ニューヨーク
上越教育大学・院 社会系M2
(埼玉県岩槻市立城南中学校) 金今 義則

1 ニューヨークの概況
写真1:ニューヨークの象徴、自由の女神
 ニューヨークは、ニューヨーク州の大西洋岸、ハドソン川河口に位置する合衆国最大の都市である。国連本部を置く国際政治の舞台であり、経済や芸術の分野においても世界の中心となっている自由の女神都市である。ニューヨークにはマンハッタンを中心に、スタテン島、ブルックリン、クイーンズ、ブロンクスの5つの区があり、アメリカ合衆国の中心として発展している。
 ニューヨークには、先住民(インディアン)が 居住していた。マンハッタンの地名は先住民がつけた呼称である。1600年にオランダ人ヘンリー・ハドソンがニューヨーク湾に到達した。ハドソンは、マンハッタンの西側の川沿いを北上、オルバニーまで上がった。ハドソン川は彼の名前にちなんでつけられた。1626年、オランダ西インド会社総督ピーター・ミヌイットは、先住民からわずか60ギルダー(24ドル)相当の品物、布地、ビーズ、短剣などと引き替えにハドソン川河口の島を手に入れた。土地所有の概念の乏しい先住民につけ込んでの取引であった。この島がマンハッタン島である。そして、オランダ人はマンハッタンの南端バッテリーパークに、ニューアムステルダムを建設した。その当時の人口は300人であった。教会や街路の建設が進められる一方、先住民との抗争が激しく、先住民の襲撃を防ぐための丸太の壁が造られた(現在のウォール街のルーツ)。1664年に、英蘭戦争に勝ったイギリスがニューアムステルダムを奪取し、地名をニューヨークと改めた。その後、1776年のアメリカ合衆国の独立、1861年の南北戦争を経る中でニューヨークはアメリカ合衆国最大の都市として発展していった。1929年の大恐慌でウォール街の株式の暴騰、企業の倒産、失業者の増大などがあったが、ニューディール政策などによりその経済力は立ち直りを見せ、現在アメリカ合衆国の経済、金融、文化の中心としての地位を確立し、全世界の注目を浴びながら、さらに新しいものを取り入れながら前進している都市である。
 ニューヨークの中心、マンハッタンはハドソン川とイースト川に囲まれている南北22.5km、東西4.5kmの南北に長い縦長の島である。エンパイア・ステート・ビル、GEビルなどの巨大な建物が林立するマンハッタンであるが、その中には人々の憩いの場になっているセントラルパークや美術館、博物館などがあり、通りは碁盤の目上に整備されている。南北を走る通りをアベニュー(〜街)、東西を走る通りをストリート(〜通り、〜丁目)と呼び、アベニュー沿いの1ブロックが約80m、ストリート沿いの1ブロックが約250mとなっており、計画的な都市づくりが行われている。
 現在のニューヨークを表す言葉として、世界一、No.1を誇るという意味でのエンパイア・ステーツという言葉がある。国際連合の本部などの国際機関、ニューヨーク証券取引所、連邦準備銀行などの金融機関、メトロポリタン美術館、カーネギー・ホールなどの文化芸術施設があり、国際政治、金融、経済、文化といった面における世界の中心の一つとなっている。また、ニューヨークはいろいろな人種や民族の人々が集まって住んでおり、各国の文化が共存していたり、食べ物なども世界各国の料理がそのまま存在する都市である。

2 ニューヨークの行程
8月9日
10:40ニューヨーク、ニューアーク空港到着
11:00ニューアーク空港出発
11:20フルトンマーケットで昼食
写真2:多くの人でにぎわうフルトンマーケット
 昔の魚市場を近代的な総合マーケットに建て替えたフルトンマーケットで昼食をとる。川沿いの高層ビルに囲まれているマーケットで、多くの人種、民族でにぎわっている。ハ ンバーガーや魚市場の名残を残すシーフードはもちろんのこと和食、中華料理などいろいろな国の食べ物が並んでいる。高層ビルを見ながらの昼食は、ミネアポリスやピッツバーグとは違った都会の街、ニューヨークに来たことを感じさせてくれた。
12:00バッテリーパークから自由の女神像見学
 多くの観光客でにぎわうバッテリーパークから自由の女神像を見学する。台座を含めると高さ92m、人差し指だけでもその長さが2.4mの自由の女神像なのだが、バッテリーパークからなので、あまりはっきり見ることはできなかった。しかし、独立100年のお祝いとしてフランスから贈られて以来、現在に至るまでニューヨークのみならずアメリカ合衆国の象徴として、多くの人に夢と希望を与え続けている自由の女神像とそれを見学するために世界各地から来た多くの人を見て、ニューヨークにいることを実感した。
13:15ウォール街、ニューヨーク証券取引所見学
 かつてオランダ人が、先住民などの襲撃を防ぐためにハドソン川からイースト川まで連なる丸太の防壁を築き、現在では世界の経済の中心となっているウォール街を通りながらニューヨーク証券取引所に到着。近くには連邦準備銀行や大手銀行の本店があり、多くのビジネスマンが行き交う世界金融の中心に来たことを実感する。証券取引所の正面は、古代ギリシャの建造物を思わせる重厚な造りになっている。3階に上がり見学コースにそって見学をする。証券取引所は1792年、24人のメンバーによって開設されたもので、現在はコンピュータ化されており、コンピュータ管理された中で1365人のブローカーがおり、2000種もの銘柄を扱っている。このコンピュータが世界経済に影響を与え、1987年のブラックマンデーの原因の一つになったのかと思うと興味深かった。入り口のそばにある証券取引所のもととなった木を見ながら国際連合本部へ向かう。
15:00国際連合本部見学
写真3:国連日本政府代表部公使渡部和男氏
 国際連合(以下、国連と略記する)本部に到着する。正面には、よく教科書などで見る加盟国の国旗がならんでいる。地下にある国連独自の郵便局などを見学し、国連でだけ販売されている切手や絵はがきを購入した後、2班に分かれて日本語ガイドツアーに参加する。その後、国連日本政府代表部公使の渡部和男氏から国連について説明を受ける。
 日本語ガイドツアーでは、日本人ガイドから国連の役割や6つの専門機関、日本人国連職員についての説明を聞きながら、国連総会議場、安全保障理事会などの会議場や各国からの寄贈品や展示物などを見学した。国連の会議で使われる公用語は英語、フランス語、スペイン語、ロシア語、中国語の5カ国語で、毎年9月に行われる国連総会の各国の席がくじ引きで公平に決められるという話や、何かあったときに対応できるようにするために総会は会議が終了しても閉会することなく、休会という措置をとるという話を聞き、世界平和、安全の維持への道のりの困難さと国連の果たす役割の重要性を感じた。また、広島、長崎からの原爆の遺品や日本政府から贈られた平和の鐘なども見ることができ、改めて日本人の一人として国際平和について考えさせられた。
 日本政府代表部の渡部氏からは、国際連合成立の歴史から国連の現在抱える問題点に及ぶまで詳しい説明を受けた。1945年に発足した国連は、現在185の国が加盟しており、今秋にはさらに3カ国が加盟する予定である。国連の目的は、国連憲章第1条に書かれているとおり、世界の平和、安全の維持であり、そのために6つの専門機関が置かれている。国連職員は、全世界では50,000人以上おり、国連本部だけでも約5,000人が働いている。日本も国連の中で安全保障や途上国援助のために経済的援助や人材の派遣を行っている。コソボ問題では、安全保障理事会の同意が作れなかったため、平和維持軍の出動が遅れたといった問題点についても説明を受け、国際政治の中における国連のあり方についても考えさせられた。
 説明の後質疑応答が行われ、国連日本人職員や原爆の展示のあり方、コソボ問題などについて質問が出された。国連の職員は、国連憲章第100条に書かれているとおり、どの国の政府からも指示を受けてはならない独立したものであり、その人数は、その国の人口と国連への分担金で決められており、それによれば日本人国連職員は、260人ぐらいいてよいはずである。しかし、現実には100人強しかいない。これは国連公用語を2カ国語以上話せることと大学院ドクター、最低でもマスター修了が望ましいといった条件が影響しているそうである。また、空いたポストに自分から応募して競争するといった人事のシステムも日本人には合わないのかもしれないといったおもしろい話も聞かせていただけた。また、日本の中学生に向けて言われた「価値の多様性を理解してほしい。答は決して一つとはかぎらない」という話や「21世紀は対話が重要視される世紀になるだろう」という話などは、教育に携わる私たちにもたいへん参考になる話であった。その他にも、核兵器の問題は世界的に見ても重要な問題であるが、国際社会の中では広島、長崎の原爆を考えるときに、原爆の被害だけでなく戦争そのものの原因も考える必要があるといった視点や国家間の多くの利害が関わる中での国連の果たす役割についての説明など、国連について考えるだけでなく、国際社会の中で日本人がどうあるべきか、国際的視野を持った日本人の育成はどうあるべきか考えさせられた。
17:30チャイナタウンで夕食
 ニューヨークにあるチャイナタウンは、180年前に中国からの移民によって作られたもので、現在中国系移民の人口は、10万人を超えるといわれ、食料品を扱う店だけでなく、医院や薬局、銀行、旅行会社まである世界最大のチャイナタウンである。通りには、私たち日本人には見慣れた漢字の看板と果物、野菜、魚などの食材がならんでいる。ニューヨークで中華料理とは少し変に思えなくもないが、その味の良さに皆満足であった。すべてをあるがままに受け入れてしまうニューヨークということを表しているものの一つだと思った。
19:00ホテル着
8月10日
各自の興味、関心によりメトロポリタン美術館などで調査。
8月11日
13:45ジョン・F・ケネデイ空港出発。帰途につく。
8月12日
日本時間16:40 成田空港到着。解散。


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