Mathematics and Virtual Culture:
An Evolutionary Perspective on Technology and Mathematics Education

by D. W. Shaffer & J. J. Kaput
(Educational Studies in Mathemaitcs, 37, 97-119, 1999年)


 本稿はコンピュータの登場に見られる現代の様相を、人類の認知発達の新たな局面と捉えた上で、 そうした捉え方の数学教育に対する示唆を述べたものである。タイトルにある「ヴァーチャルな文化」 とは、心的プロセスの外化(externalization)に依拠した文化を指しているようである。

 彼らはまず、 神経心理学者Merlin Donaldの著書 "Origins of the Modern Mind" にある人間の文化の四段階を紹介する()第1段階はエピソード的思考、つまり出来事のそのままの想起に基づいている。第2段階では出来事を表象するようになり、模倣的とよばれる。ものなどを用いて意図的に再現するが、言語は用いられない。第3段階は神話的文化であり、文化的理解の物語的伝承に基づいている。第4段階は理論的文化とよばれるもので、書かれたシンボルとパラダイム的思考に基づいている。外的表象の存在により、人間は、記録されたアイデアの間の相互関係を分析的に反省できるようになったのである。

 Shaffer氏らは、この4段階の記述から次のようなテーマを選び出してくる;

 彼らはこうしたアイデアをもとに、第5の段階を特徴づけていく。この新たな文化は、表象の外化のみでなく、心的プロセスの外化に依拠するものであり、そうしたアルゴリズム的処理の外化に基づいたヴァーチャルな文化として特徴づけられている。プロセスの外化は、コンピュータに代表されるような計算メディア(computational media)により可能となる(ただし、コンピュータがその唯一の方法とはされていない)。こうした計算メディアの発達は、三つの要因に支えられている。第1には、離散的な、つまり厳密に区別でき、どのように解釈できるかがはっきりしているシンボル体系が存在することであり、第2にはシンボルに対する変形の規則が作られることである。十進位取り記数法などは典型的な例であるが、方程式の体系も例としてあげられている(xは特定のものは指さないが、一度規定されるとそれ以後一貫して解釈されるという意味では、解釈がはっきりしているのであろう)。この二つをあわせたものはフォーマルな体系とよばれている。第3の要因は、変形の規則を自律的に適用できる外的システムである。

 ところで方程式を考えると分かるように、大事なことは、フォーマルな体系での変形では特定の外的参照物を必ずしも参照していないことである。計算メディアの威力は、経験世界のある側面をモデル化するために、そうしたフォーマルな体系を利用している点にある、とShaffer氏らは述べる。すなわち、「アルゴリズム的あるいはヴァーチャルな文化という次の段階は、次のような能力から発達する;(1)固定された外的参照物を持たないが、一貫した変形の規則をもったシンボルの体系を用いる能力;(2)そうしたシンボルへの自律的な操作をダイナミックな媒体の中で遂行する能力」(p. 108)。

 現代数学は、数百年をかけて、特定の参照物から分離された変形規則について考える方法を作りだしてきた。先に、量的情報を扱うことが新たな文化を作り出したように、「新たな認知様式は数学の世界から来ている」(p. 109)のかもしれない。体系の規則を明示的に特定する能力により、情報の貯蔵だけでなく処理を外化することが可能となり、それがヴァーチャルな文化を可能にしているものであると、彼らはまとめている。

   最後に、アルゴリズム的な思考が外化した結果として考えられる、数学教育への示唆をあげている。

  1. 新たな表象形態:計算メディアは、生徒が手続きを作り、検証し、議論し、変更することを可能にし、それにより思考のプロセスを対象化し、心的活動について語ることを可能にする。もちろん計算メディアは新たな表象形態を提供してくれ、情報を収集、処理、解釈するためのアプローチの幅を広げてくれる。ヴァーチャルな文化の数学教育では、問題場面を様々なシステムにより表すことや、表象間のコーディネートをする能力に重点が置かれるべきだと、Shaffer氏らは主張する。
  2. 新たな教育的アプローチ:ヴァーチャルな文化からの示唆の第2として、彼らは、もっと帰納的で自然的(naturalistic)な方法で数学教育を考えることを提唱する。相互作用や操作のできる場面の中で作業したり遊んだりする中で、演繹をする必要性を感じたり、シミュレートされる場面の理解を深め、さらにその背後にある数学の理解を深める、という方法が計算メディアにより可能となるのである。
  3. 新たな対象:計算メディアの登場は、生徒が扱える対象についても影響を与える。例えば、反復的でダイナミックな表現を用いることで、非線形な現象なども扱え、交通渋滞とかアリのコロニーの様子といったものも対象となりうる。これにより数学的経験と生徒の広範な経験とがより密接に結びつくことになり、数学と現実世界とのつながりを感ずることができる。
    さらに「数学的抽象」の捉え方を再吟味する必要があると、Shaffer氏らは述べる。これについては今後の論文で検討するとしているが、その要点は、「具体的抽象」を考える余地を残すべきだと云うことのようである。
  4. ヴァーチャルな数学に向けて:ヴァーチャルな文化からの示唆として結局、状況に関わった数学にもっと重点を置くべきだとShaffer氏らは述べる。そのために、数学的知識の新たな形態について考え、幅広い思考スタイルや現実世界の経験に深く状況づけられた数学的知識についても含めていけるようにする必要があるとする。だからといって彼らは伝統的な計算や証明がなくなるべきだとは考えておらず、その役割が、従来のような中心的なものから、数学的モデル化や探求を支援するものに変わるであろうとしている。
 最後の節ではこれまでのまとめをした上で、ヴァーチャルな文化では生徒が新たな形態の数学的経験、数学的表象、数学的理解といったものを共有するための新たな方法を持つことは明らかであること、数学の学習や認知に対する社会的側面からの示唆は今後の論文で展開する予定であることが述べられて、稿を閉じている。

 彼らは、問題場面を様々な表象で表すことの重要性を指摘しているが、一連の文化の変容の中ではこの主張は説得力があるように思われるものの、他方では、数学教育の位置づけはそう単純には結論できないようにも思われる。場面を表象し外的装置で処理させ、その結果をまた解釈するとした場合、もちろん、処理の中で使われる数学的概念や手法について、その特徴や限界を知っていることは必要であろうから、それらを学ぶことは、現在の目から見ても数学の授業として受け入れやすい。しかし問題場面によっては、そうした知識以外に、場面そのものについての知識(例えば、環境問題の場面であれば、環境やそこで生ずる化学反応、生態への影響などの知識)がかなり必要となる場合も多いのではないか。また外的装置が充実すればするほど(例えば、当該の場面についてソフトやセンサーにより処理が容易にでき、結果の解釈の標準化されている場合)、そこで行われる営みの中で装置の利用だけが際だつことになるのではないか。Shaffer氏らの議論は刺激的であるとともに、彼らの見解にどのような立場をとるのかを決めるには、各自がいろいろな要因を考えてみる必要があるように感じられた。

 また、論文中で "hybrid" ということが何度か言われるが、Sfaffer氏らは新たな認知スタイルが過去のものを押し流してしまうと考えるのではなく、様々なスタイルの間の対話にも意を払っていることに、我々も目を向ける必要があろう。

:この本の邦訳は今のところ見あたらないようだが、D. A. ノーマン「人を賢くする道具」(新曜社)の pp. 164-172 に「ある重要な本」として、この本が引用されている。そこで、4つの段階についての説明を日本語で読むこともできる。(戻る)


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