ひとりごと

保存箱 2010.01-06

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10.05.21. 天文少年

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  連休の最終日。天気がよかったので,妻がお弁当を作ってくれて,近所までドライブに出かけた。行き先は,その朝見た市報に写真が載っていた「坊ヶ池」。詳しい情報はわからない。けっこう行き当たりばったり。道路も,市報に載っているのは高田の中心市街からどこに向かっていけばいいかだけ。あとはまっすぐ行けばいいことになっているので,信用して出発。

  道路はたしかに一本道だが,どんどん山に入って行く。ダラダラ上り坂。道幅も狭くなる。案内も最初に大きな看板があったきり。でも,とにかく一本道なのでそのまま進む。

  突然,目の前に「この先,通行禁止」の表示。どうも,災害復旧工事中らしい。行き着けるのだろうか? 迂回路の指示と「坊ヶ池」の矢印があるので,とりあえず迂回路に入る。道路はますます狭く,勾配も急になる。もう完全に山の中。「失敗したかも…」という思いが何度か頭をよぎったとき,急に目の前が開けた。ここだ。

  途中の道路の感じからは,もっと“秘境の湖”っぽい想像をしていたのだが,池のまわりは案外きれいに整備してある。芝生広場にキャンプ場はもちろん,テニスコートまである。少し離れた高台にはレストランと宿泊施設。駐車場の隣には,「星のふるさと館」という,天文をテーマにした学習施設もある。

  人出はそこそこ。暖かいので,池が見下ろせる芝生に足を伸ばして,お弁当を広げる。

  お昼ご飯を食べたあと,せっかくなので「星のふるさと館」でプラネタリウムを見ていくことにする。上映が終わって館内を一回り,妻が上へ上へとのぼっていくのでついて行くと,妻がめざしていたのは天体観測ドームだった。

  明るいドームの中では,いかにも天文好きといった風情の係の方が,熱弁をふるっていた。昼間だから,太陽の観察くらいかと高をくくっていたのだが,望遠鏡に映っているのはなんと金星。午後の青空にくっきりと浮かんでいる。大きい! さすが口径65cmmという本格的な望遠鏡だけのことはある。

  何を隠そう,私もかつては片足の先の方を突っ込んだ程度には,天文少年の端くれであった。というより,われわれの時代,男の子は大なり小なりそんなだったのではないだろうか。なにせ“アポロの世代”だ。人類が月に降り立ったというニュースの中で少年時代を過ごした。以前ポルノグラフィティが歌っていた,あのアポロである。「僕らが生まれてくるずっとずっと前」という歌詞には少なからずショックを受けたけれども…。

  さて,そんな天文少年が友だちに望遠鏡をのぞかせてあげたときに,いちばんがっかりされるのが,「惑星が意外に小さい!」ということだ。土星の輪も,木星の大赤斑も,火星の運河模様も,ちょっと見ただけではわからない。しばらく見ていて目が慣れてくると,ようやくそれらしきものが何となく見えるような気になってくる。天文少年が買ってもらえる小さな望遠鏡では,それが限界だった。それで,友だちと話が続かなくなったり,本人も興味をなくしたりしたわけだ。

  で,話を戻すと,さすがにこれだけ大きな望遠鏡だと,金星の丸さも,少し欠けているのもはっきりわかる。これならきっと,初心者を天文ファンに引き入れてくれるのではないだろうか。あとで見せてもらった太陽の黒点もプロミネンスも(残念ながらどちらも活動はあまり活発ではなかったが),天文少年のころ見ていたものとはケタ違いの大きさで,久々にワクワクさせてもらった。

  今は,見たい星に望遠鏡を向けるのに,PCの画面上にあるその星をクリックするだけで,あとは全部自動でやってくれるというのも,はじめて知った。もちろん星の日周運動に合わせて,自動追尾してくれている。とうてい比較にはならないが,天文少年の望遠鏡はすべて目視と手調整の世界。X軸方向とY軸方向の2つのハンドルを絶えず細かく動かしながら,なんとか目標物を視野の中に入れていた。ちょっと目を離したうちに,星はたちまち視野から消えてしまう。星の座標に目盛りを合わせればだいたいの方向をセットできる「赤道儀」を雑誌の広告で見ては,ため息をついていたものだ。今回,昼間でも見える恒星,というのでいくつか見せてもらったが,肉眼ではまったく見えない星でも,すぐに望遠鏡を動かして視野に入れてくれるのには,ほんとうに驚いた。

  ドームには,うちのほかにもう1組の夫婦がいるだけ。その2人が先に帰ったあとは,係の人を独占してほぼ個人教授状態。ほんとうにいろいろと見せたもらったし,教えてもらった。そんなわけで,一時は「ハズレ」かと心配していたドライブだが,結果的には予想以上の収穫だった。上越の夜景もきれいだそうだし,土曜日の夜には観測会を開いているようなので,次はぜひ夜に来たい。……とは思うものの,真っ暗な帰り道は,恐ろしいくらいの途中の山道なのです。


10.04.29. 台形

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  自分と興味を持つポイントが似ているかも,と書いた池上彰さんだが,この春の番組改編期のスペシャル番組では,各局引っ張りだこだったようで,あちこちの番組に登場していた。いくら何でも出すぎです。そんなにいっぺんに露出していたら,すぐに視聴者から飽きられてしまいますよ,などとつぶやきながら,しかし私もほかに見るべき番組がないので(なにしろ,どこも似たような内容の,思いきりどうでもいい番組が,必ず2時間ぶっ続けで…最近は3時間ものも増えつつあり…あるわけで,チャンネルを選ぶ余地もないのが,困ったところだ),ついついおつきあいしているのだが。

  先日は,指導要領の改訂について解説していたのだが,これはちょっとがっかりな内容だった。“脱ゆとり”などといわれる今回の指導要領の改訂。戦後の動向をまとめてくれたのはよかったのだが,前回の指導要領については,なんか扱いが微妙に冷たかった。典型的な誤解と指摘されている「円周率は3」のことも,前回の指導要領を象徴するエピソードとして言及はしていたが,とくに解説はなし。

  大きく取り上げたエピソードには,台形の面積の話があった。正確に覚えてはいないが,たしか,今までの教科書では「台形の面積の求め方について考えてみよう」となっている(つまり,面積の公式は教えない)という池上さんの説明があり,それに対してある芸人が,「5年生相手に,“考えてみよう”と投げかけてどうするんですか?」と突っ込んでいた。いかにも間抜けに見えるこの問いを嘲る笑いがスタジオ中に広がる中,残念なことに池上さんもまた,ただニコニコしているだけだったのだ。

  う~ん,ちょっとこの突っ込まれ方は,前回の指導要領があまりにかわいそう。だってこれは,ある意味,前回の指導要領のもっとも大きなポイントではなかったか。端的に言うなら,これは,台形の面積の公式を覚えている方が賢いのか,それともこれまでの知識を使って面積の求め方を自分で考えられる方が賢いのかという,学力観・知識観の問題なのだ。指導要領のどこがどう変わったか,などという問題よりもっとずっと根本的な問題を,この台形の面積問題は投げかけているのだ。

  台形の面積を求める前には,当然三角形の面積も平行四辺形の面積も習っている。そのうえで,それらを応用して台形の面積を考えさせる,というのが,前回の指導要領の趣旨だろう。変化の激しい世の中を「生きる力」の育成を標榜しているわけだから,たんに知識を教わって覚えればいいというのではなく,新しい問題に対しても,既有知識を使いこなしながら自分で考えられるようにしていきたいということなのだ。そして,台形の問題は既有知識から十分導き出せると計算してのことだろう。

  自分たちの世代が当然のように教わってきたものを,次の世代が教わらないというのは,たしかに学力が低下しているように見えて,なかなか納得できない。それは心情的にはわからないでもない。しかし,過去の世代の人たちが教わったものをすべて教え,そのうえ新しくわかってきた知見や,新しいジャンルの知識もどんどん付け加えていったら,子どもたちの頭はパンクしてしまう。それにだいいち,そうやって蓄積された知識がいったいその後,ちゃんと使われているかどうかだ。

  どうやら私のひとつ下の世代が,いちばん教育内容が多かった世代であるらしい。中学の先生も高校の先生も,受験のときにはみんな,「いいかお前たち,次から指導要領が変わって,学習内容がグンと増えたから,浪人したら現役生にかなわないぞ。ぜったい現役で合格しろよ!」とハッパをかけていた。私の世代もけっこう詰め込み世代だったはずだが,振り返ってみると,メリットを感じられるのは,クイズ番組を見ていて多少優越感に浸れるときくらいなものだ。それも,ネット空間に蓄えられた膨大な知識から簡単に調べて来れることを考えれば,まったくとるにたらない自慢である。

  だから,貯め込むことが重要だという知識観から,使えることが重要だという知識観に大きく変わろうとしたのが前回の指導要領だったはずなのだ。(ついでに言えば,文科省の説明だと,今度の指導要領も,べつに方針転換したわけじゃなく,前回はスローガンだけで具体的なノウハウに欠けていたから,そのへんを充実させた,ということになっているらしい)

  台形の面積の話は,そのあたりのことを象徴的に表しているので,扱いようによってはしっかり議論できるところだと思うのだが,突っ込まれっぱなしではいかにももったいない。それにあれでは,台形の面積の公式がまた復活したからOKって,古い知識観の枠内だけでの解決に終わってしまう。せめてそのツッコミを入れた芸人さんに,「ところで,あなたは台形の面積の公式を今でも覚えていますか?」「生活の中で,公式を使って台形の面積を求めたことが何回ありますか?」と,ぜひ聞き返してほしかったところだけど。


10.02.26. 真冬並み

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  暖冬という予報が完全にはずれて,しばらくぶりの大雪。もっとも,気温と降雪量とはそれほど関係ないらしいが,降り続く雪を見ていると,やはり実感としては寒い。3日間も雪が降りやまなかったというのは,もしかすると私がここに赴任したころ以来ではないかと思っていたら,新潟市周辺の積雪量はたしかにそのころに匹敵しているらしい。通路からよけた雪が積み上げられ,1階のわが家の窓のすぐ下まで達したのを見たのは,ほんとうに久しぶりだ。正直,物理的にだけではなく,心の底から暗くなる。

  何回か集中的に降った中で,ちょうど節分から立春にかけてが大雪だったので,炒り豆も恵方巻もすっかり買いそびれて,家にたどり着くだけでせいいっぱいの状態だったのだが,その立春の日のことだ。

  TVの天気予報を見ていたら,お天気お姉さんが「明日は真冬並みの寒さになるでしょう」と言っていた。「真冬並み」って言ったって,今は2月上旬。真冬も真冬,今が真冬じゃなかったらいつが真冬なのってくらいの季節だ。しかもこちらは大雪のまっただ中。「真冬並み」っていったい何? 「台風並みの強風」といったら,台風というわけではないがそれくらい強い風だということだし,「料理の腕前はプロ並み」といったら,プロではないがそれに匹敵する技術を持っているということだ。じゃあ真冬並みという場合,今の季節は何で,いつが真冬と認定しているのだろう。

  おそらく,「暦の上では」春になっているので,真冬とはいえない,というような事情なのだろう,というのが夫婦の間で到達した結論だ。しかしそれでも疑問は解決しない。暦の上で季節を分けているのだとすると,じゃあ基準となる「真冬の寒さ」というのはいったいいつの時期の気温をさしているかがわからなくなるのだ。

  ふつう天気予報では,「4月上旬並みの暖かさ」のように「旬」の単位で比較している。「平年」というのはたしか過去30年間の平均値だそうだから,「旬」単位でもおそらく同じように,10日間ごとに過去の記録を平均しているのだろう。期間がはっきりしているから。これは何の問題もない。しかし「真冬」にはその期間が明示されていないから困る。いったいいつの気温を平均しているのだ?

  気になってネットを調べてみたのだが,どうもはっきりしない。何人もの人がこの疑問を持ってはいるようなのだが,それに対する回答は,二十四節気をもとにした語句の定義,というかその推測に留まっているようだ。「真冬並みの寒さ」と堂々と言っているからには,いつの期間の何年分の平均値か,という基準と,その具体的な数値が出てきてもよさそうなのだが,そういう指摘がちっとも見つからない。

  気象予報士の人のブログでさえ,疑問を投げかけている段階で終わっているところを見ると,どうもこのコトバ,けっこう感覚的に使われているのではないだろうか。天気予報は,かなりの程度数値的根拠にもとづいていて,「ときどき」のような細かな用語にも厳密な基準を設けている印象が強いのだが,どうもこれはちがうようだ。

  まあ,わかったところで寒さが和らぐわけではないのだが,どうも解決できるまでは落ち着かない。


10.02.02. 気づかない

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  「近頃の若いモンは!」とか「昔はこんなじゃなかった!」などというミもフタもないくくり方はずっと毛嫌いしてきたくせに,ふと気がつけばそんなフレーズが頭の中を駆け巡っているのは,私もりっぱに年をとったという証拠だろう。しかも,ターゲットはたいてい,自分にも身に覚えがある,つまりは「おまえにだけは言われたくない」というような種類のものだから始末が悪い。老人はわがままなのだ。

  センター試験の監督をやった。今年は1日め,緊張のリスニングがある日である。たった30分,配点50点の試験のために,どう考えても不釣り合いに周到な準備と,分厚いマニュアルと,異常な緊張感を伴うこのテストには,言いたいことは山ほどあるけれど,今日はその話ではない。答案回収のことである。

  センター試験の答案用紙というのは,つまりマークシートである。厚手の滑面紙1枚。これを,毎時間テスト終了後に回収するわけだが,これが意外にやっかいなのだ。

  厚紙は机にペタリとへばりついている。ふつうの答案用紙のような薄っぺらい紙だったら,紙の端っこ近辺をちょっとつまんでたわませ,浮いてきた端をすかさずつかんで持ちあげるところだが,厚紙ではそうもいかない。無理にたわませようとすると,紙に折れ目がついてしまう心配もある。大切な答案だ。読み取りエラーが起こっても困るし,それ以前に受験生からクレームがつきかねない。

  そこで,指を押しつけてそっと答案用紙を机の端,通路側の方にずらしていって,机から少しはみ出たところをつまみ上げる,というのが私のやり方だ。

  受験生たちも心得たもので,監督者が回ってくるのに合わせて,答案用紙を机の端に寄せてくれたり,厚みのある問題用紙の上に乗せておいてくれたりと,スムーズな回収に協力してくれる。そこまでいかなくても,たいていの受験生たちは,ちゃんと答案用紙の上に積もった消しゴムかすを払い,筆記用具を端に片づけて,待っていてくれる。

  ところが,だ。

  困ったことに,中にはまったく無神経というか無頓着というか,答案の上には鉛筆と消しゴムを乗せっぱなし,山盛りの消しゴムかすまでおまけについている,という状態で平気で待っている受験生がいる。そのうえ,答案用紙ずらしのワザを妨害するかのように,机の端側には問題用紙,前側には筆箱,手元側には予備の鉛筆…,要するに答案用紙の周囲をぐるりとモノで囲んでいる受験生もいる。いったいどうやって回収しろというのだ。もしかして,回収の手際を試験しているのか?

  まあ,1時間めは大目に見よう。みんな緊張していて,回収の便など配慮している余裕はないかも知れない。それに,試験時間が終わったら,基本的に鉛筆・消しゴムにはふれてはいけないことになっていて,「持っていると不正行為と見なす」と脅しをかけてもいるから,手を出しづらいのはしょうがない。

  そこで私は,鉛筆・消しゴムが上に乗っかっている場合には,はっきりした動作でそれらを横によけることにしている。「はっきりした動作」というのは,ちょうど将棋や囲碁で駒や石を動かすとき,ピシッと大きな音を立てて相手を威圧する,ちょうどあんな感じを想像していただきたい。

  怒っていることもないわけではないが,それよりむしろ,鉛筆・消しゴムをヘタに動かそうとすると,コロコロ転がってしまうことがあるからである。試験監督が受験生のモノを「落として」しまってはシャレにならない。鉛筆・消しゴムをピシッと置いて,ほんの一瞬指で押さえて待つ。転がらないのを確認してから手を離す。ついでに,「答案用紙からどかすんだよ」というメッセージも,ちょっぴり込めているつもり。

  それでもそういう人は気づかないらしい。2時間めになっても5時間めになっても,相変わらずの散らかしようだ。これがもし評価対象だったら,確実にマイナスポイントが10点くらいはつくレベルなのだが。

  そういう“気づかない”人が,どうも今年は多い気がするのだ。ざっと見て,1列あたり2人くらいはいそうに見える。今年は大きい教室担当だったし,昨年までは受験生が試験に慣れた2日め担当だったこともあるから,ほんとうに今年の特徴なのかどうかはわからないが,大教室で回収に時間がかかるからこそ,よけい気になってしかたがないのだ,こういう細かなところが。

  まあもっとも,最初に書いたとおり,“気が利かない”ことにかけては,私が他人に言えることではない。それは本人も十分承知しているつもりだ。

  それにわれわれも,けっこうヘンテコな指示をしているのだ。たしか昨年あたりから,リスニング機器の誤動作を防ぐために,「机の上のゴミや消しゴムかすを,全部下に払い落としてください」みたいなことを受験生に指示することになって,説明会でも入試課の人が申し訳なさそうに説明していたのを覚えいる。だってこれ,およそ社会的マナーに反する行為だろう。まさかこれが,彼らにとって,大学入学後の行動の予行演習になってはいないだろうね。大学ってそうやってゴミを落としていいんだ,と思われないか心配だ。だって全国一斉,受験生全員に強制的にその行動を経験させているわけだから。