概念形成を目的として反例を生かす算数学習の研究


−小学5年生・三角形の面積学習を題材にして−


緕R仁志


1.研究の目的
 今日子どもの算数離れが深刻になっている。その原因は様々であろう。私はその原因の1つとして,算数の学習がスケンプ(1992)のいうところの道具的理解に終始しているためではないかと考えている。新しく学ぶ知識は学習者の既存の知識体系と関係的に獲得されることが望ましい。しかし道具的理解の長所にだけ目を奪われれば,意味もなく手続きを暗記するだけの授業が行われるだろう。このような授業が今日の算数離れの原因の1つと考えるのである。

 本論文では,知識が学習者の既存の知識体系と関係づけられて獲得されることを概念の形成と呼んでいる。先行研究のいくつかは,反例の提示とそれに伴う葛藤の解消が,概念の形成に有効であることを述べている。しかし全ての反例が概念の形成に有効に働くわけでもない。教師が反例を提示しても,子どもが反例として認識しない場合があるからである。

 反例が子どもに反例として認識され,概念の形成に有効に働くようにするには,どのような条件を備えなければならないのだろうか。この条件を明らかにすることを本研究の目的とする。

2.本研究の概要
 第1章ではまずVinner(1991)の研究を参考にして望ましい概念形成の状態について明らかにした。望ましい概念形成の状態とは概念定義と概念イメージが相互に関係づけられている状態である。Vinnerの視点に立てば新しい知識を獲得するとは,その知識の概念イメージを概念定義と関係づけながら創ることである。しかし概念イメージができあがった瞬間に,子どもは概念定義を参照しなくなったり,視覚イメージによって不必要な情報を含んだ概念イメージを子どもが創造したりする場合がある。このような問題点も含めて,反例の提示とそれに伴う葛藤の解消が,概念の形成に有効に働くことを述べた。しかし反例を提示するだけでは概念の形成が図れないことも事実である。この代表的な研究として本論文では藤井(1993)のコンパートメンタリゼイションの研究を挙げた。そしてコンパートメンタリゼイションに陥らないための分析の手段としてBalacheff(1986)の図式を位置づけた。

 第2章では,最初に本研究で三角形の面積学習をとりあげる理由と,三角形の面積学習固有の困難性について明らかにした。そして明らかにされた困難性と,目指す三角形の面積概念とはどのような関わりがあるのかについて,概念定義と概念イメージという視点から考察した。その結果,三角形の面積の概念形成には,3つの概念イメージの創造が必要であることを示した。

 第3章では4人の子どもに対する2日間の予備調査で,明らかになったことについて述べた。30枚以上に渡るプロトコルから明らかにされたことは,子どもの既有知識の様相である。子どもは既有知識として,求積に関する基礎的な概念と概念イメージに関するものをいくつか保持していた。求積に関する基礎的な概念とは「求積経験のない図形に対して子どもは1p×1pの正方形の数で面積を求めようとすること」である。概念イメージとしては「同じ直角三角形は2枚で長方形になるというイメージ」が4人の共通のものとして確認され,これと違う概念イメージも個人差に応じて確認された。そして明らかにされた既有知識から,本調査に向けて予想される問題点とその支援を整理した。

 第4章では4人の子どもに対する,のべ7日間に渡る本調査について述べた。まず調査の対象児童の1人である永井について,学習活動の内容と,どのような推測を立てたかについて述べた。そして50枚以上のプロトコルを分析することにより,三角形の面積概念の形成に必要な3つの概念イメージが創られていることを確認した。更に推測に対する反例が永井にどのような思考の変化を起こさせたかについてBalacheff(1986)の図式を参考にして分析をおこなった。分析の結果,有効に働いたと思われる反例は推測の立て方に大きな関係があることがわかった。有効に働いたと思われる反例に関係した推測は,Background Knowledge(背景的知識)と,Proof(確かめ活動)に支えられているという共通点をもっていた。またその推測を立てる段階で,子どもは問題解決のためのイメージを描いていたことがわかった。逆に有効に働かなかった反例は推測の支えが弱かったり,イメージが描けなかったりしていたことがわかった。

3.本研究の結論
 本研究によって明らかにされた「反例が子どもに反例として認識され,概念の形成に有効に働くための条件」は,「子どもがイメージを伴った推測を立てることであり,またその推測がBackground KnowledgeとProofによって支えられること」である。したがって,教師は反例を用いた指導をする際,子どもの既有のとらえ方があいまいであったり,弱かったりするならば,それを強化する指導も必要となる。

4.今後の課題
 筆者はVinnerの概念定義を,基礎的な概念と読替えている。理想的な概念形成の状態が概念定義と概念イメージの相互関係を築くことであるならば,教師は何がその子どもにとっての基礎的な概念なのかを明らかにしていかなければならない。その上で,何に対する反例を提示するのかを計画する必要があろう。したがって今後の課題は,面積学習以外の分野における基礎的な概念と反例との関係を,更に詳しく研究することである。

5.主な参考文献

指導 布川和彦 岡崎正和
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