What Is Dynamic Geometry?
By E. Paul Goldenberg & Albert A. Cuoco
(In R. Lehrer & D. Chazan (Eds.), Designing learning environments for developing understanding of geometry and space (pp. 351-367). Mahwah, NJ: Lawrence Erlbaum Associates. 1998年)
タイトルにある動的幾何学(Dynamic Geometry)は、いわゆる作図ツールによる幾何学のことであり、特にそのドラッグによる「連続的でリアルタイムな変形」という特徴を強調した呼び方である。本稿は、このドラッグという特徴により生ずる学習上の問題や直接的な帰結に焦点を当て、今後の課題となるいくつかの疑問点を示唆するものである。なお、Goldenberg 氏らは本稿を、考察の第一歩となるワーキング・ペーパーと考えて欲しいと断っている。全体は大きく3つの節からなるので、それに沿って概略を見ていきたい。
最初の節は「動的幾何学により生ずるいくつかの問題」であり、5つの問題が取り上げている。
- 生徒は動く表示をどのように知覚するのか?
ドラッグによる動きがどのように知覚されるかは、それが置かれた文脈に依存する。例えば、彼らの内省によるものであるが、線分ABの端点Aを動かした場合、この点の変換として知覚されがちである。しかし、点Bを通ってABに直交する線分がある場合には、同じ動きでも今度は線分の回転として知覚される。また線分ABの途中に点Cがある場合には、拡大・縮小といった変換が組み合わされたものとして近くされる傾向にある。Goldenberg氏らは、探求や実験を大切にするカリキュラムを作るには、実験から生徒がどのような情報を集め、実験のどのような特徴に注意を向けるのかを、我々が理解しなければならない、と指摘している。
- 生徒は自分の見ているものをどのように解釈するのか?
例えば、三角形ABCにおいて、辺AB上に点Dをとり、これを通って辺ACに平行な直線を引き、辺BCとの交点をEとする。この場面で点Dを動かして、BD/BEやBD/BAを調べているとする。そこで見出した関係が他の三角形でも成り立つかを見るために、点Aを動かしたとする。多くの作図ツールではこの点Aの動きにより、BD/BAの比が動かす前と同じに保たれることに、Goldenberg氏らは着目している。つまり、三角形の変形によりこうした比が一定に保たれるかのような印象を与えかねない。ソフトウェアに組み込まれたこうした図形の振る舞いに結びついた推論に対しても、意識をしておく必要がある。また、生徒が自分の見たものをどのように解釈するのかについても、研究で明らかにしておく必要がある。
- スクリーンの上のその図は何なのか?
これは紙に描かれた図でも同じ問題が起こるのであり、Goldenberg氏らも、Parzysz氏のdrawingとfigureの区別、Laborde氏によるgeometric object、drawing、figuresの区別に関する論文をここで引いている。例えば、三角形の図をたいていの人は三角形と考えて多角形とは考えないのに、一個所が窪んだ、不等辺の七角形の図を見ると、人はむしろ多角形を考えて七角形とは捉えない。つまり、図をどの程度の抽象のレベルで解釈するか、という問題であろう。上で触れた先行研究は、動的幾何学の研究でも十分考慮されるべきであると、彼らは述べている。自分の描いた結果の図や、表示されたものとそれを描くのに用いたコマンドとの結びつきを、生徒がどのように捉えるかを、我々は知らなければならないのである。
- 定義の再吟味:四角形とは何か?
これについては次のような例が示されている。四角形の各辺の中点を順に結んで、新たに出来る四角形が平行四辺形になることを調べる場面である。ここで、ある頂点を向かい側の辺に向かって少しずつ動かしてみる。これにより外側の四角形の形が変わるのだが、その途中では凹四角形が現れるだけでなく、三角形やさらには自分自身と交わる四角形(八の字形の図形)も現れることになる。しかもこのいずれの場合にも、中点を結んで出来る四角形は平行四辺形のままである。三角形も四角形の特殊な場合なのか?八の字形の図形も四角形なのか?動的幾何学はこのようにして、「幾何的対象のカテゴリーの定義を構成あるいは再構成する場面を与えることが出来る。自分の意図とは無関係に、カテゴリーの境界が破られる可能性があるのである。こうした機会を最大に利用し、そこでのリスクを最小にするには、生徒がこうした場面をどのように捉え(例えば、上の変形を一つの図形の連続的な変形と見るのか)、それをどのように解消していくのかを我々が理解しておかなければならない。こうした注意深く定義について考える機会は、数学的にも大切な経験であることを、Goldenberg氏は指摘している。
- 関数、変数、実験についての検討
ここでは、関数を表示する二つの方法と、2種類の作図ツールを対比している。関数を表示する一つの方法として、いくつかの要素となる関数を変換機械として描き、複雑な関数はそれを組み合わせた大きな機械として描くというものがある。x(x+3)という関数であれば、「プラス」という関数と「倍」という関数の組み合わせとなり、「プラス」の入力の一つからは定数3が入力される。大きな機械の入力口から1.5を入れると、「プラス」と「倍」の機械のそれぞれにこの1.5が送られ、「プラス」の方からは4.5が出力され、それが「倍」の機械に送られる。こうして、6.75という全体の機械の出力が出てくるプロセスが見えることになる。これに対して、入力と出力を表わす2本の数直線からなる表示を考えてみる。ここでは、入力を表わす下の数直線の印を動かすと、それに対応して、出力を表わす上の数直線の印が同時に動くとする。後者のような動的依存関係としての関数と、前者のようなアルゴリズムとしての関数という関数の二つの解釈は、ともに数学の中で使われているとGoldenberg氏らは考えており、関数を表示する二つの方法は関数についてのこうした相補的なイメージの発達を支援するとしている。
作図ツールについても、こうした二つの方法について考察する必要があると彼らは述べている。これに先立ち、幾何の実験を関数として見るというアイデアを展開している。ここのdrawing(例えば実際に描かれた三角形)の集合としてfigureを見て(描かれた三角形の集合、またある意味で「三角形」という概念)、figure空間というものを考える。幾何の実験は、この空間の上で規定される関数であり、その点(つまり一つのdrawing)に対して、例えば何らかの観察の結果を対応させるものである。一つのdrawingに対して観察をした(つまり関数の結果の得た)あとで、別のdrawingについて同じ観察をしようとするとき、Geometric Supposerでは、「繰り返し」のコマンドにより同じ作図や観察がステップごとに繰り返されるが、これは「アルゴリズムとしての関数」に当たると思われる。これに対しCabriやSketchPadなどの動的幾何の環境では作図は繰り返されず、点などをドラッグすると観察の結果が同時に表示されることになるので、「動的依存関係としての関数」に当たるものと思われる。こうした2種類の方法を視野に入れて考えることで、作図ツールを利用するカリキュラムの教材の開発や教育上の問題についての示唆が得られるのではないかと、彼らは考えているようである。
なお、この項目の途中で述べられる、動的幾何ではfigure空間は作図により構成される、という指摘は興味深い。例えば、最初のdrawingを作るときに、動かしても正方形が保たれるように作図をすれば、あとの実験に対しては「正方形」というfigure空間が構成されたことになる。また、単に4つの線分により四角形を作図したとすると、この場合は「四角形」というfigure空間が構成されたことになる。
二番目の節は「動的幾何学の数学は何か?」というタイトルである。この節ではまず、作図ツールなどの環境で初めて幾何学に出会う生徒が、ユークリッド幾何に慣れている大人と同じアイデアを構成すると仮定することはできない、という点が述べられる。そして、生徒がどのような数学を構成すると期待すべきか、という問いを提示している。作図ツールの実行は何らかの「振る舞い」を生じ、動的幾何学による生徒の経験は、そうした振る舞いに対する観察や解釈に基づいている。したがって、生徒が構成するであろう数学を考察するには、作図ツールの振る舞いを数学的な仕方で特徴づけることが必要だとしている。彼らはこの特徴づけを、どのような現象に生徒が注意を払い、そうした現象を生徒がどのように捉え解釈するかを問う前の、必要な準備と考えている。作図ツールの諸性質をともなう幾何学についてのこうした理論的分析を彼らは知らないとしながらも、少なくとも二つの方向性が予想されるとして、次の二つをあげている。
- 現存する適当な理論:ここではホモトピー理論が取り上げられている。つまり、連続的な変形を考えたときに、変形前の図形と変形後の図形、およびその変形途中の多くの三角形からなる系列を考えるものである(連続写像 F:X×[0,1]→R2で、F(x, 0)が変形前の図形の点となり、F(x,1)が変形後の図形の対応する点となるようなものを考えればよいのではないだろうか)。動的幾何学を考えることは、変形の効果を最初と最後のイメージを示すだけで示すような環境からの離脱となる。
- 新たな基礎:作図ツールにより得られた推測を証明する際に古典的ユークリッド的な手法が引き起こされるにしても、ユークリッド的な手法だけに依拠することは、動的幾何学の威力を見失うことにもなりかねない。射影幾何学の公理を設定したり、Logoによるタートル幾何を微分幾何学に近いものとして分析してきたように、動的幾何学に公理的な基礎を与えることが出来ないかと、Goldenberg氏らは問うている。一つの分析は、動的幾何での対象と仮定を明確にすることである。例えば、伸縮自在な線分はそこでの対象であり、比の保存(線分AB上に点PをとってBをドラッグしたときにAP/PBの比が保たれるといった性質)は動的幾何の仮定あるいは公準である。また、三角形のある頂点をドラッグするときに対辺が影響を受けないことも一つの仮定である。ドラッグによる変形が数学的どのような意味を持つかも、もっとよく理解されねばならない。例えば、ドラッグは全平面での変形ではないが、こうした変形の数学的な特徴づけはどのようになるのか。こうしたことを考えたときに、動的幾何学は、重要な点でユークリッド幾何と異なるような、別の数学的システムを与えるものであろうか?
"Where Does This Leave Us?" と題された最後の節では、これまで述べたことにも関連しながら、いくつかのコメントが述べられている。
- 動的幾何学の導入により、動きを含む(ときとしてかなり複雑な)図から、生徒が幾何的なアイデアをどのように収集するかについて、我々は理解する必要が出てきた。どこを見るべきか、どの対象を追うべきか、どのような質問をすべきか、どのような実験をすべきか、(高い自由度の下で)どのような実験はすべきでないか、などについての感覚を生徒はどのように発達させるのであろうか?
- 動的幾何は利用者に、意図する関係を記述することを要求することになる。ここでは、C. Labordeによる、いわゆるお絵かきソフトではアクションはあるが記述はない、という考えを引用している。動的幾何学では、二本の直線は平行だと宣言されるからこそ平行なのであり、平行にように描かれたから平行なのではない。利用者は、視覚的な要素と、視覚的なものの宣言的記述の双方と相互作用することになる。このようにして背後にある関係に注意が向けられることにより、先に述べたような "figure" の考えの発達が支援されるのではないだろうか?
- 上でも述べたように、動的幾何学は新たな対象を導入することになる。こうしたものが、生徒が観察することのできる、新しい数学的素材を生み出すこととなる。
- 動的幾何学の導入が、[従来の幾何学との;紹介者註]予想以上に大きな違いを生み出すとすれば、そのときは、古典的な幾何の内容と、数学の他の領域の主要なアイデアとの間の、数学的なつながりをつけるということも考える必要があるかもしれない。
Goldenberg氏らがワーキング・ペーパーと考えて欲しいと断っているように、本稿では体系的に知見が述べられているとは言い難い。しかし、動的幾何学の環境を幾何の学習に活用するにあたり、我々数学教育関係者が考えておかねばならないいくつかの重要な点が、ここでは示されているように感じられた。
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