Active Learning in a Constructivist Framework

by Glenda Anthony
(Educational Studies in Mathematics, 31, 349-369, 1996)


 本論文は授業における生徒個人の心的活動に焦点を当てたものである。近年の数学教育の改革では、技能の習得や知識の受容に替えて、能動的学習プロセスが大切だとされている。しかし著者の Anthony はデータの分析に先立ちまず、学習が「能動的」であるということが二つの異なる意味で使われている点を指摘し、これを区別するところから論を始めている。一方の用法は、生徒自身の自律性や制御をかなり認めた形での学習活動を指すものであり、探求活動や問題解決、小グループ活動、共同学習、経験による学習などが含まれる。他方の用法は、生徒の心的経験の質を問題にするものである。すなわち生徒が学習に積極的に関与し、洞察を増やしていくような心的経験を指すものである。ここで重要なのは、基本的に両者が独立だということである。つまり、能動的な活動に参加しながらも、受動的な心的経験になってしまっている場合もあれば、逆に、教師の話を聞いたり与えられた練習問題をやるだけであっても、そこに能動的な心的経験が生じている場合もある、ということである。そして Anthony は、好ましい理解を生徒が達成できることを我々が望むならば、後者のような能動的な心的経験に着目すべきであるという立場に立っている。

 論文の主要部分では、以上のような立場に立って、二人の中等学校の生徒の数学の授業における心的経験について、それぞれの生徒の用いる学習方略 (learning strategies) に焦点を当てて分析を行っている。この二人のうち一方は数学を得意とする生徒であり、他方はあまりそうではない。データの分析の結果、彼らの大きな違いは「彼らの学習の目的と、適切で効果的な学習方略の適用の仕方」 (p. 363) にあるとされている。そしてある意味において、前者は自分の学習環境の解釈に関わるものであり、後者はメタ認知的知識に関わるものと考えることもできる。二人の生徒はともに、授業に能動的に参加し、課題や宿題もきちんとやっている。このとき得意な生徒の学習の目的が「内容を理解し、新たな知識を構成すること」であるのに対し、得意でない生徒の目的は「教師や教科書から知識を吸収すること」であった。そしてそれぞれの目的にしたがい、彼らは学習方略を適用していたのである。例えば前者の生徒は、自分の今経験していることを既有の知識との関連で考え、クラスの議論を批判的に評価し、自分に質問を課して探求を進めたり、自分の理解をチェックしたりしていた。また教師の説明などを聞いているときも、自分に必要な情報を選択して聞いていた。これに対し後者の生徒は、短答式の質問にはよく答えるが、それは「間違っていれば教師が正答を与えてくれる」のを期待してのことであり、教師の答えは無批判的に受け入れ、それを自分でなぞれるかどうかにより評価していた。また他の生徒の答えは教師がどう応じたかとか、誰が答えたかにより評価していた。

 このように、授業に積極的に参加している点では同じでも、心的経験の質は異なっている。今後は個々の生徒のこの質に注意を向けて、構成主義的な授業を考えていく必要があるのだろう。


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