テーマ別編 高等学校 2/8
「アメリカ合衆国の歴史」をどのように教材化するか
筑波大学附属高校 田尻信市
[1]マサチューセッツ州プリマス:ピルグリムファーザースの移住地(1620年)
 ボストンから海岸線に沿って南へ50キロメートルほど下った入江の奥にプリマスがある。ここは、1620年にメイフラワー号でイギリスから渡来したピルグリム・ファーザース(始祖巡礼)によってはじめられた植民地である。母国イギリスで宗教的迫害を受けた清教徒は信教の自由をもとめて180トンの帆船メイフラワー号でイギリスのプリマス港を船出し、二カ月後に北アメリカ大陸にたどり着いた。メイフラワー号には、船員の他に102名が乗船していた。その中には、宗教的動機ではなく植民地建設のために雇われた軍人や職人など約40人が含まれていた。プリマスを入植地に決めて設営に着手したのは12月26日であった。むかえた冬のきびしさの中で移住者の約半数が死亡した。ウィリアム・ブラッドフォードが植民地の指導者になると、彼は新移民を加えてプリマス建設に尽くした。彼が亡くなる1657年には、移住者は1630人にまで増加し、安定したコミュニティを形成することになつた。この結果、イギリスは北アメリカ大陸に初めて恒常的な植民地の拠点をもった。清教徒の移住は、彼らが上陸に先立ち船上で交わした「メイフラワーの誓約」とともにアメリカ社会の創設を象徴する出来事として記憶され、プリマスは「アメリカ誕生の地」として紹介されることになった。
 同地には1955年に復元されたメイフラワー2世号が係留されているダウンタウンの町と、1627年当時の植民地を再現したプリマス・プランテーションがある。プリマス・プランテーションは「生きた歴史博物館」と呼ぶことのできる歴史学習にとって有益な施設である。この施設の中心として、海岸を見おろす高台に木柵で囲まれたピルグリムビレッジが再現されており、その周囲を松林や湿地が囲んでいた。木柵の中には、砦を中心に住居、家畜小屋、納屋など14棟が当時のままに復元されている。最大の建物である砦でもわずか15メートル四方の施設に過ぎないなど、全体に貧弱な規模には少々驚かされた。ここでは、当時の服装をしたスタッフが17世紀頃の古い英語を話し、畑を耕したり家を作ったり糸を紡ぐなど入植時代の日常生活を再現してくれている。また、観光客はこのスタッフと自由に会話ができるため、まさに17世紀のプリマスにタイムスリップしてしまったような錯覚を覚える。プリマス・プランテーションのような施設は日本ではあまり例がなく、歴史学習にとって大変貴重な場であるという印象をもった。
メイフラワー2世号
写真2 入江に係留されたメイフラワー2世号(プリマス・ダウンタウン)