ひとりごと

保存箱 2009.07-12

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09.12.31. 仕事の位相変化

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  何はともあれ,年末だ。

  本人はまったく意図しているわけでもないのだが,最近は「忙しい」と「暇」の位相変化が,2年周期で巡ってきているような気がする。今年はきっと後期が忙しいパターンなのだろう。夏の免許状更新講習の準備から始まり,年末に向けてじわじわと忙しさが増していった。原因ははっきりしている。

  原因その1。学部で開設している授業の1つが,ここのところ受講生が減り続けていて,ついに今年は5人という,かつてない人数となった。それも,よりによってこの授業は,学生にいろいろな実験を体験してもらう授業なので,人数が少ないとうまくいかないものもある。そして後半は,学生に自主的に動いてもらって,中高生向けの「心理学の授業」を作ってもらうことになっているのだが,これも5人では2グループ作るのがやっと。模擬授業もむずかしい。

  そんなわけで,昨年までの内容で使えるのは,全体の半分弱。残りを新しく作らなくてはならない。前もって予想して作っておけばよかったのだが,受講生はけっこう変動が激しいので,事前申告はあてにならない。1回めに出てみないとはっきりしたことはわからないのだ。

  この授業のコンセプトは,「教育実践にも参考になる,できるだけ新しい研究の紹介」なので,他人の作った教科書の受け売りでごまかすわけにもいかず,新しい論文を読み漁って内容をまとめ,体験できるような実験を探して材料を作成し,ときには著者に問い合わせて送ってもらい,実験結果から読みとれる教育実践への示唆を考える。時間に余裕があればけっこう楽しい作業なのだが…。

  原因その2。今年珍しく,博士課程の授業の受講申請があった。これまでは他コースの受講生ばかりで,研究法に関して扱ってくれと頼まれることが多く,それぞれの専門文献の読み合わせで授業を構成していたのだが,今回はシラバスどおり動機づけ理論について聴きたいということだったので,これはもう久しぶりにはりきって準備。

  「てってーてき内発的動機づけ」コースは,いちおう非常勤用に作ってはあるのだが,ここのところ基礎的な教育/学習心理学の講義でしかお呼びがかからなくなっていたので,かなりの部分を新しい内容に入れ替えたり,付け足したりしなくてはならず,これまた作業自体は楽しいのだが,いかんせん時間的余裕が…。おまけに,作ってある資料は,OHPからPowerPointに移しただけ,私自身もPowerPointをさわりはじめたばかりのころの作品なので(それくらい古い資料だったのです),いじり出すときりがない。

  原因その3。例年11月を過ぎると,学位論文審査や入試関係,それに来年度に向けての各種提出書類が山ほどあるのだが,今年はコースのとりまとめ役を仰せつかっているせいで,この連絡がけっこう煩雑だ。関係する先生方に連絡を回して回答をとりまとめ,事務に報告する。コース内の他の科目群の先生方にも連絡して,とりまとめを依頼する。コース全体でとりまとめるのか科目群ごとに提出するのかは,書類によってバラバラだし,たんに参考として通知してくるだけの場合もある(実際のとりまとめは委員会の委員)。このフクザツさが煩わしい。

  そしてもちろんこの時期のメイン,修論の原稿読み4人分が加わって,まさに師走はラストスパートのような師走なのだった。今年の研究室の散らかり具合を見た人なら,きっと昨年までとは「何かちがう」と感じたはずだ。最後の最後になって,学部の授業の準備が間に合わず,あわてて大学院で以前使ったネタを流用して1時間分お茶を濁したのはナイショの話。

  何はともあれ,ようやく年末。研究室のあちこちに積み上げた資料を,いちおう整理して今年の御用納めとなった。とはいえ,年明けからはまた積み残した仕事にとりかからなくてはいけないので,研究室もまたすぐに,元に戻ってしまうのだろうけれども。

※  ※  ※  ※

  ちなみに,今年の年越しそばはこんな具合になりました。   年越しそば
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09.11.13. YELL

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  ふだんは気にもとめていないのだが,ふとした拍子にヘンな力がかかると,右の手首にズキンと痛みが走る。この夏,土手を歩いていて足を滑らせ,とっさについた右手に全体重をかけてしまった。そのときに痛めた右手首である。今ごろになっても,まだこんな調子。以前は,打ち身なら1,2週間もすれば「痛みがひいた」という実感があったものだが,歳をとるにつれてだんだんと治りが悪くなり,いつまでたっても痛いまんま。もうすっかり慣れっこになったかと勘違いするくらいずっと後になって,ふと気がつくと痛くなくなっているという,そんな間の抜けた経緯をたどるのがいつものパターンになっていた。そこへもってきて今回の打ち身である。つくづく歳はとりたくないものだ。

  以前なら,たいていは記憶できていた各種会議のスケジュールが,役回りで会議の数が飛躍的に増えたこともあるのだろう,ちっとも頭の中にとどまってくれなくなった。ときには,開始時刻5分前のアラームが鳴って,ようやく「そうだった!」と気づくことさえある。PCのスケジュール管理ソフトが手放せなくなってきた。なにしろアラームが設定できる。手帳ではこうはいかない。もっとも,手帳の小さなスペースに悪筆で細々と書き込むのがいやなので,私は手帳を使ったことがないのだが。

  長い文章を読んでいると決まって眠くなるし,心にも体にも潤いがなくなってきたせいか,昨年あたりから急に「電気人間」になってしまい,冬場ともなるとしょっちゅう静電気にやられるようになったし,午前中1個,午後1個仕事をすると,もうすっかり仕事をした気になって次の仕事にとりかかる気力がなかなか起きないしで,まったく,歳をとるとろくなことはない。

  例年,冬を待つこの時期は気が滅入る。自分の心と体が思うように動いてくれないもどかしさが,2倍にも3倍にも増幅されて感じられる。さらに間の悪いことに,私にとって,老いへのカレンダーが否応なく1枚めくられてしまうのもこの季節なのだから,ついつい愚痴も多くなろうというものだ。

  ところで,人づてに噂を聞いて,NHK合唱コンクール中学生の部の課題曲を聴いてみた。いきものがかりの「YELL」。たしかにこれはなかなかいい。合唱はまったくの素人だが,子どもが現役中学生だった当時ハマっていて,聴くだけはけっこう数をこなした保護者の耳から言えば,合唱曲としてたいへん心地よい。とくに,男声の入り方がいい感じ。

  毎年J-POPのアーティストに作曲を依頼する路線(なぜか中学生だけだ)にはちょっと疑問を感じていて,評判のいいらしい昨年度の課題曲も,私自身は合唱曲としては平板にすぎるのじゃないかと思っているのだが,今年の曲は,そういう意味では“編曲もの”っぽくないというか,合唱曲らしい合唱曲というか,つまりは中学生がコンクールでしっかり歌いあげるのにふさわしい曲,といっていいのじゃないだろうか。

  歌詞の内容は,みごとに青年心理学の基本テーマである。それもしっかり現代版の苦みの利いた味付けがしてあって,“ただのオハナシ”になっていないのが気持ちいい。いちいち解説するのは野暮というもの。聴いてみれば,あるいは歌ってみれば,きっとだれもが共有できるテーマだろう。ともあれ,こういうベタなメッセージソングを,みんなで堂々と歌いあげ感動できるのは,中学生という時期の,そして合唱という場ならではの特権なのだろう。

(いくつかの学校の合唱が,YouTubeで聴けるようです。おそらく違法アップだろうからリンクはしませんが。それから本家いきものがかりバージョンも,ちがったテイストで楽しめます。こちらはPVがよくできていると思います。なお,歌詞の流れを青年心理学視点から追いたいときは,たぶんいきものがかりバージョンの方がわかりやすいでしょう。)



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09.10.05. ツボに入る

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  ここのところ,週刊こどもニュースの元“お父さん”こと池上彰さんが朝日新聞に書いているコラム「新聞ななめ読み」が,とても気に入っている。(バックナンバーは,「アスパラクラブ」という無料の会員になると読めます) 各社の新聞を読み比べて,こちらの新聞はこう書いているが,こっちはきちんと書かれていない,などという指摘を鋭くしてくれるし,これは特ダネを他社に抜かれたときの表現だの,“政府高官”という表現は,どういう人に取材したときに用いるだの,新聞を読むためのウラ知識として役立つこともたっぷり書いてくれている。なにより,ツボに入るというのだろうか,私が日頃ニュースに接していておや?と思ったことを,あたかもその疑問が届いたかのように,タイムリーにコラムでも取り上げてくれることがしょっちゅうあるのが,とてもうれしい。

  たとえばちょっと前あたり,辻井伸行さんが国際的なピアノコンクールで優勝したというニュースを,どのメディアでも過剰なほどに宣伝していたのだが,でも「バン・クライバーン国際ピアノコンクール」なんて今まで聞いたことがない,と不思議に思っていたら,池上さんも疑問を持ったらしく,ある日の朝日新聞記事を紹介している。それによれば,「ボランティアや地元有志の手で育てられてきた,人肌感を残す温かなコンクール」なのだそうで,でも独自の審査基準があって,その基準でも辻井さんは最高賞を取っていることを,きちんと紹介している(これを読んで私は,地元山形の「山形国際ドキュメンタリー映画祭」を思い出したのだが)。そのうえでこの記事を書いた記者は,こうまとめている。「我々は『全盲』のレッテル抜きで,芸術家としての辻井さんの今後を冷静に見守っていくべきではないだろうか」 なるほど,これならよくわかる。池上さん自身の記事ではないが,こういう隅っこの記事(元は夕刊掲載だそうで,地方では読めない)まで追いかけて,紹介してくれるのはうれしい。

  さて,6月はじめのコラムでは,5月末に朝日の1面トップを飾った「老人ホーム苦情急増」という記事にかみついている。記事では08年度の苦情が,記録が残っている10年前(98年度)の5倍以上にふくれあがっていることを指摘し,「悪質な業者が商機とみて参入するケースが増え,その分,苦情も増えたとの指摘もある」との説を紹介しているのだが,池上さんはこれを読んで,厚生労働省のホームページを調べたらしい。すると,この10年で有料老人ホームの数は14.3倍,定員は6.5倍に増加しているのだそうで,だとすれば,苦情の増加も当然。施設1つあたりの件数で見れば,むしろ減っているというべきではないか,と指摘する。悪質な業者も何も,その前提となっている数字がおかしいのではないか,というわけである。なるほどなるほど,よくわかる。

  これに対して1ヵ月ほど後,朝日の「生活エディター」なる人物から手紙が届いたことが,またとりあげられていた。それによれば,途中で老人福祉法が改正された結果,従来なら届け出義務のなかった施設も届け出ることが必要になって届け出数が急増したのだということで,施設数の増加は見かけだけだという。ほうほう,そういうことですか。しかし,そうだとすると今度は「悪質な業者が参入」の根拠も薄くなってしまう気がするけれど…。まあ,いずれにしても,こういうスリリングなやりとりは,読んでいてとてもおもしろい。これこそ,紙面批評というものだろう。

  ところが先日,その池上さんの著書の広告が新聞に載っていた。売れているんだそうな。タイトルは,『小学生から「新聞」を読む子は大きく伸びる!』という。そしてそのキャッチコピーがすごかった。曰く,「成績上位の子は,日常的に新聞を読んでいます」だって。

  いけませんねえ。これは明らかに因果推論の誤謬である。本のタイトルでうたっているのは,「新聞を読む」→「成績が上がる」という因果関係。おそらく本の内容も,そういった方向性で書かれているのだろう。しかしこのキャッチコピーはどうだろう? ここに書かれているのは単純な相関関係であって,ここからは何の因果関係も特定することはできない。

  だって,考えてもみてください。漢字がすらすら読めて,難しい用語もすいすい頭の中に入ってきて,記事の背景もそこそこわかっている人でなければ,新聞なんていう無味乾燥な読み物,ちっともおもしろくない。日常的に読むわけがないのだ。

  だから,新聞を日常的に読んでいるから成績が上位になったというよりは(もちろん,この影響性も否定はしないが),新聞を読めるだけの学力があるから日常的に新聞を読んでいる,というだけのこと,という可能性も相当大きいのではないだろうか。池上さんが本文の中で何と言っているかは知らないし,キャッチコピーはどうせ出版社の人が考えたのだろうが,池上さんの日頃の主張がとてもキレがいいだけに,ちょっぴり残念な気がするのだ。

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09.09.18. 時代遅れ

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  今年から正式実施となった免許状更新講習の講師が当たって,75人の受講生(中・高中心だが,小学校の先生も入っている)に話をしてきたのだが,そこで,ちょっとショックを受けたことがあった。それは,受講生の大半が,Deciの実験の話を知らなかったことだ。どれくらい詳しく話す必要があるかを考えるうえで参考にするのに,なにげなく聞いてみただけだったのだが,結果は予想をはるかに超えて,知っている人の方が1/3もいかないくらい。

  Deciの実験といえば,外的報酬が内発的動機づけを阻害するとして,従来の行動主義的な外的強化による教育観を大きく転換させ,80年代以降の,自己教育力とか生きる力とかいう文科省の方針を支えるベースのひとつとなっている研究といってもいいくらい,影響力の大きな実験なのだが…,そうですか。今は「教育心理学」の授業でも教えていないのですか。それはちょっと淋しい。

  私が学部生のころは,ちょうどDeciの認知的評価理論が日本に入ってきたてのころだったので,動機づけ=内発的動機づけ=Deciの実験,みたいな感じで,どの教科書でも,どの教師向けの一般書でも,「動機づけ」の項には必ずこの実験が紹介されていたし,もちろん私も教科書でこの項を担当するときには,毎回この実験に触れてきた。だからてっきり,その後も脈々とこの伝統が受け継がれ,Deciの実験は,教員採用試験の勉強をしたことのある人ならだれでも必須の基礎教養なのだと,すっかり思い込んでいたのだった。

  しかしそれも,さすがに時代遅れになってきたらしい。いつの学会でだったか,鹿毛雅治さんが,動機づけ研究が衰退しているとしきりに嘆いていたのを,あらためて思い出す。学校現場も昨今は,内発的動機づけに至るずっと前の段階で苦労されている様子があちこちから聞こえてくるしね。

  差し迫って問題となるのは,今後,共通科目的な授業や講演を,どんなスタンスで構成していったらいいか,である。いちおう教員向けの話のときには,外的報酬が内発的動機づけを阻害する,ということを先生方が知っていることを前提に,その先どう考えたらいいか,という構成で話を進めているのだが,もしかすると,その進め方ではまったくついて来れないのかも知れない。根本的に話の構成を変えないといけないだろうか。ううむ,どうしよう。

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09.09.08. オリジナル・モデル

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  子どもが長年使ってきたPCを買い換えるというので,お盆で帰省した折,情報を仕入れにいっしょに近くの家電量販店に出かけた。運良く機能的にも価格的にも納得できる機種を見つけ,買うのは東京なので,いろいろと質問攻めにした店員さんには悪いが,型番と価格を控えて店を出る。

  その1週間後,東京へもどった子どもから連絡が入った。新宿の家電量販店からだった。メモしていたお気に入りの機種は,そこでも同じような価格で売り出していたそうだが,すでに売り切れ。それもその店だけでなく全店売り切れで,再入荷の予定もないとのこと。在庫を確認しにいった店員さんが,あわてて「完売」の紙を貼り付けていたそうだ。入荷したら買うから予約できないか,と食い下がったらしいのだが,予約はいっさい受け付けないそうで…。PCといえば大きな買い物。きっと意を決して出かけたのだろうに,なんとも残念な結果だったのだ。

  とはいえ,ちょっと不思議ではあった。けっして型が古いわけではない。この夏のモデルだから,むしろ最新機種のはず。何より,たった1週間前には,店はちがうが,こちらではごくふつうに売り出していたわけだから,いくらなんでも,いきなり全店売り切れってのは,にわかには信じがたい。たしかに,その機種にしてはかなりの安さだったから,人気が高くてあっというまに完売してしまった…,ということがないとはいえないが,そんな全国津々浦々,どこにもなくなるほど急激に人気が出るとは思えないのだ。

  悩んでいるところへ,ちょうど出入りの業者が注文したソフトを研究室に納入しに来たので,話のついでに聞いてみる。すると,どうやら秋に発売される新OSのせいで,メーカーは現行のOSを積んでいる機種を,早々に生産完了にしているらしい。だから,旧機種が(今年の春・夏モデルであっても)完売で予約も受け付けないっていうのは,その通りなのだろうと。

  ただ―,と業者は言う。完売と言ったって,大きなところではたいてい,いくらかは在庫を抱え込んでいて,今後のセールのときの目玉商品として使うのだそうだ。なるほど。となると,もう少しの期間,注意して広告を見ておいた方がいい,ということか。

  そっちはうれしい情報だが,業者はもうひとつ気になることを言っていた。販売価格があまりにも安いというのである。大きいところはまとめて大量に買いつけるからね…,とは言っていたが,「この値段はうちの仕入れ値よりも安いですよ」なのだそうである。いくら在庫処分とはいっても,そんな投げ売りみたいな価格設定にするだろうか。

  そういうわけで,次の週末は家電量販店のチラシを徹底的にリサーチ。老眼鏡を外して,細かな字まですべて読んでみた。すると。

  なんのことはない,完売になってしまったはずのその機種,こちらではどこでもふつうに扱っていたのだ。しかも,さらに少し安くなっている。子どもが行った量販店の系列店はこちらにはないので,ホントに完売だったのかどうかはわからないが,少なくともこちらに展開している量販店は,すべて扱っていた。

  そして,チラシ精読の成果は思わぬところにあった。それは,各量販店の「オリジナル・モデル」なるものの存在に気づいたことである。オリジナル・モデルというものがあることは前から知ってはいたが,昔はせいぜい積んでいるメモリが多いとか,大容量のハードディスクがついてくるとか,プリンタがセットになっているとかというような,周辺機器レベルの「オリジナル」だったから,そんなに気にしてはいなかった。しかし今回,チラシをよく見てみると,なんとPCの心臓ともいうべきCPUが,メーカーのカタログにあるものとちがっていたのだった。誤解のないように付け加えると,量販店も,けっして隠すように細かな文字で書いているわけではなく,けっこう大きな文字で堂々と書いていたのだ。こっちが,まさかと思ってまったく注意を向けていなかっただけで。

  なあるほど。これが安売りのしくみでしたか。知らなかった!! たしかに,今どき値段をもっとも効果的に落とそうとしたら,そりゃ狙い目はCPUしかない。

  それにしても,ふつうPCの型番というと,基本的にはCPUのスペックを示しているものだと,なんの根拠もなく思い込んでいた。枝番でいろいろなバリエーションがあるのはわかるが,基本的性能を示すCPUがいろいろあるというのでは,メーカーのカタログをもらってきて家で性能をチェックした上で,(同等品のはずの)安売り品を買うなんてことはできなくなるではないか。ちなみに,よく見ると型番の末尾には各量販店のイニシャルが,-Yだの-Jだの-Kだの-KSだのとくっついていて,ちゃんとオリジナルな型番にはなっているのだが。

  さて,あちこちのお店のチラシを読み比べたおかげで,いいものを見つけた。メーカーのもともとのスペックのままのCPUを載せたモデルが(ハードディスクの容量が大きいのと,液晶がちがうオリジナル・モデルらしい),以前調べたCPU換装モデルの価格よりちょっとだけ高い程度で売り出していたのである。東京のお店は完売と言い張っているかも知れないので,それならこちらで買って送ってやろうということになり,お店に行ってみたら,まさに目玉商品扱いで,店頭価格はさらに\5,000安くなっていた。ということは,先日チェックした換装モデルの価格よりも,子どもが新宿で交渉した価格よりも安い。さっそく購入して,そのまま送ってもらう。送料も無料だそうだ。結果的には,申し分のない買い物となった。

  たまたまタイミングよく研究室を訪れた業者の人の情報のおかげだ。

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09.07.21. 天才

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  先日,NHKを見ていたら,理化学研究所でやっている将棋のプロ棋士とアマチュアの脳活動を比較するプロジェクトのことをやる,との予告。あわてて録画して見た。

  番組では,羽生名人の“ひらめき”の秘密を探ろうということで,詰め将棋の問題をごく短時間ずつ連続提示して反応させ,その間の脳活動の様子をfMRIを使って測定していた。それによれば,アマチュアでは見られない大脳基底核尾状核というところの活動が活性化していたそうで,ここは動作の習慣化を司っているところなのだそうだ。ただしこれは,羽生さん以外のプロ棋士にも見られており,要するにノーヴィス-エキスパート比較になっているらしく,これが天才のひらめきの正体というわけではない,と番組でも慎重に説明していた。

  とはいえ,この結果はけっこう示唆的だ。思い切り拡大解釈すれば,という条件つきだが,教育というシーンにもつながりやすい。ひとつは,短時間での正確な判断を迫られたときにはたらくのが,プロとしての直感力のようなものであるように思われがちだが,じつはそれも,地道な反復練習によって裏打ちされた“習慣”にすぎず,何も特別なものではないということだ。研究者がプロ棋士に聞き取り調査をした中で共通していえるのは,たしか「毎日最低3時間,集中的に訓練する」というようなことだった。まあ,当たり前といえば当たり前だし,基本中の基本ではあるわけだが,やはり知識などというものは反復しないとモノにならない,自由自在に使いこなせるまでには至らないのだ。

  もうひとつの示唆は,こうした論理的思考も,脳のメカニズムとしては運動系の習慣化過程と同じ過程をとるらしいということである。体で覚えるとか,体に染みこませるという言い方があるように,どうもわれわれは全身を使って知識を「身につけて」いるらしい。逆に,そうした身体感覚をともなわない,「頭だけで」覚えた知識は,この習慣化プロセスに乗っていかないのかも知れない。

  ところで,じつを言うと私は,もうちょっとつっこんでほしかった。気になったのは,この結果が将棋特有のもの,という可能性はないかどうかだ。

  将棋では,思考の結果は最終的に「駒を動かす」という動作として出力される。その部分,すなわち「どこそこに駒を動かす」,あるいはもう少し範囲を大きくして,「こういう局面ではこう駒を動かす」という,いわゆる定跡のような習慣化された動作の部分が,脳波となって出力されたのではないかという可能性だ。羽生さんは,この“瞬間提示”条件でも8割正解という驚異的な成績だったそうだ。とすれば,羽生さんはほとんどの問題で,不正解も含めて解答にたどり着いている(頭の中で駒を動かしている)のに対して,アマチュアでは答えに至らず,駒も動かせていない,という違いが脳波に反映されたという可能性はないのだろうか。もしその可能性が排除できないのなら,うえに書いた示唆も,いったん取り下げる必要があるだろう。

  さて,それでは羽生さんと他のプロ棋士との違いは,どこにあるのか。それこそが,羽生さんならではのひらめきなのではないか。反復練習だけでは到達できない秘密の領域なのではないか。ということで,番組はさらに脳の深いところへと進んでいく。羽生さん固有な神経活動は,嗅周皮質と脳幹網様体というところに見られたそうだ。残念ながらこちらの方については,「研究が進んでいる段階」ということで,詳しい言及はなかった。

  嗅周皮質という部位は知らないが,網様体なら,学生時代からいろいろ話は聞いている。ずいぶん古いが,その当時の知識でいえば,網様体は感覚器官から情報が入ってきたときに,情報の種類に関係なく脳細胞のあちこちに電気信号を送り込んで,脳全体の活動水準を上げる役割をしていたはずだ。いわば,電気機器を暖めて電気信号が流れやすくしているようなものだ,と習った覚えがある。情報が入力されたときの感情や高揚,不安などとも関係している。

  短時間の問題提示で,すばやく情報処理を行うために,脳の暖機も急速暖房で一気に行われるのが,天才たる所以… といえるかどうかはまったくわからないが,この先の研究が楽しみだ。

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09.07.17. 机の下

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  先日新聞に,携帯向けニュース配信サービスの見開き全面広告が載っていた。朝日新聞がテレビ朝日・KDDIと共同で運営するサービスだそうだ。派手な画面構成に惹かれてチラッと読んでみたのだが,目についたのはそのサービスによって得られる効果というか,予想される活用シーンを,イラストを使って例示した部分である。朝起きてから夜寝るまで,時間を追って活用シーンが並べてあって,つまりは一日中重宝すると言いたいのだろう。

  その一部を紹介しよう。

  PM 2:00 会社の会議室

  退屈な会議中,株価が過去最大級の大変動とのビッグニュースが「超速報」で携帯に。すかさず会議のメンバーに知らせ,驚かれる

  もうひとつ。

  PM 8:00 おしゃれなダイニングバー

  久しぶりの合コン。でも寡黙な草食系男子ばかりで盛り上がりはイマイチ。机の下でこっそりテレ朝配信の芸能ニュースをチェック

  大物カップル誕生の話題をきっかけに話が弾む。動画ニュースやアサマガのお笑い動画も馬鹿ウケで楽しい飲み会に

  マジですか,朝日新聞!? 紹介されている6つの活用シーンのうち2つがこの調子ってのは,いったいどうなのよ。見開き全面広告を打つくらいだから,朝日としても相当に力を入れているのだろう。しかし,そうまでして宣伝する新サービスの,いちばんのウリとしてPRしている活用事例の1/3が,会議や人と会っているときに<机の下でコソコソ携帯を見る>という,そんなろくでもない使い方だというのは,悲しくないか。

  だいたいこんな使い方,まともに推奨するに値するものなのか? それとも,すでにこういう使い方が一般化していて,ごくあたりまえのことになってしまっているのだろうか?

  大学では,だいぶ前から私語に代わって<机の下携帯>が広まっているし,TVでもよく国会議員が会議中に携帯でメールをチェックしたり,テトリスをやっている様子が映し出されるから,たしかに広まってはいるのだろうが,しかしそれはあくまで若者サブカルチャーの一種であって,「道徳的にはけっして望ましくないということを認識しつつ,コソコソやっている」類の行動だろうと,私などはずっと思ってきたのだが,まさか堂々と正面からそれを推奨してくる新聞が出現するとはね。

  私に言わせれば,会議中に参加者が,携帯に届く情報にいちいち気をとられていたら,生産的な議論なんかできるわけがない。つまり,「退屈な会議だから携帯」ではなくて,携帯に気をとられているから会議が進まないのだ。だいいち「超速報」などというシステムは,ところかまわず緊急情報を流すから意味があるのであって,だから「退屈な会議→携帯→超速報」という流れは,おそらく現実的ではない。「超速報サービスを入れている→携帯が気になってしかたがない→会議に身が入らない」という流れの方が,ずっとあり得るし,よっぽど影響が大きいだろう。

  机の下で仕入れた速報ニュースを,悪びれもせず「すかさず会議のメンバーに知らせ,驚かれる」という状況も私には信じられないが,もっと不思議なのは,どうも会議のメンバーの「驚き」の中身が,その速報性を「うらやましがっている」ということらしいのだ。会議に身が入らず<机の下携帯>をやっていたメンバーに対して,そんな反応をする周囲の人たちって,いったい…。大丈夫なのだろうか,この会社。

※  ※  ※

  記事を斜め読みしてひとしきり憤慨した翌日の新聞。小さな情報欄に,「携帯,むしろ教室に」という見出しが目についた。元ネタは,先ほどの提携先であるKDDIの社長の談話らしい。いわく「むしろ積極的に教室にとけ込ませていった方がいい結果を生む」そうで,「使いこなせる方がためになる」し,「使ったうえで,何が問題になるのかを勉強する方がより重要」らしい。

  そりゃ,そうだけどねえ。「学校への携帯持ち込み禁止」という利害が絡む携帯会社のこと,忙しい先生たちに代わって各学校に出向き,携帯の「使い方指導」を積極的に展開するくらいの戦略は,きっと考えているにちがいないが,そっち側の人たちに任せていたら,いったいどうなるかとても心配になる。まさか,「退屈な授業中,人気ゲームソフトの最新作の発売日が決まったとのビッグニュースが「超速報」で携帯に。すかさずクラスメートに知らせてあげよう」なんて指導はしないだろうね。

  むやみに禁止するのではなく,正しいつきあい方を教えるべきだ,という主張自体は,私も正論だと思う。しかし,やはり問題は「だれがどうやって」教えるか,だろう。わざわざ無関係なものを教室に持ち込んで,その指導を教員に負担させるのは明らかにおかしい。

  失敗例はごく身近にある。インターネットだ。ここ20年ほどの間に,便利な学習ツールとして教室に導入され,今では小・中学生の間でも当たり前のように利用されているくらい,すっかり定着した。最初の頃こそ,いわゆる先進校では情報リテラシーの教育にも力を入れてきたはずだが,いつのまにか普及のスピードが教育を上回り,どんどんネットの闇の世界が子どもたちにも直接入り込んで,もはや歯止めがかからなくなっている。そういう事例を踏まえたうえで,それでも,どこの学校でもきちんと教育できるはずだ,持ち込み禁止なんて必要ない,と言える人がいるなら(もちろん携帯会社以外の人でね),ぜひ具体的なプランを聞いてみたいものだ。

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09.07.03. 災難 その2

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  そのさらに1週間後。(ちなみに,話が1週間ずつ飛んでいるのは,花壇の手入れをするのが週末だからだ)

  珍しく早い時期にキュウリが実をつけた。地面近くに,まとめて4つも。この時期の実はたいてい最後まで太れないで,いびつな形になったり地面にくっついて終わってしまうのだが,今年は珍しくまっとうに伸びている。土曜日に見に行ったときには,4本の中の1本がもうすぐ食べられそうになっていた。キュウリは成長が早くて,たった1日でぐんと大きくなるので目が離せない。日曜の朝ベランダから見たら,もう収穫できそうなほどに大きくなっていた。そこで,夕方の水かけついでにとってくることにして,ドライブに出かけた。

  そして夕方。花壇に行ってみると―。

  ない。

  4本のキュウリのうち,比較的大きな実3本が,ごっそり根元からもぎ取られていた。

  もぎ取った切り口があまりにスパッと切れているので,ほんの一瞬,だれか人間が盗ったのでは? と疑ったが,まわりを見てみると,少し離れたところに根元部分の残骸があり,中の柔らかいところをほじくって食べたあとを確認。さらに落ち着いて見わたすと,すぐそばの自転車小屋の屋根の上にも残骸が見える。それでようやく確信した。

  カラスだ。

  カラスには,毎年“初物”をさらわれている。いつもはミニトマトの一番果が被害者。これまた,日に日に赤みを増していく実を楽しみに待ち続け,さあ明日には収穫できそうだと見極めをつけたとたん,翌朝には無残にも落ちて食い荒らされた赤い実を発見することになる。しかも許せないことに,半分くらいは食べ残しているのだ。そこで,あわてて防鳥ネットをぐるりと張り巡らす…,というのが毎年のパターン。毎度学習しない私も私だが,それよりも,敵ながら“食べ頃”の判断のみごとなこと!

 人間とピッタリ同じ…ではないのだ。微妙に判断が速い。だから,毎度毎度タッチの差で悔しい思いをさせられる。まさか,「明日は収穫できそうだ」とニヤニヤ笑っている私を観察した,というわけでもあるまいが,そうかもと思わせるくらい絶妙な判断なのだ。

  これで残さず食べてくれるのなら,これはもう素直に賞賛したいところだが,ぜいたくにも,ヤツは半分残すのだ。しかも,あざ笑うかのように真っ赤に熟れた果肉の部分を見せつけながら! やっぱりカラスというのはヤな奴である。

ポイント

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