ひとりごと

保存箱 2009.01-06

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09.06.22. 災難 その1

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  6月ともなると急に草花の勢いが増し,わが職員宿舎の周りにも,さまざまな雑草が一斉に生い茂ることになる。昨年までは,うちの棟は住人みんなで草刈りをしていたのだが,今年からは他の棟に合わせてシルバー人材センターに委託することになった。

  6月のある日,予定の朝8時になる前から,エンジン式草刈り期の音が宿舎中に響き渡り,草刈り作業が始まった。さすがにプロの仕事は,速さもうまさもひと味違う。背の高いススキも密生したドクダミもみるみる倒され,地面の上に緑色が残らないくらい,徹底的に刈り込まれていく。1時間後,私が大学に出かけるころには,2棟分の周囲があらかた刈り終わっていたのではないだろうか。それは,文字通り気持ちのよい作業ぶりではあった。

  ―ところが。

  そう簡単に喜んでばかりはいられない事態が起こってしまった。宿舎の花壇(わが家にとっては野菜畑だけれども)に植えていたハープが,雑草として,もののみごとに刈り取られてしまったのだ。

  油断していた。花壇といっても,入居していない部屋や,住んでいても花壇を使わない住人が大半なので,花壇の中の雑草も刈ってくれるという契約になっていたから,イヤな予感はあったのだ。しかし,荒れ放題の区画とは違って,ちゃんと草取りをしてある区画の中に,野菜と一緒に植えているから,まさかそこまでは手を出すまいと思い込んでいたのが失敗だった。

  たしかに雑草にはちがいない。本場ヨーロッパでも,牧草地の片隅に自生しているのを摘んできて使うようなものだから(といっても映画やTVでしか知らないけれど),栽培しているようには見えないとしても,しかたないのかも知れない。とくにタイムは背が低くて密生しているし,いかにもアヤシい風情ではあったのだ。きっと,よほど手入れの悪い区画だと思われたのだろう。

  とはいえタイムは,じつはなかなか苦労しているのだ。最初のころは,土もよくなくて梅雨時に根腐れを起こしてしまったり,1年は持っても冬を越してくれなかったりとさんざんな結果で,何度もいろいろな種類を試してみた結果,ようやく定着してくれたものなのだ。 …まあ,そうやって定着した根が残っているので,そのまま枯れてしまうようなことはなく,そのうちまた芽を伸ばしてくるはずだが。

  1週間後。刈り残された数本のタイムが,小さな薄紫の花を咲かせた。ううむ,あと1週間早く花をつけてくれていたら,おじさんもきっとただの雑草とは思わなかっただろうに…。

ポイント

09.05.22. 「となります」

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  先週末,大学院説明会と学会の会議で東京へ。お昼に立ち寄ったカレー屋さんで。

  「お待たせしました。こちら,チキン・カレーになります。」

  「チキン・カレーになります」って,見た目もうじゅうぶんチキン・カレーに見えるんですけど。少し待ったら,もっとチキン・カレーに変化してくれるのだろうか? 待ってもいられないので,変化を見届ける前に全部食べてしまったけれども。

  夜,ホテルについてTVをつけたら,新型インフルエンザの国内感染者が見つかったというニュース。関連して,神戸・大阪ではどこでもマスクが売り切れ状態だという。画面には薬局の一角の空っぽの棚がアップで映し出される。棚の前の掲示物にカメラが寄ると,そこに書いてあるのは,「マスクは売り切れとなります」。

  「売り切れとなります」って,売り切れなのかまだなっていないのかどっちなんだ? 「売り切れとなりました」ならわかるが,「なります」って,なぜ現在進行形? もしかして近未来を表す be going to なのか? 1,2個特別にとっておいているのがあるのじゃないだろうか。

  さらに夜。風呂から出て報道バラエティ番組(というのだろうか)をつけたら,某お笑いタレントが電撃結婚というニュース。タレントが発表したというコメントが読み上げられた。

  「お相手は一般の方になり現在妊娠中です。」

  「一般の方になり」って,前はカタギじゃなかったの? と缶チューハイを片手にツッコミを入れていたら,芸能レポーター氏が喜々として語ったところによると,お相手はどうやら元お天気お姉さんらしい。そりゃたしかに「一般の方になった」わけだが…。

  …にしても1日3連続とは! このところ,ヘンな日本語が横行している。それも,若者サブカルチャーの中で隠語的に使われているのならともかく,TVの中で堂々と使われ,だれも指摘することなく垂れ流され,その結果すぐに一般名詞化してしまうように見えるのが,なんだかとても恐ろしいところだ。大丈夫なのだろうか。

  というわけで,こちらがここ最近の日本語の乱れとなりますので,みなさん,気をつけていただいてよろしかったでしょうか。

などと,とりあえず自分も使ってみてしまうのは,オヤジの悲しい習性ではあるけれども…。

ポイント

09.05.20. 「…しましたガぁ」

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  気になるついでにもうひとつ。

  前から気になってはいたのだが,このところますます耳障りでしょうがないのが,TVに出てくる人たちの鼻濁音の<使えなさ>である。鼻濁音にすべきところを,思いっきり子音たっぷりの濁音で発音されると,瞬間,頭がザワッとする。嫌いなのだ。

  昨年,新聞の投書に「将軍御台所として行儀作法を厳しくしつけられているはずの篤姫が,きれいな鼻濁音を話せないのは嘆かわしい」という指摘があったが,私も思わず「そうそう」とつぶやいていた。まあ,私から見ると彼女の場合は,それほど気になるほどでもなかったのだが(気をつけてはいるがついつい出てしまうくらいのレベル?),たぶん鼻濁音というものを最初から知らないのではないかと思われる人たちが話すコトバは,あんなものではない。

  思い出してみると,最初に耳につきだしたのは,おこげを使ったインスタント食品のCMソングだ。短いフレーズの中に,「おこげ」という単語がしばしば出てくるのだが,それがことごとく「おこゲッ!」なのである。しかもCMなものだから,番組にかかわらず日に何度も耳にしないといけない。たまの「ザワッ」ならがまんのしようもあるが,不定期に,繰り返し繰り返し聞かされると,なんだかどんどん暗くなってくる。しかも,前ぶれがあるわけではないから,あわててリモコンを探して消音にするのが,間に合わなかったりする。これではさながらセリグマンのイヌだ。そう,あの学習性無力感に陥ってしまったイヌである。

  昔から,たとえばロックの人たちは日本語の歌詞が“ダサい”からといって,わざと英語っぽく子音を強調して,“あいしツェるぅぅのにぃぃ~,どうしツェ~”などと歌っていたわけだが,あれはまあ,聴く前から心構えを持って聴けるし,そんなに歌詞をコトバとして真剣に聴いてもいないし,だいいち,うるさくてチャンネルを変えることも多いので,そんなに気にはならなかった。しかしさすがに,CMソングは露出の頻度がまったくちがう。あれほど終わってくれてホッとしたCMは,近年ないだろう。

  最近のいちばんの耳障りは,日テレの夜のニュース番組である。以前から,なぜかプロのアナウンサーをキャスターに起用しないヘンな番組で,ニュースが聞き取りにくいので敬遠してきたのだが,このところTBSは時間が短くなったし,フジは開始時間が遅いしで,選択の余地なく,聞いている。

  そのキャスター陣がまた,よりによって全員(局アナを除いて)見事に鼻濁音を使わない。これには驚いた。とくに,ニュースを読む女性キャスターが,完璧濁音で読むのは困ったものだ。「つギです。」「麻生首相ガ,」「アメリカから帰国ゴ,」…。ヘタをすると文節ごとにザワッザワッとくることになる。結果,しゃべり全体がとてもカクカク・トゲトゲした印象を与え,つまりはたどたどしい感じに聞こえてしまうので,彼女はずいぶん損をしているように思うのだが,どうだろうか。

  一方,メインの男性キャスターは,お得意のニュースの解説でこれを連発する。「首相は~と語っていますガァ,はたしてこの政策は…」というように,わざわざ逆接を強調してのばす部分が濁音なので,ひじょうに目立つのだ。この使い方は,準レギュラー(?)の某アイドルグループの彼も同じ。なんとかならないものか。

  聞いたところによると,地方によってはそもそも鼻濁音を区別しないところもあるそうだから,発音できない人を個人的に非難するつもりはまったくない。ただ,まわりのだれも,そのことを指摘しないのだろうかと,不思議でしょうがないのである。報道番組として,きちんときれいな発音でニュースを伝えるべきだという価値観がないのか,それともだれも鼻濁音の必要性を感じていないのか…。報道番組こそ,発音も難しい単語の読み誤りも含めて,アナウンサーの教養が最も試される番組だと,私などは思っているのだが…。

  ちなみに,さすがにNHKは鼻濁音をきちんと発音していると思うが,9時のニュース番組の場合,別の問題がある。あの男性キャスターの,妙なイントネーションである。いちいち大げさな抑揚をつけたり,一部の文節をタメたりして,ひじょうにもったいぶった言い方に聞こえるのである。それがまた一本調子で,たいてい文の前半を大きく誇張し,最後は小声で短く終わるパターンなので,だいじなところが後半にある場合は,何を言っているのかわからなくなる。前半,ずいぶん強調するので何を言い出すか聞き耳を立てていると,直前のナレーションをただ繰り返しているだけだったり,どうでもいいような個人的感想だったりすることも多いので,聞いていてとても疲れる。

  あの話し方を聞くたびに,私の頭の中では,「村のぉ~,時間のぉ~,時間がまいりましたぁ」の斉藤清六さんが浮かんでくるのだが,私だけだろうか。

ポイント

09.05.19. 「ここ最近」

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  「ここ最近」というコトバが,最近どうにも気になってしょうがない。「最近」でいいではないか。なぜわざわざ<ここ>最近なのだ?

  だいたい,「ここ最近」っていったいどういう意味なのだろう? 最近のもっと最近? でも,現在に<最も近い>から最近なのであって,それよりも近いというのはおかしな話だ。

  それに,「ここ○○」という言い方は本来,「ここ1週間くらいの変化」とか,「ここ2,3ヵ月の間にマスターした」のように,具体的な期間が入るものだろう。それによって現在からどれだけ近いかを明示し,全体としてまちがいなく「最近」であることを強調しているのだろう。英語だったら last 2 weeks の last のイメージではないか。

  だとしたら,「ここ最近」という言い方はちっとも期間を明示していないから,何の意味もない。それどころか,「馬から落馬した」のように同じことを二重に言っているだけなのではないだろうか。何でもかんでも短く略してしまうといわれる若者たちなのに,どうしてこんな冗長な言い回しを好んで使うのか,不思議だ。…などと思っていたらこのコトバ,いつのまにかTVのナレーションなどでも平気で使われるようになっていて,すっかり一般に定着してしまったようだ。

  そういえば以前,だれだったか覚えていないが,芸人のネタにこんなのがあった。最近の若者は何でもコトバを短くして意味がわからないと,ネットで使われているいろんな略語を挙げていって,最後に「カキコする…。カキコするって,「書き込む」より長くなってるじゃねーかよーっ!」っていうオチである。たしかに。

ポイント

09.05.01. 返信代わりに…

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  ずいぶん久しぶりに書いている。昨年度のうちに書いておこうと,ずっと思ってはいたのだが,何やかやと舞い込む雑事に追われているうちに,すっかり新年度も動き始めたどころか,もうとっくに定速走行に移っている時期である。

  昨年前期の「学習心理学特論」のレポートへのコメント…というよりは授業評価に対するコメント…に対して,じつは何人かの方からメールをいただいた。それから,後期の「援助法」のレポートの末尾に,このことについてコメントを書いてくださった方も複数。中には,わざわざ「このレポートは自由に使ってくださってかまいません」と,気を遣って書いてくださった方もお2人ほどいて,私としてはひじょうに予想外な“反響の大きさ”だった。

  とくに,何年も前に修了した方からもメールが届いたのには驚いた。年に一度しか更新しないあのページを,ゼミ生でもないのに,毎年見に来てくれている人がいるというのは,ほんとうに予想外であったし,なんとなく救われる思いもしたのだった。

  ところで今回は,いただいたメールに対していっさい返信をしていない。ふだんは,勝手に送りつけてくるメール以外は,たいていきちんと返しているつもりなのだが,今回に限っては,あえてそうしなかった。というのも,みなさん,あのページをとてもよく評価してくださるものだから,なんだか返信を書き出すと,ついつい私も,何かダークサイドな思いを書き連ねてしまいそうで,ちょっとコワかったのだ。せっかくメールをくださったのに,みなさん,何の反応もせずにほんとうにすみません。

  著作権への配慮が足りなかったことはまぎれもない事実であり,言い訳のできない問題である。まあ,私の説明はいつもストレートで,どちらかというと挑戦的な言い方なので,もう少し柔らかい表現で了解を求めればよかったのかも知れない,という思いはあるのだが,そうはいっても,いちいち同意をとらずにネタに使わせてもらっているという事実は,厳然としてあるわけだから,根本的に問題があったのはまちがいない。

※ことの経緯については,『学習心理学特論』レポートへのコメント08年度版に書いてありますが,受講生に向けたページであり,知らない人から誤解を受けるといけないので,少しだけ補足しておきますと,まったくことわりなくレポートを公開しているわけではなく,レポートの説明の際に,公開する可能性があることを全員に説明しています。その説明を受けての,授業評価の記述だったわけです。

  まあ,レポートともなれば拒否できないでしょうから,個別の意思確認を省略するためのアリバイ的な説明でしかないのは,私も承知しています。いちおう,どうしても公開されたくない人は,一言書いてくださいと,毎年口頭では言っているのですけどね。ただ,それは主に登場人物のプライバシーの問題があることを想定してのことでしたので,不十分ではあります。

  授業評価は,大学が正式に公表しているものである。そこに意見表明されたからには,私としても小手先の変更ですませるわけにはいかない。だから,今後Webへの公開はしないというのは,まあ妥当な(と私が言うのはおかしいが)対応だろうと思う。授業評価に書くということは,それくらいの重みを持っていると思うのだ。ただ,レポートを書くときの参考になるので,今までの分は当面このまま残しておくつもりでいるが。

  動機づけの問題は,実践との関わりなしには語れないにもかかわらず,学校現場に軸足を置かないわれわれ研究者が,実践の様子を直接見ることのできる機会はとても限られている。有名な先生であれば,あちこち校内研究の指導者に招かれ,その経験をもとにして自説を展開する場合が多いように思うが,この授業のレポートに出てくるケースは,もっとずっと基本的なレベル,授業にちっとものってこない子や授業をまったく理解できない子のケースがひじょうに多い。それと,学習場面以外の,「こんなものも動機づけ理論で説明できるのか」と思うような多彩な場面がとりあげられている。それが,この授業の大きな特徴であり,それだからレポートを読むのがおもしろいのだ。もちろんそれによって,私の考え方も大きく影響を受けている。

  だからこそ,それをみんなで共有したいし,そういうレポートを歓迎しているのだということを示したかった。それ以上でもそれ以下でもない。それだけ言い訳しておきたい。その後の手続きを,「めんどくさくて」はしょってしまったのは,反省しないといけないが。

  以上,出さなかった返信の代わりに,(こんなところまで見に来てくれているのかどうかわからないけれども) ちょっとだけ書いてみました。これ以上は,もう何も言いません。この話はこれでおしまい。

  ちなみに,その後更新が滞っているのは,けっして気落ちしているからではなく,現実問題として書いている時間がなくなってきているからなので,どうぞご心配なく。

ポイント

09.01.09. コトバの距離

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  ラジオのスタジオ収録などというものを,この歳になってはじめて経験した。とはいっても,上越ローカルの,しかも大学で持っている枠での放送。いってみれば,ごくうちわでやっている放送なのだが,そうはいっても,やはりはじめての経験はそれなりに緊張するもので…。

  だいたい私は,フリートークが極端に苦手なので,こういうのには向いていないと思う。文章は何度でも手直しできるのでいいのだが,話し言葉は1回きりなので,ついつい内容を考え込んでしまって,けっきょく会話に乗れないことの方が多い。優柔不断なのだろう。だから授業も,あらかじめ準備した内容を,多少時間や学生の反応に合わせて入れ替えたりふくらませつつ,しゃべるのがせいいっぱい。学生との相互作用の中で臨機応変に授業を展開する,なんていう芸当はとてもできそうにない。15分間フリートークなどといわれたら,きっと半分は「えー」か沈黙かで占められるにちがいない。

  にもかかわらず,じゃあなんでそんな仕事を引き受けたのかといわれると返す言葉がない。きっとローテーションだから,今断ってもいずれはやらされるだろう,という観測はあったのだが,まあ基本的にはやはり優柔不断なのだろう。若いころだったら<絶対に>引き受けなかったはずの仕事だが,だんだん歳をとってくると,「できないことへの怖さ」のほかに,「やったことのないものに対する好奇心」が,ほんの少し頭をもたげてきたりもして。

  テーマは自由だが,希望としては「学校と心理学」みたいな話を…という依頼だったので,そのままいただいた。それと,インタビュアー(教員でも院生でも)を頼んでおくように,ということだった。こちらは少し考えた。院生といっても,自分のゼミ生と“師弟対談”というのはなんとなく気乗りがしなかったので(うちのゼミ生だって,ヘンに遠慮したりお世辞大会になったりする心配はないとは思ったのだが),学部のころから知っていて今年大学院に進学した2人のお嬢さんにお願いすることにした。よそのゼミ生なので,いちおう仁義を通して指導教員経由でお願いしてもらったところ,快くOKしてくれたとのこと。これは何にもまして心強い。

  収録前に,一度集まって打ち合わせ。番組に関わっている先生方には叱られそうだが,全員放送を聴いたことがなかったので,最初から最後まで,よくわからないままの話し合いであったが,なんとなく大きなテーマが決まり,なんとなく中身のネタも挙がり,なんとなくこれでいけそうな程度には,まとまってきた。…と思ったのは私だけで,2人はまたそのあと打ち合わせをしたらしいが,この段階で,私の方はもうすっかり安心していた。進行は2人にお任せ。私は,テーマだけ頭に入れて,あとはノープランで臨むことにした。

  さて,スタジオ収録。小さなテーブルをはさんでインタビュアー2人と向かい合う。真ん中にマイクが吊ってある,おなじみの形式だ。一人ひとりヘッドホンを渡され,それぞれのジャックに差し込むと,ディレクター(というのか?)の指示が,ヘッドホンを通して聞こえてくる。ちょっぴり本格的なギョーカイ気分。

  思っていたよりも,お互いの距離が近い。普通に座っているときは感じなかったが,いざ声を出す段になると,できるだけマイクに近づくよう指示が出る。とくにインタビュアーの2人は,隣りあって座っているのだが,お互いくっついて,しかも発言するときは相手を押しのけるくらいのつもりでマイクに近づけと。いきおい,全員が顔を寄せ合って話すことになる。こ,この距離感は,けっこうツライ。なにしろ,ふだん院生・学生と話すときに,こんな至近距離で顔を合わせるなんてことは,まずないくらいの距離である。私以上に,指導教員でもない教員と間近に顔を見合わせている院生の2人が,よほど気詰まりだったにちがいない。

  ふと,昔読んだEdward Hallを思い出していた。いわゆるパーソナル・スペースの理論である。人間は自分の周りに空間的縄張りを持っていて,対人関係に応じて,相手の侵入をどこまで許すかが異なっている,というのである。家族や恋人同士の「密接距離」,親しい友人と個人的な会話をするときの「個体距離」,とくに親しくない同僚と仕事をするときの「社会距離」,まったく個人的につながりのない,街頭で演説を聴くときなどの「公衆距離」に分けられるのだが,これでいくと,スタジオ内の距離は,たぶん「密接距離」の遠方相に入ってしまう。家族か恋人しか入れてもらえない空間だ。さして親密でもない人が無神経に入り込んだら,確実に関係を壊してしまう,そんな距離なのだ。真ん中にぶら下がっているマイクが,ちょっとは緩衝材になってくれているのだが,なんだか最後までどこに視線を向けていいのか迷いながら,けっきょくはテーブルの上の進行メモとストップウォッチを交互に眺めていた。

  いったいどんなふうに収録を進めるのかと思っていたら,最初の出だし部分だけリハーサルをして,あとは流すのだそうで,とりあえず最初の出だしのチェック。たしかに第一声は難しい。ディレクターからは,出だしでゲストがどういう人だかすぐにわかってもらえるように工夫してくださいとの指示。ほんの出だし部分だけだが,3,4回ほどはリハーサルしただろうか。このぶんだと,いったい収録に何分かかるのか心配になってきたところで,いよいよ本番。

  本番は,2人の上手な進行に助けられ,無事予定どおりの内容をこなして,ピッタリ予定どおりの15分で収まった。それほど長い沈黙もなかった…と思う。よけいな部分はあとで編集してくれるらしいが,編集したら使えるのは8分だけ,などということはなかったはずだ。

  ただ,会話の内容については,まったく自信がない。よく覚えていないのだ。緊張して,というのもあるだろうが,私が気になったのは,ヘッドホンから聞こえる自分の声だ。ほんの少しだけ遅れて聞こえてくる自分の声。これが,やけに頭の中でガンガン響き渡って,自分の声なのに,なんだか他人の声を聴いているようなのだ。よく,海外からのニュース中継などで,音声が届くまでに微妙な時間差があるために,しゃべっている途中でスタジオからの質問や相づちの声が聞こえてきて,現地レポートが止まってしまうのを見かけるが,ちょうどあんな感じなのだ。

  ふだんであれば,しゃべりながらも,次は何をしゃべろうか,何か抜かしていないかと,頭の中ではあれこれモニターしているわけだが,そのための脳細胞が,ヘッドホンの“他人の声”を聴きとるために総動員されて,モニターがまったく効いていない感じ。振られた話題に沿って話はしたつもりだが,文字通りしゃべりっぱなし。ちゃんとしゃべれているのかどうか,考える余裕もないくらい,もう頭の中はいっぱいいっぱいを遙かに超えていた。収録が終わって,ヘッドホンを外したときの心地よさといったら!

  収録が終わったときにその話をしたら,ディレクターの方はまったく逆に,遅れて聞こえるモニター音声に耳を傾けることで,かえって冷静に自分の発言を反省することができるのだそうな。さすがギョーカイ人は,凡人とは感性がちがう。

  ともあれ,これが昨年の仕事納め。なんとか無事に役目をはたすことができてよかった。これも,私のヘンな好奇心につきあってくれた,お2人のインタビュアーのおかげです。心より感謝。

  ちなみに,年明け早々のオン・エアは,ちょうど会議と重なっていて聴いていない。たぶん,私にとってはその方がシアワセかも。

ポイント

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