記録編 ボストン
ハーバード大学言語学科教授 
講演「体験的日米比較文化論」
上越教育大学 池内正幸
久野先生略歴
1933年生まれ。東京大学文学部言語学科1956年卒業、同修士課程1958年修了。1964年ハーバード大学言語学科を修了しPh.D.。同大学言語学科主任教授等を歴任。米国における日本人言語学者の草分け的存在。The Structure of the Japanese Language (The MIT Press)、『日本文法研究』(大修館)等々著書、論文多数。
久野先生
  1.はじめに
 ハーバード大学言語学科教授久野 日章先生の講演は、ボストン滞在3日目の8月17日(月)午前10時から、ハーバード大学構内の、由緒正しいそして極めて荘厳な雰囲気の漂うBarker Center Room 114にて行なわれた。
講演は「体験的日米比較文化論」と題するもので、主に久野先生がお二人のお嬢さんの子育て・教育に際して実際に体験なさったことや感じられたことを中心に、小学校、中学校、高等学校、大学の順に進められた。本稿は、その概要(第2節)と解説と感想(第3節)を綴ったものである。
2.講演の概要
○アメリカの教育
 アメリカ合衆国というのが本当に理解できるようになったのは子供が学校に入学し、教育に関わるようになってからである。アメリカでは、市、町、村そして子供も「州」から独立している。教育にせよ、警察、消防にせよすべて町単位である。アメリカ人は学校の善し悪しで町を選ぶ。その町の固定資産税が高いということはその町の学校がよい学校であり、よい教育をほどこすということを意味する。これは、教育を自分達で担っているという考え方を生み出す。マサチューセッツ州はボストン郊外の人口約2万人の町ベルモントはそのよい例である。固定資産税が高く、警察、消防も町単位で、生活の細部に渡ってtown meetingが行なわれる。  アメリカの連邦や州の文部省に相当する機関は各町の教育の内容についてはまったくノー・タッチである。財政的あるいは法律的にルール違反がないかどうかを見守るのみである。教育の基本概念は、「子供を人間として扱う」ことと個人の間の「話し合い(negotiation)」である。親が子供を操作するというようなことはないし、団体なるものもない。子供、教師、親の間の話し合いである。
ハーバード大学 Barker Center
ハーバード大学構内 Barker Center