Six Principles for Gradual Measurable Improvement

by J. W. Stigler & J. Hiebert
(In J. W. Stigler & J. Hiebert. The teaching gap (pp. 131-137). Free Press, 1999年)


 Stigler と Hiebertによる著書 The Teaching Gapでは、TIMSSのビデオスタディの結果をもとに、米国、ドイツ、日本の授業を比較した後、「教授(teaching)は文化的な活動であり、また複雑なシステムである」という命題がひきだされている。教師は自分が生徒のときに、ある種の教授文化といったものを自然と獲得し、特定の信念やスクリプトを身に付けることになる。教師集団はそうしたものを無意識のうちに共有しているので、一層変わりにくいものとなっている。その結果、米国がこれまで行ってきたように、表面的な技法や内容を改革しても、システムが自己治癒的に働き、結果的に元に戻り成果は現れないことになる、と著者らは述べる。

 こうした教授の性格を考えるとき、むしろ長期にわたる地道な努力が必要とされ、その一つの方向性を与えるのが、日本の学校における校内研修や研究授業の方法であるとしている。以下にあげる6つの原理は、上記のような議論の中で、著者らが「教授を改善しようと考えるいかなる人によっても、真剣に考慮されねばならない」原理として、その第8章で述べられたものである。彼らはこれに続き、米国での新しい教育改革のあり方のプロットを記述している。日本の学校を参考にしたこともあり、日本人にとっては当たり前のことかもしれないが、こうした文化も当事者である我々はあまり意識していないこともあるかと思い、ここに載せておく次第である。

原理1:改善は継続的、漸進的、かつ増加していくものと期待すること
 教授は学校をとりまく文化に埋め込まれたシステムである以上、急激な変化を期待すべきではなく、徐々に変わるものと期待すべきである。もちろん、核心の部分でも劇的で根本的な変化は起こりうるのであるが、それは、小さな変化が長い時間に積み重なった結果として生ずるのである。このことは、教授の改善をデザインする際に、長期的な視点を持つ必要性を意味し、また小さな改善を価値あるものと評価することを、我々が学ぶ必要のあることをも意味する。

原理2:生徒の学習という目標に常に焦点を当てること
 教授の目標が生徒の学習である以上、教授の改善の目標は生徒の学習の改善でなければならない。改善のためのプログラムを実行する中で、生徒の学習の大切さが忘れられ、特定の教授形態が実施されているかどうかで成否が見られるようなことになってはいけない。教授のような複雑なシステムの改善では、最重要点に常に焦点を当てることが必要だが、今の場合、それが生徒の学習なのである。

原理3:教師にではなく教授に焦点を当てること
 教師の資格の基準をあげたり、有用な教師をプールすることも大切かもしれないが、教授の長期的な改善はむしろ、効果的な教授方法の開発することに依存するであろう。優秀な一部の教師はいつかいなくなってしまうが、効果的な教授方法は生き続ける。これは言い換えると、教授文化のメンバーとして獲得されるスクリプト自体が、改善されねばならないということになる。

原理4:改善を文脈の中で行うこと
 教授は複雑なシステムであるから、教授の改善は、教授=学習の行われる場である教室において行われるべきである。システムの改善には、その文脈の全ての要素(教師、生徒、カリキュラム等々)を考慮しなければならない。改革が広まるのは、新しいものを実際に試し、異なるクラスに応じて調整することを何度も繰り返すことによってであろう。教室や学校で学ぶ教師というアイデアを、改めて認識する必要があろう。

原理5:改善を教師の仕事とすること
 教授のように複雑で文化的に埋め込まれたものを改善するには、全ての関係者(生徒、両親、政治家等)の努力が必要であるが、教師はその主要な牽引力である。彼らは生徒の直面する問題を理解し、可能な解決を生み出すのに、最適に位置にいる。また研究者に比べ教師は多くいるので、その潜在力も大きいと言える。改善の努力が最終的に流れ込むのは教室であり、教室の責任者は教師である。生徒の学習を改善するのを確かなものにできる唯一の存在が教師である以上、教師が改善に携わるよう奨励すべきである。

原理6:教師の経験から学べるようなシステムを作ること
 多くの教師が毎日の実践で何かを学んでいても、それを集積し、共有し、教授の専門的な知識ベースとして活用していく方法がない。変化を支持する知識ベースがなければ、教室での実践を支配しているスクリプトの変わることはない。知識の集積や共有のための方法を見つけることが必要なのである。言い換えるなら、教師の経験や洞察を残しておけるような、記憶装置つきのシステムを構築しなければならないのである。

 確かにこれらの原理の中には、日本の授業研究などの性格が現れているように思われる。外から見てのそうした利点を、当事者である我々がもう一度意識をすることも無意味ではあるまい。特に、原理2で生徒の学習に焦点を当てるという点は、今般の様々な改革・改善においても真剣に考慮されるべきではないだろうか?

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