記録編 ニューヨーク
移民の記憶の象徴 自由の女神(Statue of Liberty)・
エリス島(Elis Island)
上越教育大学社会系教育講座 田部俊充
○自由の女神が注目されはじめた理由
 自由の女神が注目されるのは移民が厳しく制限されるようになった1920年代に入ってからであり、移民制限法が制定された1924年には文化財に指定される。そして1930年代にユーゴスラビア移民の評論家ルイス・アダミック(Louis Adamic)(1899-1951)の紹介によって広く知られるようになる。当時文化的多元主義が評価され始め、アダミックは合衆国移民の歴史を再評価する中で、自由の女神をその象徴ととらえたのである。
2.エリス島
○移民局を改修してできた博物館
 自由の女神から再びフェリーに乗ってエリス島に向かう。エリス島には移民博物館がある。19世紀末合衆国への移民の約75%がニューヨーク湾経由で入国していたが、今までマンハッタン島南端のキャッスル・ガーデンや一部ステーテン島で行われていた入国手続きが1892年からエリス島で行われるようになる。急増する移民受入れのためである。同時に移民行政は州政府から連邦政府の管轄になる。1892年から1954年まで入国検査所が設けられ、約60年間に約1200万人もの移民がここを経て合衆国全土に散っていった。1907年には一日に1万1千人以上の移民の手続きがなされたこともあった。
 移民局があった建物を改修した博物館には、入国検査室、パスポートの確認をしたレジストリー・ルーム、バゲッジ・ルームなどがあり興味深かった。押収された移民の所持品や写真の展示、移民の苦悩と希望を描いた映画も上映されており、「人種のるつぼ」と呼ばれるニューヨークの背景がうかがえる。再びフェリーに乗りエリス島をあとにしバッテリー・パークへと戻った。
3.教材化の視点
○女神が左手に抱えているのはなに?
 自由の女神は移民の記憶の象徴であるのと同時に合衆国の象徴でもありどの学校段階でも注目すべきものである。小学校段階では「世界の中の日本」の単元で、フランスの凱旋門、日本の富士山、英国のビッグ・ベン、中国の万里の長城といった他国の象徴とともに扱いたい。中学校・高等学校段階、とりわけ歴史分野で注目させたいのは、左手に抱えている独立宣言書である。1776年7月4日にフィラデルフィアで開かれた大陸会議で、のちの第3代大統領ジェファソンの起草した独立宣言(Decla-ration of Independence)が東部13州の代表者56名の署名を受けて承認される。この日は合衆国の法定休日(legal holiday)の中で最も重要な日、とされているが、歴史的出来事が尊重されている一事例として左手に抱えている独立宣言書を扱いたい。女神が持っている独立宣言書のロ−マ数字を読むと「JULY IV MDCCLXXVI」つまり、7月4日、1776年になるのである。もちろん合衆国国民をはじめ世界中の人々が自由の女神に殺到している雰囲気も児童・生徒に伝えたい。
参考文献
ナンシー・グリーン著、村上伸子訳『多民族の国アメリカ―移民たちの歴史―』創元社 1997年