算数・数学の授業における効果的な議論に関する研究
教科・領域教育専攻自然系コース(数学)
広瀬直子
1.本論文の目的
一般的に,子どもたちが活発に意見を発表し活動している授業というのは,議論があってよい授業だといわれている。しかし,子どもたちからいろいろな意見が出て活発に活動しているだけで,それは算数・数学の授業にとってよい議論といえるのだろうか。筆者は,このことに着目し,本論文の目的を“一見,子どもたちが活発に活動していてよいと思われがちな議論を,consensual domain という観点を取り入れることによってもう一度見直し,算数・数学の授業で効果的な議論とはどのような特徴を持つのかということを明らかにする”と設定した。
2.本論文の構成
序 章 本論文の動機と目的
第1章 算数・数学の授業における議論の問題点
第2章 議論を見ていくための観点の設定
第3章 授業分析-小学校3年生『わり算』-
第4章 算数・数学の授業における効果的な議論
終 章 まとめと今後の課題
3.論文の概要
第1章では,算数・数学の授業における議論を見ていくときの着眼点が何であるかを考えた。また,子どもたちの間に解釈の違いから問題が生じている議論の場面を見て,その問題が解消されていくときの議論における共有の基盤に着眼することが必要であることを述べた。
第2章では,議論における共有の基盤を見ていく観点を設定するために,算数・数学の授業における相互作用に関する先行研究にあたり,その考察を行った。まず,熊谷(1989)の研究より共有していく過程に着目すべきとの示唆を得た。そして,J.Richards(1991)の研究よりcon-sensual domainという共有の基盤を見ていくための観点のアイディアを得た。P.Cobb(1992)の研究からは相互作用を捉えていくときの見方に関する示唆を得た。その結果,筆者は次のように,consensual domain を捉えた。
まず,consensual domain が開かれる場面では,子どもたちは議論が始まるきっかけとなった発言の内容に合意することによって議論に参加する。この合意の内容をコンセンサス1と名付ける。多くの場合,consensual domain を開くためのコンセンサス1に大きく係わっているのは教師である。しかし,子どもが全く係わっていないわけではない。議論に参加している子どもたちからは,ある特定の数学の知識が係わった考えしか出てこない。子どもたちは,これまでの経験・知識から無意識のうちに自分自身の活動にある制御をかけている。この無意識にかけている活動を制御する内容をコンセンサス2と名付る。よって,consensual domain が開かれる場面では,コンセンサス1によってコンセンサス2が生じ,この2つの影響関係によって consensual domainが開かれると捉える。コンセンサス1と2がうまく影響し合ってconsen-sual domain を開いた場合に,子どもたち自身がお互いに数学的な質を高めていくような議論が起こる。もし,数学的な質を高めていくような議論が起こったなら,その結果として,議論に参加している子どもたちの間に新たな共有されたと見なされる知識が生じる。この新たな知識の内容をコンセンサス3と名付ける。
以上から,筆者は,consensual domain とは“何らかのコンセンサスのもとに開かれた領域”で“新たなコンセンサスを引き起こす可能性を持つ領域”を指す,と捉えた。
このように捉えた consensual domainをもとに,第3章では,実際に観察した「わり算」の授業1単元の分析を行った。ここでは,最初にconsensual domain の有用性を明らかにすることを試みた。9時間の「わり算」の授業を観察した印象とその時のメモからコンセンサスを想定することによって,次の授業における議論のconsensual domain への働きかけを考え,暫定的に構成した consensual domainをもとに10時間目に実験的授業を組織した。分析の結果,働きかけがうまくいっていないことが明らかになった。その原因を考え,実験的授業で実際に開かれた consensual domainを考察するために,9時間の「わり算」の授業を再分析することで再びコンセンサスを考え直した。
第4章では,この再分析から確定したコンセンサスをもとに,実験的授業で実際に開かれたconsensual domain を説明した。実験的授業がうまくいかなかった最大の原因は,筆者が最初に考えていたコンセンサスが,議論における共有の基盤として機能していなかったことにあった。9時間の「わり算」の授業を通して,子どもたちには「分けていく」という過程に目を向ける必要がなく,そのため‘わり算とは「分けられた」状態を表すものであり,それを示したものがわり算の式である’というコンセンサスが生じた。そして,9時間の「わり算」の授業では,
1.子どもたちの具体的な操作活動の軽視
2.「わり算」の単元でのかけ算九九の練習
3.わり算の式の中の数値に単位を付ける活動
という3つが子どもたちの活動の過程を支えていたことによって,‘わり算の式は,文章題の中の言葉と結びつけて立式する’というコンセンサスを生み出した。そのため,実験的授業では,筆者が構成した consensual domainとは異なる consensual domainが開かれていた。このことをもとに,実験的授業での議論をより効果的にする方法を考察していく中で,次の2点が議論を組織していく場合に大きな問題になってくることが明らかになった。
- 子どもたちの間のコンセンサスをどのように形成していくか。
- 議論での consensual domainをどのように開いていくか。
以上より,筆者は,“算数・数学の授業における効果的な議論とは,子どもたちの間でコンセンサスが形成され,一斉授業における議論の場面で consensual domainが開かれていくという,そのサイクリックな過程である”と捉えた。
4.今後の課題
今後の課題としては,効果的な議論を組織していく場合に問題となる2点を,実際の授業において,教師がどのように考えていけばよいかという具体的な方策についての考察を行うことが残されている。
指 導 熊谷 光一
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