記録編 ニューヨーク
移民の記憶の象徴 自由の女神(Statue of Liberty)・
エリス島(Elis Island)
上越教育大学社会系教育講座 田部俊充
1.自由の女神
○殺到する観光客
 自由の女神・エリス島は混雑が予想されるためグループ別での参加(任意)となった。自由の女神が立つリバティー島へはバッテリー・パークからフェリーに乗って渡った。フェリーの出発は9時30分だった。早めにバッテリー・パーク内のクリントン砦の券売場で券を買うために並んだが早くも行列。フェリーに乗り込むまでにはさらに長蛇の列だった。大きなフェリーにぎっしりと乗客が乗り込んだ。フェリーは2階建てになっていて、2階は屋根がなく景色が見渡せ快適だった。15分程たつと進行方向右側に自由の女神の姿が次第に大きくなってくる。乗客は早くも興奮気味である。リバティー島に到着すると多くの乗客は女神の内部へ入る台座部分の入り口に殺到した。私たちも急いだがここでかなり並ぶ。やっと女神の内部への364段の階段部分を上り始める。
 迷わずに上り始めたが途中で何度か引き返そうと思った。目が回りそうになる急ならせん階段で一歩一歩列の後に続いて上っていくのだ。後戻りは許されない。一人がやっと通れるような狭い階段を前後の人と苦笑いをかわしながら上る。残りの階段の数を示す看板の表示が一向に減らない。やっと王冠部分の展望台に到着すると大感激だった。少々狭いスペースであったが小さな窓からマンハッタンのまちなみを望み大満足だった。窮屈な階段を下りると、台座内にある博物館で女神誕生までの歴史の展示物を見て教材化を考える。
自由の女神
自由の女神 像の高さは約46mで、364段の階段を昇ると王冠内の展望室にたどりつき、マンハッタン島を一望できる。右手には移民の希望の指標であるたいまつを掲げ、左手には独立宣言書を抱えている。
○台座に刻まれたラザルスの詩
 "合衆国移民の記憶の象徴"とされている自由の女神であるが、もともとは新参者歓迎の道標以上のものではなかった。台座には女流詩人エマ・ラザルス(Emma Lazarus)(1849-87)の「あなたの国の貧困や疲労で息苦しい人たちを私のところに連れてきなさい。私は黄金の扉のそばでランプを掲げています」という有名な詩が刻まれている。しかし、1886年10月の大統領クリーブランドによる除幕式のスピーチではほとんど言及されていないのだ。