ひとりごと


保存箱 2004.07-12

(リンク切れ等があっても修正しません)

● CONTENTS ●

■ 04.12.28. 床上浸水

to_HOME

  妻が子どもと東京に出かけたので,珍しく独身生活の週末。夕飯を済ませたあと,録画しておいた映画を見終え,そろそろお風呂でも汲もうかとリビングから玄関に出たとたん,踏み出した足裏が冷たいのに気づいた。土曜日の夜11時。もしかしたら,玄関に置いてある生け花の水盤にでもぶつかって水をこぼしてしまったのかと思ったが,一歩足を進めるごとに,そんな生やさしい濡れ方ではないことがわかる。灯りのスイッチに手を伸ばす。明るくなった玄関。そこは一面の水たまりと化していた。一段低い玄関の「タタキ」では,靴が浮きそうな状態で,水は玄関ドアの下から外にまで流れ出している。

  なんだ,なんだ!? 事態がまったく飲み込めない。それは,想像の範囲をはるかに超えた,しかも突然のできごとだった。水の流れを視線でさかのぼっていくと,洗濯機のベースについている排水口から水が勢いよくあふれ出しているのが目にはいる。反対側の浴室のドアを開けてみると,こちらもすでにドアの真下まで水がたまっていて,床に置いてあった洗剤のボトルがプカプカ浮いている。そうか,これが噂に聞く排水管詰まりか。

  その時点で,我が家はまだお風呂を使っていなかったし,台所も一人分の料理に使った鍋やフライパンと食器を洗っただけだったから,どう考えても我が家の排水があふれ出たものではない。この時間にどんどんあふれてきているということは,どこか全体(タテ1列が1つの配管らしいが)に共通する部分の管が詰まっていて,他の居室の排水,おそらくは風呂のお湯を抜いた排水が,逆流してきているのだろう。こういうときに被害に遭うのは1階の住人である。

  思い返してみれば,不審な兆候はあったのだ。台所にあるシンクの排水口のふたが,夕食のころからカタカタうるさく鳴っていたのだ。たしかにこれは,排水管が流れにくくなっている証拠であり,気になって台所はいちおう見に行ったのだが,そこからつながっているはずの洗濯機や浴室のことまでは,残念ながら考えが及ばなかった。

  ともかく,あふれてくる水を何とかしなければならない。ところが,ふと気づいた。排水管が詰まっているから逆流してくるのだ。水を捨てようがないではないか。しょうがないので,浴室の窓を開けて,洗面器で水をすくって捨てることにする。風呂の排水なら,永遠に湧き出してくるはずはない。水を掻き出せば,そのうち収まるだろう。洗濯機の排水口も風呂の排水口も共通の排水管につながっているから,風呂から水を捨てれば,洗濯機の方も落ち着くはずだ。

  洗面器を持つ手が痛くなるくらい何度も水をすくって,ようやく水が引いてくる。一段落したところで,玄関をぞうきんでていねいに拭く。敷いてあったマット類はどれもびしょぬれなので,丸めてベランダに持っていく。それにしてもドブくさい。体中に臭いが染みつく。不安は不安だったが,もう真夜中だったので,あとは翌日の作業として,そのまま寝ることにした。

  翌朝は,なるべく水を使わないよう簡単な食事を済ませ,9時になるのを待って排水管清掃の業者に電話をかける。しかしこの日は日曜日。近所の業者はなかなか連絡がつかない。やっとつながった業者にソッコーで対応を依頼,それでも到着は1時間半後だという。

  ほっと一息ついていると,また突然あのカタカタが耳に飛び込んでくる。あわてて洗濯機を(台所にではありません)見に行くと,案の定ベースの中にどんどん水があがってきている。もちろん浴室も。今度はかなり泡立っているので,洗濯の排水らしい。ジャージを膝までまくり上げたまま階段を駆け上がり,階上の居室の人たちに事情を話して水の使用を控えてもらう。幸い水は洗濯機のベースの縁ギリギリまであがってきたが,あふれ出すのは免れた。

  11時半,業者が到着。直江津の業者のつもりで電話したのだが,直江津は営業所で,土日は営業していないため,本社の長野から来てくれたという。どうりで場所の説明をしてもよくわからなかったわけだ。

  まずは室内から排水管に清掃器具を入れるが変化なし。建物外の点検口からつついてもダメ。すぐに高圧水での洗浄に切り替える。それでも作業は難航した。外から高圧水を当てると,浴室には真っ黒な水がもくもくと湧き出てくる。そして臭い。詰まりがとれる気配がないまま,どんどん汚い水ばかりが増えていくのは,いかにも心臓に悪い。

  そうはいってもさすがはプロ。「頑固な詰まりだった」とぼやきつつも,午後2時半にはすっかり詰まりを取り除き,浴室にたまったゴミをきれいに流してくれた。これでようやく水が使える。朝は軽くしか食べていなかったので,じつは2時ころからかなり空腹だったのだ。業者の人に挨拶して,まずは洗濯機を回し,遅い昼ご飯を作り始める。このころになると,朝から気が張っていたのがすっかり抜けてしまっていて,ぼろぼろの状態。ご飯を食べて洗濯物を干し,掃除を終えて(これは単に午前中にやるのを忘れていただけ)時計を見上げたら,もう5時を過ぎていた。ほんと,せっかくの週末がほとんどこの騒ぎに費やされてしまったわけだ。悲しい。

  ちなみに,浴室のドブ臭さはたっぷり4日間消えず,お風呂に入るたびに,あの悪夢の日曜日を思い出させるのであった。



■ 04.11.04. 余震続く

to_HOME

  地震といえば,記憶の奥底に焼き付いているのが新潟地震。たしか小学校1・2年のころだったはずだ。隣県の山形でも,その揺れは激しいものだった。

  午後の授業が始まって,先生が二言,三言言ったくらいのときだ。教室の前に張りわたされていた針金に吊ってあったみんなの絵が,ふらふら揺れはじめたと思ったとたんに,ぐわりと大きな揺れ。あわてて机の下に半分潜ったと思ったら,即座に先生から避難の指示が出て,みんなで階段を駆け下りたのだ。高学年の先生が,「走らない! 前の人を押さない!」と大声で誘導していた。向かい側の壁に,見る間にひびが入って崩れはじめ,かけてあった鏡がものすごい勢いで揺られていた。その瞬間の記憶だけ,やけに鮮明に残っている。

  先週は授業中に震度5の余震が来た。まあ,もうさんざん余震につきあってきたので,パニックになるようなこともなく,落ち着いてみんなで揺れが収まるのを待っていたが,いちおう教員としては,揺れがひどくなるようだったら外に誘導できるよう,頭の中でシミュレートしていた。あの高学年の先生の声を心の奥で聞きながら。

  恐ろしかったのは,揺れるたびに上の階がミシシシ…,ミシシシ…と大きな音を出すこと。こんな震度じゃ崩れはしないとわかってはいても,あんなに大きな音で建物が悲鳴をあげているのを聞くと,さすがに鳥肌が立つ。

  話によれば,うちの学生は地震が起こった当日,カラオケに出かけたそうで,予定していた店が余震を心配して休みになったのにもめげす,開いている店を探し出して行ったそうだ。ツワモノである…。

  今朝も震度4の余震がまだ起こっている。6階の研究室は,小さな震度でもふらふらと揺れるので,近頃はなんだか感覚が麻痺してしまっている。なんでもないのに揺れていると思ってまわりを見回したり,揺れているのに止まったような気がしたり。

  とはいえ,こんなのはなんてことない悩みだ。被災地ではそろそろ学校が再開され,子どもたちの心理的問題への対処が問題になりつつある。



■ 04.10.29. 意外と大丈夫なもので…

to_HOME

  <地震での被災を心配してメールや電話をくれたみなさんに,報告します>


※※※

  ぽわんと気の抜けた土曜の夕方,午後5時56分。6時からのニュースを待って,見るともなしにTVをつけていたそのとき,激しい揺れがやってきた。

  直下型で縦揺れ中心だったそうだが,実感としてはいきなり横揺れがやってきて,一気にひどくなって,そのまましばらくの間,かなりの震度で揺られ続けた感じ。それでも,家具が倒れるとまではいかなかった。棚の上のぬいぐるみが転がり落ちたくらい。天井から吊ってある蛍光灯が,子どもが揺らすブランコのように大きく揺れている。息子が押さえて,揺れが収まるのを待つ。なかなか終わらない。収まったかなと思って足下に注意を向けると,やっぱりまだ揺れている。しかもかなりの震度で。感覚がどうかしてしまったかと思うくらい,いつまでも揺れ続けている。

  TVの速報では,上越は震度5強(後で届いた市報によれば,正式には5弱だったらしい)。その後1時間のうちに震度5と4の余震が2回。そのたびごとに蛍光灯を押さえ,ドアを開け,揺れ続ける足下を感じながら収まるのを待つ。しまいには船酔いのような感じで,気持ち悪くなってくる。

  でも,上越はそれだけで済んだ。電気も水道も,震度5になると安全装置がはたらくというガスでさえ,止まることはなかった。もう少し時間が遅くて,夕食の準備で火を使い出していたら,もしかしたら火災が何件か起こっていたかもしれないが,不幸中の幸いと言うべきだろう。

  これは大きな地震だと思ったが,30分ほどの間,TVではたいした被害は報じられていなかった。NHKと民放1社が発生直後からずっと臨時の報道番組に切り替えていたが,まだ情報を集めている段階なのだろう,各地の震度と放送局のカメラがとらえた映像とを,繰り返し流しているだけだった。入ってくるニュースは,上から落ちてきたものが当たってけがをした,程度のものばかり。某放送局のアナウンサーが,どこかの市の職員に電話でインタビューする。相手は今市役所に駆けつけたばかりで,入ってすぐに電話をとったと言っているのに,何も聴いていないのだろうか,何度も被害状況を確認する。挙げ句の果てに,市役所の今後の対応を聞く。まだ来たばかりで,まず被害状況をたしかめないと…と答えているのに,また同じ質問を繰り返す。意味のないインタビューから早く解放して,本来の仕事をさせてあげなさい。

  大きな被害のニュースがはじめて入ってきたのは,新幹線が脱線したらしいという一報だろう。その後,土砂崩れや道路の崩落の情報,そして死亡情報が次々に入ってくる。それでもまだ,被害の大きさはわかっていなかった。翌日,夜が明けてその全容が姿を現すまでは。

  さて,自分のことに話を戻そう。じつは,当初から心配だったのは大学の方だ。研究室は6階にあるし,ものはいろいろ不安定に積み上げてあるし,PCやディスプレイに被害が出たら,それ自体も困るが,自分で作ったプログラムやデータが使い物にならなくなるのも心配。

  ひととおり余震が収まった翌日の昼,日曜日だったが気になって見に行ったのだが,これが意外なほどの肩すかし。本棚から落ちた本でドアが開かないことも覚悟していったのだが,ドアはすんなり開いた。入ったとたん目に飛び込んだのは,机やファイルキャビネットの引き出しがみんな開いていて,何か泥棒が物色した後のような風景。しかし,ものは散乱していない。棚の上にいいかげんに積み上げた物たちも,多少ズレている程度で被害なし。ほっとした。

  ちょうど今年春,法人化にともなって一般事業所並の労働なんとか基準が適用されるということで,研究室の耐震工事(背の高い棚類をすべて壁に固定)が行われたばかりで,それで助かったようなものだ。ということは,国立大学のころの安全基準っていったいどんなのだったんだろうと背筋が凍るのだが,とりあえずはよしとしよう。後になって学内を歩いてみると,渡り廊下の何ヵ所かで,建物と渡り廊下の継ぎ目部分がズレて破損しているようだ。被害はその程度だろう。

※その後暖房がはじまったら,あちこちで蒸気漏れが起こっているというので修理の連絡が回ってきている。あるいはこれも地震の影響かもしれない。

  ともあれ,そんなわけで,心配していただいてありがとう。こちらは大丈夫です。とはいえ,修了生・卒業生の中に,中越の学校に勤務していたり住んでいたりする人は数多いわけで,心よりお見舞い申し上げます。



■ 04.10.28. いやな電話

to_HOME

  電話をかけてきた方が自動音声,という電話を,このあいだはじめて受けた。それは,土曜の夕方に自宅にかかってきた。こちらが名乗ったら,少し間があってテープらしき声がしゃべりはじめる。何かのアンケートらしいのだが,あまりにもバカバカしいので早々に切ってしまった。それでも腹が立つ。

  そもそも電話というメディアは,他人の生活に無神経に入ってくる性質のものであって,だからこそ,いろんなかけ方のマナーが昔からやかましく言われてきたのだと思うのだが,まさか勝手に電話をかけてきて,しかも向こうはテープで,こっちはそれにつきあわされて,時間をかけて応答しなきゃいけないなんて,信じられない。というか,ほんとにこれ,ビジネスとして成り立っているのだろうか。だとすれば,そんな音声にもちゃんと回答してくれる人が,けっこうな数いるということなのだろうけれど,やはり信じられない。



■ 04.10.25. とやま

to_HOME

  教育心理学会で富山に行ってきた。お隣の県なのに,これまで一度しか訪れたことがない。しかもその時は団体で,マイクロバスでどどどっと目的地に押しかけて,仕事を済ませたらまたすぐにマイクロバスに乗り込んで,おみやげを買ったのも途中のパーキングで…という,ひじょうにまじめな訪問であったので,今回は少し見て回りたいなと思っていたのだが。

  日程が近づくにつれてわかったことは,学会前日から4日間,連日何かの会議が入っていること。1日もアキがない。今までこんなにあわただしい学会参加ははじめてだ。せめて午前だけで会議が終わってくれれば,午後は外に出られるのだが,会議はたいてい昼にかかっている。う~む。さらに,前日には台風が直撃するとかしないとか微妙な予想が飛び交っており,散々な予感。幸い台風はなんとか進路がそれて,1日めの午後には晴れ間ものぞいたのだが,あわただしさはもちろん変わりようもなく。

  それにしても,富山の街は落ち着いていていい雰囲気だった。熊本のときもそうだったが,のんびりと走る路面電車が心地よい。せっかく富山に来たのだから,薬屋さんでものぞいてみようと思っていたのだが,余裕がなくて断念。しかし,夕方大学からもどって,ふらりと寄った駅前の観光物産センターで,思いがけず昔の薬たちに出会えた。棚にずらりと並べられた薬袋は,昔家に置いてあったそのままの顔で,ほんとうに懐かしかった。噂には聞いていた「ケロリンの湯桶」グッズに心を引かれつつ,翌日の準備のため宿にもどる(1日早くここの存在に気づいていれば,もっとゆっくり見られたのだけどね)。

  もうひとつ楽しみにしていた寿司屋さんは,妻の知り合いに教えていただいたお店の場所を,市内の本屋さんで旅行ガイドを探し回ってようやく発見。商店街から少し奥に入ったそのお店は,見かけはひっそりしているのだが,中に入るとお客でいっぱい。旅行ガイドを抱えたカップルと,地元の人に連れてきてもらったらしいおばさんたちに挟まれて,席に着く。こういうシチュエーションはどうにも間が持たなくていやなのだが,そんなこと関係ないくらいに,とにかくおいしかった。1カンずつ握ってくれるというので,せっかくだからとチマチマお願いして,いろいろ味見させてもらった。満足。

  そして,もうひとつ印象的だったのは,雨が上がって一瞬晴れ渡った夕空の下,富山の町並みの向こう側にくっきりと映った立山連峰。ほんの短い時間だったけれど,あれは美しかった。学会の中ではいろいろとあったので,よけいほっとする瞬間なのでありました。



■ 04.10.19. とりあえず存在証明

to_HOME

  どうもだいぶ間隔が空いてしまったが,とりあえず生きてます。

  昨年といい今年といい,なぜか繁忙期と閑散期がはっきりしてきたのが不思議なところ。今年は昨年のように仕事が重なることはなく,いいペースでいけると思っていたのだが,そういうときにかぎって急な仕事があとからあとから割り込んでくる。おかげで,昨年の忙しさがちょうど2ヵ月あとにずれ込んだ感じで,ちょうど夏休み明けあたりから,今年の超繁忙期に入ってしまったのだ。現在,ようやくあと原稿3つ仕上げれば,繁忙期を乗り切れる予定にまでこぎつけたのだが,またあとから仕事が降ってこないことを祈るばかり。

  この間,架空請求やら「ご主人が交通事故を起こされました」詐欺やら,書くネタはいっぱい起こっているのだが,どうにもこちらに時間を割けない状況なので,もう少しお待ちください。それよりなにより早く書かなくてはいけないのは,前期授業のレポートに対するコメントなのだが,こちらもたぶん11月前半までは無理そうです。申し訳ありません。



■ 04.09.22. クラッシュ!

to_HOME

  それにしても妙なことがあるものだ。同じ仕事の原稿が,なぜか2回もとんでしまった。

  片方は草稿段階のテキストファイルだし,もう片方は清書用にワープロに移し替えたものなので,ファイル形式はまったく違うのだが,症状はまったく同じ。ファイルはたしかに存在するのだけれど,ワープロやエディタに読み込もうと思っても,エラーが出て読み込めないのだ。覗いてみると,ファイルの中身が別のファイルにそっくり置き換わっているようだ。

  使っていたのは最初はエディタ,2回目はワープロと別々だから,ソフトのバグとか操作ミスとは考えにくい。2回目にとんだファイルは,一度テキストファイルをとばしたあと,新たにもう一度最初から作り直した原稿だから,ファイルにゴミが入っていて動作が不安定だったとも考えにくい。両方ともUSBメモリ上のファイルだったが,最初のクラッシュに懲りて,2回目の原稿は別のUSBメモリの上に作ったから,USBメモリの動作不良とも思えない。なんとも不思議な事故だ。

  まあ1回目のクラッシュは,まだほとんど書き進んでいない段階だったので,びっくりはしたけれどまだ心に余裕があった。ところが2回目は…。

  ほんとうは締め切り1日前に原稿を仕上げる予定だった。翌日は会議出張で,東京に1泊で出かけなければいけなかったからだ。しかし,その会議に向けた資料づくりに意外に時間をとられてしまい,原稿の方は時間切れ。あとは推敲して枚数を2,3枚分詰めれば完成,という段階まで作業して,新幹線に乗った。

  東京から戻ると,案の定出版社から督促の電話がかかってきていたらしい。いつも締め切り間際でないと出せないくせに,督促されていることがわかるとやたらと気になるたちなので,急に落ち着かなくなる。そこで,今日(土曜日)のうちに仕事をすませ,明日はのんびり休もうと大学に出かける。夜10時。

  ざっと推敲して原稿が完成したのが11時30分。あとはメールで送るだけ。念のため,ワープロの文書ファイルとテキストファイルの2通りUSBメモリに保存して,ワープロ作業用のマシンからインターネット端末のマシンに座り直す。メールソフトを立ち上げて添付ファイルを放り込み,あとは送信ボタンを押すだけ,という段階になって,念のために添付ファイルを覗いてみたら…。

  青ざめた。ワープロ文書もテキストファイルも,1週間前と同じ症状で壊れている。作業していたワープロも,すでに閉じている。でないと作業用マシンからUSBメモリを取りはずせないからだ。つまり,せっかく作業した内容が,跡形もなく消えてしまったのである。ふだん,よけいなディスク・アクセスがかかるのがいやで自動バックアップは切っている。また今回は,雑誌用の短い原稿なので,手動でのバックアップも残しておかなかった。この用心のなさを,このときばかりは呪う。

  嘆いていても原稿ができるわけはないので,気を取り直して何か策はないかと考える。探してみると,だいぶ古いものだが,推敲用にプリントアウトした原稿が,ゴミ箱の中にまだ残っていた。それをスキャナにかけてOCRで読みとることにする。あちこち手書きの書き込みがあって,認識不可能な文字が続出するが,それでも一から書き直すよりはまだマシだ。

  ひととおり読める文字を読みとって元原稿を作る。認識できない文字を,原稿を見ながら埋めていく。あとは,記憶をたぐり寄せながら,足りない部分を書き足していく。「ここはこれしかない」くらいの勢いで書いていたはずの文章が,ちっとも思い出せない自分に腹を立てつつ,なんとか完成…というか,まだ多少枚数超過なのだが,あきらめをつけたのが,午前4時。外を見るとほんの少し空が黒から青に変わりはじめている。今度は慎重に,一つ一つの作業ごとにバックアップをとりながら,先ほどと同じように添付ファイルをつけて,出版社に送る。さすがに送信ボタンを押す手が震える。もううれしいもほっとしたもない。ただぼうっとしている。

  こんな時間に大学にいたことがないので知らなかったのだが,いざ建物を出ようとすると,どこも鍵が閉まっていて出られない。どうやら警備の人がいる正面入り口しか開いていないようだ。ぐるりと建物を回る形で駐車場にたどり着く。カラスが鳴いている。空はもうだいぶ薄明かりがさしてきた。

  徹夜なんて,いつ以来だろう…などとぼんやりと考えながら,家にたどり着いたころには,あたりはすっかり明るくなっていた。いやいやなんとも。とんでもない1日だった。



■ 04.08.02. 『ゲド戦記外伝』

to_HOME

  『ゲド戦記外伝』(ル=グウィン:岩波書店)を読む。飾り気なく淡々と書いているのに,書き出しからぐいぐい読み手を物語の世界へと引き込んでしまうこの人の語り口は,30年以上も前の『ゲド戦記』のころから少しも変わらない。しかし,物語に対する作家の視点は,時を経てずいぶん柔らかくなったような気がする。ほとんどの短編に出てくる「女性」のテーマにはちょっと食傷感も覚えないわけではないが,全体としては落ち着いた,しっとりとした味わいの短編・中編ばかりで構成されている。

  『ゲド戦記』の第1部である『影との戦い』とはじめて出会ったのは,おとなになってからだ。人から「おもしろい」と薦められ,貸してもらったものだ。暇なときに少しずつ読んでみるつもりだったのが,寝る前に読み始めたらやめられなくなって,けっきょく最後まで読み通してしまった。魔法という世界を借りて,心の中の光や影を鮮やかに浮かび上がらせながら,ゲドの葛藤と成長を丹念に描き出していく。タイトルから想像したゲーム的な冒険活劇というイメージはみごとに裏切られ,ついでに児童文学というジャンルを遙かに超えている。いかにも非現実的な魔法が,少しも違和感なく人々の生活の中にとけ込んでいて,かつてどこかにこんな世界がたしかにあったのだろうと,素直に入り込める。

  『外伝』は,このゲド戦記に出てくる脇役の人たちを案内役として,アースシー世界の,特にローク島の歴史と盛衰を描くという,ゲド戦記の愛読者にはうれしい,洒落た趣向になっている。途中ちょっとだけ登場するゲドもかっこいいが,ここに登場するすべての人々が,十分魅力的だ。しかも,最後に登場するのは,次の作品である『アースシーの風』(日本では『アースシーの風』の方が刊行が早いが,原書は『外伝』の方が先)の主人公の一人であるトンボ。これにはニヤリとさせられる。

  あとがきによると,ル=グウィン女史もすでに70代半ばとのこと。なるほど,この語り口の穏やかさも納得できる。『外伝』もおそらく,時を経て見えてきた,いろいろな時期,いろいろな場所での,アースシー世界の人々の“ふつうの”生活を,綴ったものなのだろう。それは私たちにとって,アースシーの世界をこれまで以上に親近感に満ちたものにしてくれるのである。



■ 04.07.20. 続・だましの手口

to_HOME

  16日の続きです。

  そういえば,子どもが高校に入学したときも,どこの高校に入ったかを探ろうとする電話がよくかかってきていた。私が受けた中で,なかなかの出来だと思ったケースを,書いておこう。みなさんもどうぞお気をつけて。

その1)
  こちらは新潟県教科書配送センターです。今,今年の新入生用の教科書を仕分けしているのですが,手違いがありまして,高校別の名簿が一部ごちゃごちゃになってしまったみたいなんです。本来なら高校に聞けばいいのですが,今日は日曜日ですし,明日まで待っていたら配布が間に合わない可能性もありますので,お一人ずつ確認しています。中山○○さん(娘の名前)ですね,こちらの名簿では直江津高校で3月25日配布になっていますが,まちがいありませんか? (直江津高校というのはでたらめに言っているだけなのだろう)

  だいたい個別指導じゃあるまいし,高校ごとに同じ教科書を配布するのだから,部数さえ把握していれば問題ないはずだ。入学定員もあるわけだし,そうそう人数は大幅には変動しないだろう。だから,いちいち個人名まで特定して,確認できた人には配る,なんてことがあるはずがない。さらに,たかが教科書配布のために,高校が生徒の個人名はおろか自宅連絡先まで業者に教えているなんて,もっと考えにくい。まあ,ストーリーはよくできているので努力賞ものだ。

  ちなみにこの嘘センター,私が「信用できません」と言うと,「教科書の配布が遅くなってもいいんですね。」と脅しをかけてきた。不安を煽って言わせようとするあたり,なかなか場数を踏んでいる。

その2)
  ただいま,そちらの地区をモデル地区としまして,交通動態調査を行っていますので,簡単な聞き取り調査にお答えください。(ここまではまっとうな内容なので,はいはいと聞いている。ところがいきなり) 高校生のお子さんがいらっしゃいますね。 (え? なんで知ってるの) そのお子さんの通学手段は何ですか。 (まあ怪しげだけど,交通動態調査だからねえ…)「自転車です」 お宅から自転車というと,○○高校ですか。それとも△△高校ですか。 (やっぱりそれが目的だったか)

  これは意外性があって,なかなか。最初はまったく結びつかないところがいい。しかしその後の展開はいかにも無理矢理で,最後はバレバレ。まあ,創意工夫賞ってところか。もうちょっと展開まで考えないとね。

  電話番号といい高校の名前といい,そうまでしてかき集めるだけの値打ちがあるのだろうと思うとうすら寒くなる。いったいだれが何の目的で,そしていくらで買い取っているのだろうか。


■ 04.07.16. だましの手口

to_HOME

  「おれおれ詐欺」なんて毎日のようにニュースになっていて,みんなわかっていそうなのに,なんでこうあとからあとから欺される人が出てくるかねえ…などと傍観者の気楽さから安易に批判していると,似たようなことが突然我が身に降りかかってくる。

  先日午後6時半ごろ,自宅に1本の電話がかかってきた。その日は附属中での仕事から直接帰宅したので,珍しく早い時間に家にいたのだが,電話をとったのは妻であり,私は近くでそのやりとりを聞いていた。以下,妻の話をもとに再現してみると…。

声: もしもし,○○大学(娘が入学した大学)学生課の者ですが。

妻: お世話になっております。

声: 今度,学生の個人票を電算化することになりまして,ただいま入力しているところなのですが,お宅のお子さんの緊急連絡先が記入してありませんので,携帯の番号を教えてください。

妻: 本人には連絡がいっていないのですか?

声: 掲示は出しているのですがねえ。見落としている学生が多いんですよ。それで実家の方にかけているんですが。

てな説明をしてきたそうな。そこで妻の応答。

妻: では,こちらから娘に伝えて,明日学生課に行かせるようにします。それでよろしいですか。

声: どうしても,今教えてはいただけませんか? この場で入力できると助かるのですが。

妻: ええ,失礼ですが,そう言って電話番号を聞き出そうとする人もいるようですので,念のため,直接はお答えしかねます。

相手は,ちょっとがっかりしたようだが,

「まあ,ご心配でしょうから,しかたがないですね。」と納得した様子で電話を切ったのだそうな。

  妻は,その日のうちに娘に電話を入れ,学生課に行くように指示。そして翌日,さっそく娘から電話がかかってきた。案の定。ホンモノの学生課の人の話によれば,そんな作業はまったくしていないし,もちろん掲示も出していないとのこと。わざわざ個人票を出してきてくれて,ちゃんと緊急連絡先の携帯番号が書かれてあることも確認してくれたそうだ。

  妻は電話を切ってからしばらく,お世話になっているであろう学生課の人に意地悪をしたようで申し訳ないと気にしていたのであるが,一方で大学の人にしては妙に事務的な話し方だと,ずっと引っかかっていたのだそうで,まさにその勘が冴えわたっていたわけである。ぐっじょぶだね。

  私が電話に出なくてよかった。私だったら簡単に引っかかっていただろう。なにしろ私ときたら,日ごろから学生の連絡先を調べるのに学生課のお世話になっていることもあって,「ああ,どこでもがんばって把握に努めているのだなあ」などとのんきにかまえていたし,「大学の事務にしては,少し時間が遅いんじゃない」といぶかしむ妻に対して,「法人化してから忙しいみたいで,うちもけっこう遅くまで残業しているようだよ」などと,すっかり電話の主を弁護していたのだ。いやいや,情けない。

  もっとも,唯一の救いは私が娘の携帯番号を暗記していないことであり,私が出たとしても即座には答えられなかったのであるが,それはそれで,もっと情けない父親ではある。

  それにしても,なかなかに巧妙な手口ではあった。おそらくポイントは,ターゲットの個人情報を話の中に巧みに埋め込んで,自分を信用させるという点だろう。相手は娘が入学した大学名を知っていて,それを利用してもっともらしく自分を装っていたのだ。「名前を名乗らず“おれ,おれ”でごまかす」などという手口は,きっともう古典の世界なのだろう。こうなると,いくらちゃんと名乗っても,まずは誰でも疑ってかからないといけなくなる。つくづくいやな時代になったものだ。



MonoBACK 新しいひとりごとへ   BACK to HOME INDEXへ     MORE Monolog もっと過去へ