Seeing the Problem:
An Explanation from Polya

by Gaea Leinhardt & Baruch B. Schwarz
(Cognition and Instruction, 15 (3), pp. 395-434, 1997)


 本稿は、Polya が大学生に行った問題解決の授業のフィルム "Let Us Teach Guessing" についての分析を行ったものである。このフィルムは1965年に Mathematical Association of America によりプロデュースされたもので、時間は約40分、内容は「5つの平面により空間はいくつの領域に分けられるか」という問題を題材にして、推測を立てるという手法を学生に伝えていく、といったものである。Leinhardt氏らによれば、この授業は二つの目標を抱えている。すなわち、問題そのものの解法を学生に説明していくということと、推測をするというメタ認知的技能を学生に提示するということである。彼らの分析は、Leinhardt氏らによる指導的説明 (instructional explanation) という観点からこの授業を分析し、この観点の精緻化を図るとともに、Polyaが二つの目標をどのように組み合わせて授業を作り上げているのかを示すことにあるようである。
 なお本稿ではメタ認知的技能という用語が使われているが、これは「どのように推測をするか」を知っていることを特徴づけるものであり、これが広範囲の問題をとくための弱い方法であるとしていること (p. 398) や、推測というメタ認知的概念は Polya が問題解決方略あるいはヒューリスティクスとして特定した (p. 401) という記述からして、方略やヒューリスティクスに当たるものを考えることができよう。また推測を立てることの中には、観察やパタンの特定等により推測を帰納することのほかに、問題を単純化したり極端な場合を考えること、類推により考えること、推測を検証することといった、一連のプロセスが考慮されている。
 指導的説明は教師や生徒により作られるが、有意味な問いの文脈の中での教授を目指したものとされる。これはいくつかの目標状態 (goal states) を核とした計画のネットとも特徴づけられるが、主たる目標状態としては次のものがあげられている;(1) 今問題とすべきことの特定;(2) 説明の土台となるような表象システムを適切に配置すること;(3) 問題となっている手続きや概念に結びついた制約やアフォーダンスといった使用の条件を特定すること;(4) 具体的な提示の表象と言語やシンボルの適切なコーディネーション。彼らはこれを初等レベルの授業の分析から構築しているが、今回の分析を通して、指導的説明というモデルが、大学レベルのような上級レベルにも適用可能だと彼らは述べている。一方で、Polya の授業の特徴から次のようなモデルの拡張が必要ともされる (p. 430)。初等レベルの分析では、単一の概念や手続きという目標のために単一の表象を前提とするような状況を考えていたが、これを、多様な表象を含み、それら表象やモデルの間のコーディネートという目標状態も含めていく、ということである。
 授業の分析に関しては、個人 (布川) 的には議論は構造的でなく、ポイントがわかりにくいように思う。ただ、指導的説明という観点から見たときに、いくつかの指摘は興味あるものに思えた。一つは問題になっていることの特定にあたり、授業のところどころでの振り返り (reviewing) と表象やモデルの変更を含む問題の言い換え (restate) により、学生が徐々に何が問題かを感じることができ、また授業を通してそれを意識することができるようにしている、という指摘である。この授業では最後の方にでも「5つの面の一般的な配置とは」といったことが問題となっており、これはある意味では、授業を通して問題の洗練化が行われた証拠とも見れる。Polya は授業の導入でも、まずは自由に (しかし理に適ったように) 推測を出させ、多様な推測が出るからこそこの問題をもっと突き詰めて考えていく必要があることを、学生に示している。
 二つ目として、Polya が豊かな表象やモデルを利用しているだけでなく、それらが「問題のセンス」(p. 431) を手引きするように用いているとしている。表象やモデルを変えることは、問題の言い直しやその意味の再定式化を導くとしている。それぞれの表象が持つ役割を考え、それらを適切に配置している点を、Leinhardt氏らは評価しているものと考えられる。
 三つ目としては、上でも述べた多様な表象やモデルの間のコーディネートということである。上のように多様な表象を用いることは、同時にそれらの間の結びつきを常に考慮することを教師に要求する。Polya はこれに注意を払っていると彼らは主張する。平面の類推へ進む際にも、元の問題についての曖昧な推測をチェックするためにするという流れを作り、その移行が「問題の目標に関わって正当化され」(p. 431) ている。さらに3次元のときの一つの面での断面を考え、黒板をこの面とした断面図を用い (このとき他の二つの面は直線で表されている)、2次元の類推が元の3次元の場合と無関係ではないことを感じさせるようにする。また、表を用いることは、多様な表象を結び付けるために役立っていると彼らは考えているようである。
 次に問題の解決とメタ認知的技能の提示という二つの目標の組み合わせに関しては、これも結論の節で明示的に述べられておらず明確ではないが、途中の分析の中からいくつかの知見を見出すことができる。全体的な特徴としては、推測をすることについて提示する部分では、Polya は彼自身の説明により授業を進め、解決を行う部分では学生とのやり取りの中で授業を進めている (論文ではこれを共有的提示と読んでいる)。推測についての提示のまとめが、問題についての作業をすることに議論を向けるための介入として働く。その議論の中で学生が推測をすることに関わるターゲットとなる行動をとったときには、それを取り上げラベルをつける。一方で、簡単な場合や極端な場合、類比的な場合を用いることの必要性は、問題についての素朴な推測の行き詰まり (例えばいろいろな推測が出てしまう) から導いている (p. 419) が、これなどは逆に、解決の作業が自然に推測の作業につながるものと言えよう。なお、途中の解決や類比的な場合の結果などを表の形で提示しておくとともに、最後にはその表の数値的パタンに目をむけさせるという流れを念頭においてか、Leinhardt氏らは Polya は表を通して推測をすることと元の問題の解決とを結び付けようとした、とも述べている (p. 425)。
 これまでのメタ認知の指導などの研究を踏まえれば、適切な文脈の中で、つまり実際の問題解決を通してメタ認知的技能も指導されるべきであろうが、Leinhardt氏らはこうした点を Schoenfeld の文献を引用しながら指摘し、その困難さを述べるのだが、結局結語の節では「推論や問題解決のためのメタ技能についての構成主義的な教授の問題は、オープン・クエスチョンのままであると考える」(p. 432) としてしまっており、本稿の分析からもう少し具体的な提案ができないのかと感じた。
 ところで、彼らはまとめ的な部分では Polya の授業を良いものとし、例えば表象間のつながりが適切に制御されていると述べているし、全体として評価していることは確かなのであろう。しかし、細かい個所になるとそのあたりの評価を微妙にする記述が見える。授業後半で表でパタンを見つける作業に移行したことは「問題の性質を微妙に変えた」(p. 425) とし、Polya の努力に関わらず学生は、全体についての推測や問題の洗練に表の数値の「推測のパタンを結び付けることができなかったのかもしれない」(p. 426) と述べている。また表の数値的パタンの説明で、それを直線、面、領域といった幾何の話と結び付けずに学生が説明しているという指摘は、何度か繰り返される (p.419, p.426, p. 430)。
 また、平面が1つ増える毎に領域は2倍になるという考えは学生に根強く残ったようである。これをどのように解消するかは問題の解決にとって重要であると思われるが、それについて論文ではあまり扱われていない。2次元で直線が3本の場合に三角形という閉じた領域ができることと、3次元で4つの場合に三角錐という閉じた領域ができることとの類推で、Polya はこのあたりを示そうとしていたと Leinhardt氏らは考えているようであるが、結局は「二分されないことに学生が反対する際に彼らにより表現される根強い当惑」(p. 431) といった言い方をし、むしろ表象が変わると学生は別の問題と捉えてしまうということの事例に用いている。しかしこのことは今度は、表象間の結びつきについての Polya の配慮が上で述べたように本当に適切だったのかという問いをもたらすことになる。Polya のもののようなよい授業は、「ずっと generative」であると彼らが述べるように、先の点なども含めさらなる分析が待たれるところであろう。
 本稿には授業のプロトコルの一部もわずかながら載っており、それを見ても Polya が一生懸命授業をしている様子が伺える。しかし問題解決に関心を抱くものとしてはフィルム自体を見てみたいという気持ちをやはり持ってしまう。


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