聴覚障害児の文字式の学習に関する研究

教科・領域教育専攻自然系コース(数学)

森本 明


1. 研究の目的
 A.Bishop(1991)らが「数学によって聾の耳を治すことはできないが,数学が彼らの 思考を促進し,そして数学をすることで,彼らは『真の聾』を克服するようになるか もしれない」と述べているように,筆者は聴覚障害児の数学学習が意義あるものであ ると確信している。また,その際,数学は生活上の実用的価値だけでなく人間が人間 らしく生きるための精神的・文化的価値を含むものであると捉えている。そして,実 際に算数・数学学習で各個人がもっている困難を乗り越える経験をすることを通して ,数学学習の楽しさを獲得し,さらには子どもが生きていくうえで困難はのり越えら れるという自信を自ら獲得することができると考えている。これが筆者の研究の究極 的な目的である。
 本稿は,この究極的な目的を達成するための一研究として位置づけており,聴覚障 害児にとってより抽象的で困難と考えられている文字式に関して,聴覚障害児の学習 プロセスを考察する。そして,聴覚障害児の文字式の学習プロセスを考察することに より,聴覚障害児がよりよく文字式の学習を行なうことができる可能性があるかどう かについて,1つの結論を示すことを試みる。

2.研究の方法
 聴覚障害児の文字式の学習プロセスを考察するために,実験授業を行い,授業にみ られる聴覚障害児の学習プロセスを分析する。その際, R.Skemp の用いている概念である表層構造と深層構造をもとに構築した枠組みによっ て、子どもの文字式の学習プロセスを分析する。

3.各章の要旨
 第1章では,まず、聴覚障害・聴覚障害児を数学学習において見直していくことを 述べる。そして、具体的にどのように聴覚障害児の数学学習を見直していく必要があ るかを明らかにするために,聴覚障害児の数学教育に関する先行研究から,聴覚障害 児の数学学習の現状を把握する。そこでは、聴覚障害児が,成功のうちに数学を学習 することができていないこと,その原因が,聴覚障害児のことばと抽象化能力の育成 の困難性にあるとされていることがわかる。そこで,まずは聴覚障害児の数学学習の 可能性を示すことが重要であると考え,ことばの習得と抽象化能力に困難性がある聴 覚障害児にとって、より困難であると考えられる文字式の学習について考察すること としたことを述べる。
 第2章では,聴覚障害児の文字式の学習を捉えるために構築した枠組みである表層 構造と深層構造について述べる。子どもの文字式の学習を捉えるための枠組みを構築 する際,R.Skemp の用いている概念である表層構造と深層構造をもとに,文字式に関 して再定義する。そして,子どもは,文字式について,ある一貫性のある活動をする こと,そのとき,文字式の学習は,子どもの一貫性のある活動が変わっていくことで あると捉えられ、それは、子どもの文字式に対する表層構造と深層構造が変わってい くことである。そのとき、表層構造と深層構造は個人に依存するものである。また、 よりよい文字式の学習は,子どもの文字式に対する表層構造と深層構造が、より一般 性,発展性のあるものへ変わっていくことであると捉えることができる。
 第3章では,聴覚障害児の文字式の学習の実態を把握する。そのために,第2章で 構築した文字式の学習を捉える表層構造と深層構造の枠組みから,筆者が行なった実 態調査における子どもの解答を分析する。分析は,各問題に対する子どもの解答につ いてと,一連の問題に対する個々の子どもの解答について行なう。その結果,聴覚障 害児全体の文字式の学習の実態として,文字式に対する表層構造と深層構造が様々で あることがわかる。また,個々の聴覚障害児の文字式の学習の実態として,文字式に 対する表層構造と深層構造が,一般性,発展性をもつものではないことがわかる。
 第4章では,第3章の個々の子どもの文字式の実態を考慮し,実際に聾学校におい て,授業を行う。そして,授業における個々の子どもの文字式の学習プロセスを,表 層構造と深層構造の枠組みで分析する。さらに,聴覚障害児の文字式の学習プロセス に,教師が,どうかかわっているかについて考察する。分析・考察の結果,聴覚障害 児の文字式に対する表層構造と深層構造が,より一般性,発展性をもつものへと変わ る可能性のあること,一方で,聴覚障害児の文字式に対する表層構造と深層構造が, 変わらなかったことがわかった。そして、この表層構造・深層構造が変わらなかった 聴覚障害児の文字式の学習プロセスに,教師の働きかけが、有効でなかったことがわ かった。

4.まとめと今後の課題
 本論文では、授業における聴覚障害児の文字式の学習プロセスを分析した。その際 、子どもの文字式の学習を分析する枠組みとして表層構造・深層構造を用いた。
 今後の課題として、この表層構造・深層構造の枠組みついて、再考すること、また 、健聴児の文字式の学習プロセスと比較することを挙げておく。

指導 熊谷光一


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