動主義カリキュラム」の授業
 <結語> まとめと今後の課題
 
3.論文の概要
 ブルーナーの言う「構造」とは、教科の背景にある学問の基本的観念である。彼の「構造」の考えには、生活を重視するデューイに対する批判が込められている。すなわち、彼は、あくまで学問をもとにした「教科の構造」を学習者自身の内的な知識の構造にしようとしていたと言える。地域社会の問題の解決を重視する「活動主義カリキュラム」の発想は、『教育の過程』当時の彼の念頭にはなかったものと思われる。
 「構造」重視の彼の学習理論は、「教科の構造」を発見法によって教えることにより、学習意欲が高まると言う前提に問題があった。教科の内容に制約された発見法において、十分な達成動機が得られないのではないか、と言うことについての配慮が乏しかったからである。「教科の構造」を重視したことが、彼の『教育の過程』当時の理論の新しさでもあり、限界でもあったと言わざるを得ない。
 ブルーナーの「活動主義カリキュラム」の提案の背景には、教育のレリバンスがある。彼は教育のレリバンスとして、個人的関連性と社会的関連性を重視すべきだと言う。これは、当時の学問中心カリキュラムが現実の社会における問題の解決と子どもたちの学習意欲の向上の二面を軽視してきたことへの批判と言える。この指摘は、現代の日本の学校教育を考える上でも、重要な提言として受け止める必要がある。
 教育のレリバンスの考えの背景として、1960年代後半のアメリカ教育界の動向と当時の子どもたちの実態があげられる。彼は、貧民層の子どもたちは、中産階級の子どもたちに対して、学習意欲や問題解決力において劣っている、と言う。その理由として、彼は家庭における母親の子どもたちに対する接し方の違いを指摘している。
 「活動主義カリキュラム」は、学問重視、学習者軽視への反省から、子どもたち自身の学習意欲や問題解決力の向上を重視する教育を目指すものであったと考えられる。
 ブルーナーの「活動主義カリキュラム」は、「問題解決」、「学習共同体」、「体験」、によって構成される。
 「問題解決」の重要性について彼は、学習態度の形成、結合による一致の達成、内的な動機の喚起、概念を再吟味する技能の形成、仮説を考え出す技能の形成を指摘している。彼の「問題解決」の本質は、直観的思考と問題発見に求められる。彼の直観的思考は、実際には想像とみることができる。彼においては、直観か想像かと言うことが問題なのではなく、直観的なものすなわち仮説を学習において重視していく必要があることを述べたと言える。彼が問題発見を重視するのは、認識の主体化と直観的思考形成の上で、問題発見が重要な役割を果たすからである。
 「学習共同体」の重要性として、彼は学習共同体による問題発見、認識の促進、内的動機の喚起を指摘する。また、「体験」の重要性として、体験による感覚技能の成長、問題発見、リアリティーのある認識をあげている。これらのことは、問題解決の過程を中心としながら、そこに学習共同体や体験を関係づけていく必要のあることを示したものである。
 「活動主義カリキュラム」の授業における学習法として問題解決型発見法を提起したい。問題解決型発見法の特徴は、子ども自身が問題発見をすること、子ども自身が予想を立てること、達成動機が得やすいことがあげられる。
 「問題」の発見の際には、「学級の問題」の発見でよしとするのではなく、「個の問題」の発見がなされたかどうかを重視する必要がある。彼の言う「学習共同体」として、学習者相互のかかわりを重視する点で、「対話」と「討論」に注目したい。「体験」の本質は、身体活動、五感による活動、表現活動、社会や自然の場に入り込む活動にまとめられる。 
 友人とのかかわりの希薄化・体験する機会の減少・問題解決力の低下といった現代の子どもたちの実態からみたとき、彼の「活動主義カリキュラム」は子どもたちにとって学習に値する意義があるといえよう。
 「活動主義カリキュラム」の授業は、結局、「体験や学習共同体による活動を通して、子ども一人ひとりが問題を発見し、その解決の際の体験や学習共同体による活動によって、豊かな認識が生まれると共に新たな問題を発見する過程である」、と結論づけることができるのである。
             指導 高田喜久司