Ta君へ  山形のおじいちゃん・おばあちゃんより


(これは、山形のおじいちゃんとおばあちゃんに電話
で聞いたことを、お父さんがまとめたものです)

  Ta君へ、ザ・デイの食事はどうですか。今日はおじいちゃんやおばあちゃんが若かったころのことを書きます。おじいちゃんとおばあちゃんが結婚したころ、日本はアメリカと戦争をしていました。今から五十年以上も前のことだね。半郷の家は、Ta君も知っているように農業をしています。昔はみんな貧乏だったし、おまけに戦争のころは、兵隊さんたちのために作物を出さなくてはいけなかったので、食べ物がとても不足していました。お米は、自分の家で食べるほんのちょっとだけを残して、あとは全部国に出さなくてはならず、麦も軍馬のエサとして、ほとんどとられてしまいました。ただ、野菜だけは出さなくてもよかったので、畑には一年中いろいろな野菜を植えていました。

 その野菜をどうするかというと、足りない米にまぜて炊くのです。だいこんでも、じゃがいもでも、さつまいもでも、かぼちゃでも、大豆でも、とにかくそのときそのときにとれる野菜を、細かくきざんで米とまぜて炊くのです。だいたい米が三に対して野菜が一の割合です。それより野菜が多いと口の中でゴソゴソして、とても食べられないからね。

 そのころは、どこの家も七人・八人家族がふつうだったから、一回にご飯を二升 (一升は十合だよ)も炊いていたんだよ。Ta君の家は三合くらいだから、六倍から七倍だね。おかずがあまりないので、みんなご飯だけは二杯も三杯も食べました。子どもたちのおやつも、おかしなんか全然なくて、みそおにぎりを作ってもらって食べていました。だから、二升の米もあっという間になくなってしまうのです。

 いよいよ米が足りなくなったときには、おかゆよりももっと水が多い、「おもゆ」のようなものを作りました。それだと、茶わん一杯分くらいのご飯が二、三杯分になるからです。おなかにはたまりませんが、ちょっとの間はいっぱい食べた気になれるからふしぎです。

 おかずなんて、今みたいにしゃれたものはなかったんだよ。漬け物とみそ汁、ほうれん草のおひたし。いつもそれくらいのものを食べていました。たくあんを作るのにだいこんを干したときに、残った葉っぱもいっしょに干して、それを煮て食べたりもしました。食べ物があまりなかったせいもあるけれど、農家は朝早くから夜おそくまで田んぼや畑の仕事をしていて、くたくたになって帰ってくるので、食事のしたくをしている時間がなかったのです。だから、なるべくすぐに食べられるものを考えたんだね。

 半郷の家は海から離れているので、魚はお盆と正月くらいしか食べられませんでした。それも、行商のおじさんが大きなかごをかついで売りにくる、塩づけや干物の魚(ニシンやホッケやイワシ)ばかりで、新鮮な生の魚はめったに手に入りませんでした。Ta君の大好きなネギトロやおさしみなんて、食べたこともありませんでした。たまに、「今日は大漁だったから」と言って、トラックに生のサンマを山のように積んで売りにくることがありました。バケツを持っていくと、牛小屋のわらをすくう「フォーク」のようなもので、サンマをごっそりすくってバケツに入れてくれます。バケツ一杯何円で売るのです。海から運んでくるのに時間がたっているので、あちこちいたんだ魚ばかりだったけれど、めったに食べられない生の魚なので、みんな大喜びで煮たり焼いたりして食べました。バケツいっぱいというとずいぶん多そうだけど、家族の人数も多かったし、みんなペロリと食べちゃったよ。

 肉なんかほんとうに数えるくらいしか食べられなかったんだよ。牛肉も、豚肉も、鶏肉も、卵もそう。でも、半郷の家では昔から乳牛を飼っていたので、牛乳は毎日飲めました。ほら、玄関を入ってすぐ左側にある物置、あそこに昔は牛がいたんだよ。その牛は、田んぼを耕すときに大きなくわを引っぱって働いてもくれたし、牛乳も出してくれたし、とっても役に立ってくれました。近所には、夏のあいだウサギを一匹飼っていて、食べ物の少ない冬場になると、殺してその肉を食べている家もあったね。

 今になってみると考えられないような貧しい食事で、あのころのような生活をしろと言われても、今はとてもやれないと思うけど、あのころはどこの家もみんな同じような暮らしだったから、貧しいともみじめだとも、何とも思わなかったよ。それに、食べるものは全部自分の家で作ったもので、種をまいたり苗を植えたりするところから自分たちで育ててきたものばかりだから、それはそれでおいしかったんだね。そうそう、そういえば、みそやしょうゆも自分の家で作っていたんだよ。豆を煮て、塩を入れてね。納豆もいっしょに作りました。冬場の仕事だね。塩だけは買ってこないといけなかったけど、あとはたいてい自分の家にあるものでした。食べ物はけっして十分にはなかったけれど、空襲がひどくなって都会から逃げてきた人たちが、食べ物を分けてくださいと言ってきたときは、分けてあげたりもしたんだよ。

 それから、Ta君にひとつないしょの話を教えてあげよう。あのころはいもだの豆だのをまぜたご飯が毎日毎日続いたので、おじいちゃんは豆ご飯がすっかりきらいになってしまいました。おじいちゃんが戦争から帰ってきたとき、おばあちゃんが豆ご飯を炊いてあげると、おじいちゃんは「おなかが痛い」とうそをついて豆ご飯を食べず、かわりに「おかゆが食べたい」と言いました。今でもおじいちゃんは、豆ご飯が大きらいです。

 さて、これでおじいちゃんとおばあちゃんのお話はおしまい。ザ・デイの食事は、Ta君たちが一年かけて育ててきたものばかりだそうですね。食べた味はどうですか。自分たちで作った米や野菜だから、おいしいかな。それとも二度と食べたくないかな。よ~く味わって食べてくださいね。


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