『学習心理学特論』レポートへのコメント

コメント
<2007年度版>
【事例編】 Part 2
●過去のコメント
06年度 01年度
05年度 00年度
04年度 99年度
03年度 97年度
02年度 96年度
toHOME

■ 内発的動機づけを低減させる要因(2) ―時間制限―

  次は,もともとが生活費のためという,きわめて外発的な起源を持つバイトへの意欲が,その後様々な要因によって変動することを綴ってくれたレポート。飲食店というシチュエーションまで同じ2つのレポートが届きましたので,まとめて紹介しましょう。

  ではまず1つめ,時間制限の要因について。事例部分を一気に読んでみましょう。

  私は大学生の頃,和食レストランの板場で主に魚介類などを扱うバイトをしていた。店長は,板場担当は刺身の盛り合わせなど細かい作業が伴うため,女性が担当することを以前から希望していた。そのため,私が担当に決まった途端,どんなに忙しくても,包丁の持ち方や使い方など手とり足とり教えて下さった。

  はじめのうちは,作業のすべてが新鮮で楽しかった。もともと料理は好きであったため,普段の一人暮らしではお目にかかれないような数々の魚介類に直に触れ,なおかつ調理したものを来店したお客様が召し上がっているのだと思うと,なんとも言えない幸せな気持ちになるのだった。

  板場を担当するようになって1ヵ月もすると,店長は私に一つの要求をしてきた。それは「一品を作るのにかける時間を1分程度にしなさい」というものであった。特に週末などは店内が大変混雑するため,スピードが重要になってくるのだ。

  私も,その要求が理解できないわけではなかった。しかし,刺身の盛り合わせをつくるにしても他の料理をつくるにしても,その時間制限が出来たことで,私は板場を担当することに対して苦痛を感じるようになっていった。

  考えてみると,最初のうちは月末に銀行口座に振り込まれるお給料を目的として,バイトを始めたはずである。覚えなければならない仕事の量から考えても,けっして楽なバイトではなかった。店長から檄を飛ばされることもしばしば。しかし,店長が合間合間にバイトが求められる作業以上のこと,例えば包丁の扱い方・手入れの仕方,さまざまな料理の下ごしらえなどを教えようとしてくださったおかげで,私はいつか,お客様のために料理を作るということに対して喜びを感じ,料理に対する興味も高まっていったのだった。店長や周囲のスタッフが作業を褒めてくれたりすると,自分の中でさらに美味く作りたい,見栄えよく作りたいというやる気や興味が高まったように思う。

  しかし,そこへ「時間制限」という外的な拘束が生じたことで,活動に対する興味ややる気は急速に薄れていった。そして再び,その活動はお給料のためという当初の目的へと戻っていった。言ってしまえば,お給料のためにバイトをしているのだと,自分の中で割り切ってしまったのである。

  プロの仕事なのだから,内発的興味だ,仕事の喜びだ,などと甘っちょろいことを言ってるんじゃない!! というツッコミがどこからか聞こえてきそうですが,その問題はここではおいておきましょう。早く仕上げなさい,時間内に終わらせなさい,と催促するようなはたらきかけは,自分が納得できるまでじっくり,とことん取り組みたいという内発的興味とは,どうも相性がよくないということがよくわかる事例だと思います。

  もっとも,この状況から一歩も二歩も突き抜けたプロの人たちは,この時間制限をもチャレンジと受けとめ,いかに短い時間内でも作業の質を落とさずに,きれいにおいしく仕上げられるかということに,強い有能感を感じることができるようになるのでしょうが。

ポイント
toHOME

■ 内発的動機づけを低減させる要因(3) ―関係性の意義と問題―

  上の事例でも,店長のかかわりが本人の動機づけの在り方を大きく左右していました。包丁の手入れの仕方を教えてくれたのも,1分以内という制限時間を言いわたしたのも店長です。このあたりの人間関係の影響について,もうひとつのレポートで見ていきましょう。これまた一気にいきます。

  私がバイトを始めた理由は,大学の学費と生活費を稼ぐためである。しかし,しばらくして私は働くこと自体が楽しくなってきた。きっかけとしては,上司であり教育を担当してくれた社員の方が「君は笑顔がいいね」とほめてくれたことや,以前は自分が未熟だったためにクレームを受けたり,忙しくてオーダーが出せなかったりしたのがなんとか克服できたこと,後輩ができて自分も教育する側になってきたこと,職場の雰囲気に溶け込んできたこと,などが考えられる。

  社員の方にほめられたことは,もっとほめられたいという思い(外発的動機づけ)ではなく,「自分にそんなよい面があったのか」という気づきを私にもたらした。そして,そのような部分をもっと伸ばしたいという思いへとつながっていった。

  この店舗には3年ほど在籍し,楽しく働くことができた。しかしやがて,もっと自分をレベルアップしたい,ほかの場所でも自分が通用するのか試してみたい,という思いが強くなり,私はもう少し規模の大きい店舗にバイト先を変えることにした。

  業務内容はほとんど同じ,前の店舗でやり慣れていた楽しい仕事のはずだった。にもかかわらず,この店舗での私は,自分でも驚くほど急速に,仕事に対する意欲を失っていった。その過程を見ていきたい。

  新しい店舗には,前の店舗のような教育係はおらず,各自が与えられた仕事をこなしていくといった雰囲気があった。そのような中でも,私は自分の意志で,出勤時間より早く来て開店の準備を手伝ったり,退勤した後も店が忙しそうだったら残って手伝ったりしていた。そのがんばりは店長に認められ,私はその店舗で一番高い時給で働かせてもらえるようになった。

  ところが,この頃から,高い時給をもらっていることやスタッフ不足という事情から,希望しない時間にも勤務せざるを得ない状況が少しずつ増えていった。それは,自分の中で仕事への意欲が低下しているのに気づく,最初の兆候だった。

  1年半ぐらいたって,店長が替わることになった。新しい店長は評判が悪く,自分の思い通りにふるまい,自分が気に入ったバイトしか認めず,しかも自分は何もしないというような人だった。

  私は,店長だからというだけでその人についていこうとは思えない方だが,そんな考え方が態度に出たのか,店長は私を避けるようになり,時給も下げられてしまった。この時点で,私のバイトに対する意欲は,すっかり冷え切っていたのである。

  ここでもやはり,バイトにやさしい声をかけてくれる上司がいます。はたらきを認めてくれる上司も。それが,当初は外発的だったバイトの仕事を,少しずつ「やりがいのある仕事」に変えていったといえるでしょう。

  ちょっとだけ脱線しますが,飲食店ということで,自分の仕事の先に「お客様」がいる,具体的にイメージできるということも,これらの事例では大きいように思います。とくに,最初の事例に語られているような,「自分が調理したものを来店したお客様が召し上がっているのだと思うと,なんとも言えない幸せな気持ちになる」という感覚は,周囲の環境に効果的な変化をもたらしたという感覚であるWhiteのコンピテンス概念(こう言い換えると,なんだかミもフタもない気がしますが…)に通じるものがあります。こうした,自分の行動を介した他者とのつながりが,Deciたちのいう「関係性」(relationshipではなくrelatedness)の,おそらくは本質なのでしょう。―では,職場の人間関係の話に戻ります。

  しかしその一方,能力を認めてくれ,期待してくれるがゆえに重宝されてしまう(希望しない時間の勤務)というのも,やはり人間関係の一側面です。「1分以内」の制限も,同じようなことでしょう。もしこれからプロとして,そのお店のスタッフとしてがんばっていく人だったら,それはごく自然なステップ・アップなのではないでしょうか。自分が楽しいだけでは済まず,お店のためというか,お店の仕事全体を見わたした行動が求められるわけで,力量を認めれば認めるほど,責任や貢献という側面での期待も大きくなっていくということでしょう。

  だから,もしかしたら正社員だったら,喜んでその期待に応えたかもしれません。しかし,残念ながら相手はバイト,本業はほかにあります。このあたりが,やはり意欲の分かれ目になっていくのでしょう。

  ともあれ,人間関係が動機づけの在り方を大きく左右するということは,よくわかります。あらためて考えてみれば,提出されたレポートのほぼ全部が,教師-生徒関係を主とした人間関係の中での動機づけを書いてくれているわけで,人間関係の重要性を再認識させられます。私もまた,だれかに対して横暴で理不尽な店長であったのかも知れません。

ポイント
toHOME

■ 教師の目論見/生徒の自律

  文化祭モノも,近ごろはレポートの定番テーマのひとつになってきています。最後は,この文化祭を取り上げた事例です。先生が提案した出し物を(生徒にとっては外的調整),いかにして<生徒たち自身の出し物>に変えていったか,先生の奮闘を見てみましょう。後半は別の生徒グループが登場し,その対比がまた傑作です。

  さて,舞台は東海地方のとある県,東海大地震の危険性が指摘されて一躍防災先進県となったS県の農業高校です(このあとの展開の都合上,ここだけは完全匿名とはいかなかったので…,みなさんあまり詮索しないように)。中学までにリーダーシップ経験を取ったことがある生徒が極端に少ないというのが,この先生の印象です。先生は新採から4年めで3年生の担任,授業にも慣れ,文化祭全体を取りまとめる主任の役も2年めでした。

  担任していたのは農業土木科。主として土壌や道路の整備・測量の技術と,農業機械の学習を中心にすえているのだそうで,生徒は男子ばかりで教室は男っ気が充満していました。例年,気の荒い生徒が幾人か必ず在籍するクラスでもありましたが,一方でまじめで素直な生徒もいて,淡々と勉強や運動に取り組む姿がありました。ただし彼らのクラスへ影響力は,けっして大きくありません。

  農業高校の文化祭は,収穫祭の意味合いもあり,授業で栽培した農作物や,味噌などの食品加工物の販売が目玉です。また例えば畜産科では,家畜とのふれあいコーナーなどを実施するので,地域の人たちが多く学校へ足を運んでくれ,大いににぎわいます。そうした中で農業土木科は,授業内容が商品に結びつきにくいため,来客にアピールできる企画を作りにくいという事情がありました。したがって,生徒もいまいち盛り上がりに欠けます。

  そこで先生の出番です。クラスとして文化祭に出展(出店)することを,先生はクラスに提案しました。内容はこうです。

東海地震に関して模造紙を用いた掲示物を作り,その横で炊き出しの実演をして,出来上がった炊き出しご飯を販売する

  この内容を提案したのは,彼らの専門性と関連する内容での出店にしたかったから,また彼らが1年生の冬に阪神・淡路大震災が発生し,東海大地震の危険性が叫ばれて久しいS県民として関心をもってしかるべきであろうと考えたからでした。農業土木科の生徒は,いわゆる土建屋に就職する可能性も高く,地震による建造物の倒壊に興味を持つ者も散見されていました。それに,炊き出しを経験しておくことは,地域での防災活動にあまり参加していない彼らにとって,大きな経験値になるはずです。

  はたして,この提案を聞いたクラスの反応は,とても鈍いものだった。「えー,めんどくさいじゃん」という声が耳に入ってきた。私の提案は,生徒たちにとってあまり魅力的なものではないようだった。しかし,私にとってこの内容は,彼らが興味を持っていようがいまいが,農業土木科の生徒として取り組む意義があり,またやがて何かしら役に立つはずのものだった。

  そこでまず私は,クラスの「まじめ軍団」に興味を持ってもらうことを試みた。私は次のような感じで働きかけた。

「なー,どうだ,やらんかー」
「おもしろそうだろー」
「S県民として知っておきたいことだよなー」
「物売ったりするの楽しそうだろー」
「儲かったらどうしようかー」
「副担のS先生って,大学で地震後の液状化現象を勉強したことあるんだってよー」
「土木の先生たちも手伝ってくれるしさー」
「文化祭当日,いつも暇だろー」
「終わったら打ち上げやろうぜ」

  彼らは,少しでも興味を持ってくれたのか,担任の熱意に負けたか,それともそれを「強制」と捉えたか,打ち上げという「報酬」に興味をもったか,当時36人のクラスのうち7人くらいが,とにかく取り組んでくれることになった。参加は強制しないという担任のスタンスのもと,一部有志が取り組むという,ちょっといびつな形ではあったが,ともかく取り組みが始まった。そしてクラスの他の生徒たちは,事態の行く末を静観していた。

  もちろん,この時点での生徒たちの動機づけは,明らかに外発的です。しかし,きっかけは外発的でもいいのです。とにかくその活動を実際にやってみることがだいじ。活動に取り組んでくれれば,先生もその先いろいろと動機づけを工夫する余地が出てきます。始めてくれないことには,先生も手を出しようがありませんからね。続きを読みましょう。

  「まじめ軍団」たちは,放課後の部活動の後などに取り組みを始めた。

「先生,家でお母さんに炊き出しのこと聞いてみたよ」
「先生,地震の新聞記事,探してみたよ」

などと,報告してくれるようになった。地震と土壌・建造物の関係について,土木技術専門の教師たちに尋ねている姿も見られた。教師たちは,「地震のことやるのかー,すごいじゃないか,がんばれよ」などと声かけをしてくれた。もちろん,担任教師が土木教官たちの控室に行って,生徒たちの取り組みとその意義を宣伝しておいたのである。学級通信にもクラス出展のことを記事にしておいた。

  また,地区の防災対策に関して,私が市役所の防災課に連絡をとり,いろいろと話を聞かせてくれることになった。生徒たちは,緊張しながらも用意していた質問を丁寧に尋ね,メモを取っていた。

  炊き出しは,災害時の炊き出しで使用される高密度ポリエチレンの小袋を用いることとなった。家庭で不思議な小袋の話を聞いてきた生徒の情報をもとに,市役所に問い合わせたところ,市役所にある在庫を分けてくれることになったのである。このポリエチレンの小袋はなかなかの優れもので,中に米を1合と水を適量入れ,口を閉めて熱湯の中で茹で上げると,ご飯が炊けるというものだった。配布も袋単位で行えばよく,量の平等性も保たれ,清潔感もある。お好みで,醤油や梅干しを入れる味付けの工夫もできた。

  生徒は,「へー,これで炊けるのー,ごはん」と,当初は半信半疑だった。じつを言えば,私も同じだったのだが。

  このころの「まじめ軍団」たちの動機づけを,先生は「取り入れ」を通り越して「同一化」へと進んだ段階,と分析しています。活動初期は,担任との関係も考えて,義務感やプレッシャーの中で取り組んでいたのが,活動を進める中で,だんだんと地震や防災に対する重要性・必要性を認識し始めました。「そこには,農業土木科に学ぶ者としての自己の価値と,S県における防災への取り組みへの必要性といった社会の価値との同一化が見られるように思う。」と先生は書いています。このあたりは,先生が考えた企画のねらいどおりですね。

  このころになると,「まじめ軍団」たちは自主的に,掲示物作成の見通しを考えたり,文化祭当日の掲示や炊き出しのセッティングのレイアウトを考えたりするようになりました。

  文化祭前日に行った炊き出しの練習は,彼ら「まじめ軍団」が最も盛り上がった時だった。前述した高密度ポリエチレン袋を,合宿所の調理室で試しに使ってみたのだ。

  「まじめ軍団」たちは,家から醤油や梅干,それにシーチキンやら削り節やら,いろいろなものを持ち寄っていた。そして,大鍋で熱湯を沸かし,わいわいと炊き出しの予行を始めた。私が覗きに行くと,小袋を開けて炊きあがったご飯を取り出して,

「うわーホントに炊けてるー」
「まあまあ,うまいぞ」
「うー,微妙」
「これ芯があるぜー」
「今度はこれを混ぜよう」

と,喧々諤々盛り上がる様子があった。彼らの盛り上がりはとどまることを知らず,日も暮れて時間も経っていたので,いくら男子といえども家庭に電話を入れるように指示したことを思い出す。

  先生の分析だと,この時点では,彼らの動機づけはある意味「統合化」の域に達していた,とのことです。

ということになります。

  さあ,そしていよいよ文化祭当日。本番はお客様相手ですから,上のレポートと同様,ここでもやはり,活動に対する内発的興味とは別の要因がいろいろとはたらくことになります。そんな中で,彼らの動機づけはどうなっていったのでしょうか。

  その前に,じつはこの時,私のクラスからはもうひとつの出店があったことを記しておく必要がある。担任教師の勧めに乗った「まじめ軍団」を静観していた他の生徒たちの中に,自分たちも何かやりたいという気持ちを持つ者が出てきたのである。

「せんせー,炊き出しなんか,ぜったいうまく行かないって」
「うちのトウちゃんも,炊き出しのメシはまずいって言ってるぜ」
「なんかさあ,他のもの売ろうぜー」
「いいよなあ,他の科はさあ,売れるもんがあってー」

今まではただヒマなだけだった文化祭だが,彼らの中で何かが動いているようだった。ひとりの生徒が具体的な案を持ってきた。

「先生,焼き鳥売ろうよ」
「なんで焼き鳥さ」
「この前,ウチの地区の運動会でうまかったんだよ」
「それで?」
「父ちゃんに頼めば,自動焼き器もすぐ借りられるからさあ」

焼き鳥の販売など,学科の勉強内容には何も関連しないことだった。しかし,女子バレー部がじゃがバタ販売を計画しており,それに準じる形ということで,もうひとつの出店も許可されることになった。焼き鳥販売には,主として「非まじめ軍団」たちが大いに興味を持った。

  いったいなんでしょう,この展開は。まるで学園ドラマのような,突然強敵が登場して引っかき回すという,最終回に向けた盛り上げ演出でも見ているような,いやそれ以上にワクワクさせられる展開です。では最終回を。

  2つの出店の集客力は,焼き鳥チームが圧倒的だった。飛ぶように売れた。焼き鳥は,冷凍で届けられたものを解凍し,自動焼き鳥器にひっかけるだけで,次から次へと焼きあがる。そしてあたり一面には,タレのいい香りがたちこめた。

  彼らの文化祭当日の取り組みは,ある意味秀逸であった。焼き鳥の販売に事前の準備はほとんど要らず,また焼き鳥の出来具合は機械任せだったとしても,通りかかる人を立ち止まらせる技術は,そんじょそこらの屋台の比ではなかった。「こいつなら,すぐテキ屋に就職できる」と担任として思ったものだ。

  一方,「まじめ軍団」の地震に関する展示に足を止めてくれる人はけっして多くはなく,ましてや炊き出しを購入してくれる人は少なかった。

「炊き出しやってみましたー,買ってくださーい」

と宣伝する生徒に対して

「炊き出し…,おいしいもんじゃないからねえ」

と立ち去っていくおばさん。「まじめ軍団」たちは,昨日の炊き出しの予行練習で見せた表情とはガラッと変わって,つまらなそうであった。

  「まじめ軍団」にとって救いとなったのは,掲示物に立ち止まったおじさんの

「そうだよなあ,神戸の震災あったしなあ。S県もいつあるかわからんしなあ」

という言葉であった。

「ああ言ってくれると,うれしい」

私と「まじめ軍団」はそう顔を見合わせてうなずきあった。

  彼らは最後まで勤め上げ,片付けもきちんとやった。炊き出しの売り上げ不振による,材料費の持ち出しは私が支払った。福澤諭吉が財布から出て行った。


  学校という場面では,「ほんとうの自分でありたい」という子どもたちの「自律性」と,「今,子どもたちは興味を持っていないが,やがては必ず役に立つことをなんとか学ばせたい」という教師の「目論見」とが,さまざまな局面でせめぎあう。これは,学校という場の,永遠に避けがたいテーマであるように思う。

  「まじめ軍団」は,担任の願いを受けて立ってくれた。「非まじめ軍団」にしろ,「まじめ軍団」の取り組みに触発され,普段の学習内容とは関係ないところではあるが,なんらかの行動を始める現実があった。大人がかかわれるのは「同一化」までだそうだが(注:『学習心理学特論』で中山が言ったこと),そうであるなら,さまざまな対象に対して,どのように教師の目論見を実現させていくのかを,今後も考えていきたいと思う。

  ということで,最後も決まっています。

ポイント

  ほかにも,紹介したいレポートはいくつかあったのですが,今年はちょっとプライバシーの点で,公開を躊躇してしまいました。たとえば,子どもの作文を中心に据え,そこから読みとれる動機づけを分析してくれたレポートがありましたが,さすがにその子の作文を公開するわけにはいきませんし,部分的に改変しても意味が通じなくなるだけですので,断念しました。斬新な切り口だったのですが,残念です。

ポイント
toHOME

■ 授業評価について

  最後に,また今年も授業評価について書いておきたいと思います。学生の授業評価アンケートを受けてのコメントを,毎年大学に提出しているのですが,それをここにも再録しておきます。

  1. 「むずかしい」というコメントを多くいただきましたが,内容の難易度に関しては,オリエンテーション時に説明していますように,入門的なレベルを最初から想定していません。むしろ「修論で学習意欲を扱う可能性がある人に知っておいてほしい基礎知識」という基本コンセプトで行っています。逆に,以前は毎時間,授業後にあった質問が,最近はまったくないのがたいへん不思議です。むずかしかったら調べる,わからなかったら質問する。そうした努力を経てなおむずかしいというのであれば,改善を検討します。

  2. 「まとめがほしい」というコメントについて,来年度は各動機づけ理論ごとに,まとめをかねて教育実践への応用の話を入れるようにしたいと思っています。

  昨年,このページを読んだ家族から,「お父さんは,表面は謝っているようだけど,基本的に反省しない人だよね」と鋭く指摘されてしまいましたので,今年は心を入れ替えて深く反省…  してませんね,やっぱり。

  冒頭に書いたように,今年は受講生の数が多く,とくに専門外の人たちが多かったので,「むずかしい」という反応が多くなるのはある程度予想していましたが,予想どおりの結果となりました。そうなると,こちらのほうも言いたくなります。「質問がない」という問題です。昨年,このページに書いたことの繰り返しですので,何度も書きませんが,やはり不思議でしかたがありません。むずかしくてついていけないからと,途中でドロップアウトしてしまう人たちのほうが,よほどわかりやすいのですが…。

  それと,自由記述で少しふれられていましたが,この授業はグラフの読みとりができないとかなり苦しいようです。「グラフから言える結論を,文字でまとめてくれ」という要望がありました。これはちょっと悩んでいます。実験によっては,「グラフからはこんなふうにも読みとれる」と,研究者が下した結論と異なる読みとりをお話ししているところもあり,そうした解説も聞きながら,できるだけ自分で解釈し,そのうえで研究者の結論を批判的に評価してほしいと考えているからです。

  とはいえ,こうした実験結果の表記のしかたに慣れていない領域の人たちにとっては,「自分で読め」と言われてもむずかしいのはよくわかります。これは,工夫の余地がありそうですね。

  (2)については,これも講演会じゃないんだから,あんまり押しつけるみたいに意義を説明するのではなく,受講生それぞれの経験に照らし合わせた受けとめ方でいいのではないか,とは思っているのですが,これに関してはとくにこだわりを持っているわけではないですし,要望があるのであれば,理論の切れ目にメリハリをつけるためにも,来年度はがんばって「まとめ」を考えていきたいと思います。

  ほらね,素直なところも少しはあるでしょう?

ポイント




* ここまで読んだ人だけトクをする<おまけ> *
レポートの下調べのために,わざわざここまで読んでくれたあなただけのために,『レポート提出前チェックリスト』を用意しました。全部チェックできたら,きっとA評価確実(かも?)。

pdfファイルですので,印刷して使ってください。チェックしたら,堂々とレポートに添付して提出しましょう。





to HOME