8月18日朝7時。真夏だ。もう気温が上がりはじめている。
右の腹に重い痛みを感じて目が覚めた。ほんの1時間前,水を飲みに起きたときには何ともなかったのだが。
ここはホテルの一室。学会に出席するため,一昨日から東京に出てきている。学会は明日までの日程だが,仕事の都合で,今夕には家路につかなければならない。そんな朝のことである。
違和感を感じつつも,いつもどおり,まずはシャワーを浴びる。熱めのシャワーをおなかに当てていたら,痛みが少し薄らいだ気がしたので,ほっとして帰り支度にかかる。しかし,広げた荷物をまとめるのにあちこち動き回っているうちに,痛みがぶり返してきた。そのたびに手を休め,椅子に座り込んだりベッドに横になったりしているので,荷造りはなかなか進まない。
やっぱりどうもおかしい。ちょっと休んでいれば落ち着くような,並みの痛みではなさそうだ。何かあるのだろう。ベッドに横になりながら,学会の日程を確認する。しかし,そもそも会場まで行けるのか? それとも医者に行くか? あいにく今日は日曜日。なら,このまま時間を延長して一日ホテルで休んでいるか? だがどう考えても,鎮痛剤をもらって寝ていれば治まるような痛みとは思えかった。
そうこうしているうちにも痛みはしだいに激しくなり,ついに立っていられなくなってきた。時計はもう8時を回っている。そろそろ決断しなければ。頭の中では,「タクシー代わりに救急車を利用する人」とか「緊急でもないのに救急車を呼ぶ人」などという週刊誌の見出しがぐるぐると飛び回るが,今の状況では,もう他に手はなさそうだった。電話でフロントに病状を告げ,救急車の手配をお願いした。
救急車。
生まれてはじめての緊急搬送。
救急車はすぐに来てくれた。エレベータが狭いので,救急隊員に支えられながら,歩いて車に乗り込む。まずは個人情報と症状の確認。といっても,フロントの人が先に基本情報(宿泊カードに書いた内容)を隊員に伝えてくれていたので,質問はもっぱら症状の方だった。どんな痛みか,いつからか,既往歴はあるか…。矢継ぎ早に質問される。おなかは痛むが頭はまだ働いているようで,なんとか質問にはすぐに答えられた……と思っていたのだが。
一連の質問が終わると,救急隊員の2人が顔を見合わせ,何やらヒソヒソ話を始めた。ありゃ,何か問題でも…? と思ったら,こちらに向き直った隊員がひとこと,「年齢,もう一度お願いします。」
おやおや,まさか年齢が違っていたとは。言い間違いだろうか,本格的に記憶がおかしくなっているのだろうか…。急に不安になってきた。ここはきちんと計算しようと思って,「生まれたのは19**年,で今年は…」と声に出してみる。出ない。今年の年号が出てこない。隊員が気を利かせて「今年は平成25年ですよ」と教えてくれたのだが,困ったことに昭和生まれの人間にとって,平成にまたがった計算はかえって面倒なのだ。少しして,2013という数字は思い出せたが,そこからが進まない。2つの年号が頭の中に浮かぶだけで,ちっとも計算ができない。どうやら,頭の方も相当に混乱しはじめているようだった。
思えば,昭和の時代は年齢計算が楽だった。なにしろ下2桁だけの計算ですんだ。西暦と和暦の変換だって,25を足し引きするだけだ。それが2000年を超えるとどうもいけない。千の位から借りてこなければいけないのだ。いいかげん混濁した頭では,とうてい扱いきれない。
見かねた隊員の人が,助け船を出してくれた。「これは“誕生日が来たら”の年齢ですよね。」
そうかそうか,そういう間違いだったか。それならわからないでもない。昔はたしかに,少しでも若く見せようと,誕生日前後で1つ進む年齢をそれなりに気にかけてはいたものだが,もうこの歳になると,1コ進もうが戻ろうがどうでもよくなってきた。それに最近は,個人情報保護法のおかげか,年齢を書かされる機会がめっきり少なくなった。逆に増えてきたのが,「定年まであと○年?」「あと何回?」という計算である(もちろん個人的な都合でのことだ)。それには誕生日が来たあとの年齢の方が都合がいいので,ついついそっちの方が強く記憶されていたのだろう。
受け入れ先が見つかり,救急車が動き出した。
まあ,とりあえず痛みで記憶が崩壊してしまったわけではないことにほっとしつつ,腹痛に耐える。何か鉄の板でもぐいぐい押しつけられているような,鈍くて重い痛みだ。
救急車はスピードを上げ,東京の街を走り抜けていた。最初は座席に座っていたのだが,たまらずストレッチャーに倒れ込む。東京はつくづく坂の多い街だ,と寝ていると実感する。
夏真っ盛り。どこかで蝉が鳴いている。周りはビル街なのに。
車が大きく左に旋回したと思ったら,病院の玄関に着いた。
救急車の後部ドアが開いて,真っ青な夏空が視界いっぱいに広がった。ストレッチャーが車外に引き出されていく。意外にも体にはほとんど衝撃がこない。素晴らしい。ストレッチャーを押しながら,救急隊員がテキパキと症状の申し送りをする。その最後のひとことがよかった。
「患者は意識清明!」
もういいかげん意識は混濁していたのだが,そのひとことで,ピリリと脳に刺激が入ったようだった。
運び込まれたのは,TVの特番にもときどき登場する某有名病院だった。周りを見わたすと,ドラマでよく見る救急治療室が,そっくりそのままそこにあった。ドラマではしばしば,生死に関わる場面で象徴的に使われるモニタに,今は自分がつながれている。自分の生命活動が,リアルタイムで数字と波形で表されるのは,妙な気分だ。
そっくりといえば,救急車のストレッチャーから病院のベッドに移されるとき,ドラマではよく,みんなで「イチッ・ニッ・サンッ」とか掛け声をかけてやるので,ちょっと期待していたのだが,残念ながら現実に待っていたのは,「ハイ,起き上がって自分で移動してくださいね」という年輩看護師さんの冷やかな指示だった。どうやらあれは,よほど状態の悪い患者にしかやらないらしい。がっかり。
しかも看護師さん,「ゆっくりでいいですからね」と言ったそばから,次は右足をどーの,次はお尻をこーの,次々に指示を出してくる。きっと,意識がおぼつかないような患者でも間違えないように,という配慮からなのだろうが,どう聞いても「ぐずぐずするな!」とせき立てられている。なんだかいや~な予感。
まあ,TVドラマのように,若くてきれいな看護師さんがとびきり優しく接してくれる…なんていう展開を望むのはぜいたくというものだ。(ざっとまわりを眺めてみても,看護師さんたちの平均年齢はだいぶ高めに見えた。) にしても,である。その年輩看護師さん,最初の予感どおり,ちょっと強烈な人なのであった。
(エピソードその1)
私を担当してくれた医師は,俳優の八嶋智人さんと民主党政権のときの国家戦略室長だった古川元久さんを混ぜたような顔立ちの(声は古川さんの低音)若い人で,診察した彼の指示で,X線写真を撮ることになった。車椅子に移って,年輩看護師さんとともに検査室に向かう。エレベータに乗り,長い長い廊下をたどって検査室へ。
日曜のせいか,病院は静まりかえっている。誰もいない薄暗い廊下(節電しているのだろう)。看護師さんは,ひとこともしゃべらない。もちろん私も。
思えば,この頃が痛みのピークだった。車椅子への移動で体を動かしたことも手伝ってか,気分は最悪。そこへもってきてこの静寂。私ひとりなら一日中無言でも平気なのだが,ここは初対面の人と2人きりの状況なのだ。息がつまる。
「どうも,痛みがだんだんひどくなってきている感じがしますね…。」
思わずそんな言葉が口からこぼれ出た。言ったところでどうなるわけでもない,どうでもいいひとりごとである。ただ間が持たなかったのだ。
ところが,看護師さんから返ってきたのは,こんな言葉だった。(なるべくキリッとした早口で事務的に読んでください)
「先生が診察して病名がわからないうちはねッ,痛み止めは出せないんですよッ。」
そりゃそうなのだが。
なんだか,受けとってくれ~と思って投げたボールを,思い切りバットで打ち返された気分。カッキ~ン!
悪いが,その程度の知識はある。べつに痛みをなんとかしろとは言っていないだろう。自分としてはごく冷静に今の状況を申告したつもりだった。というか,ただの会話のきっかけだ。まさかこの状況で,「今日も暑いですねえ」などと切り出すわけにはいくまい。なのに…。
昔,看護師さんたち対象の授業を担当したときのことを,ふと思い出していた。科目名は「教育心理」なのだけれど,ノルマは早々に終えて,後半はカウンセリングっぽい話をした。事例を使って患者への応対を考えてもらうのだが,その中にひとつ,なかなか正解(カウンセリング的に正解,という意味だが)にたどり着かない事例があった。もしやと思って,その場面をどう理解しているかを質問してみると,案の定,ズレている。それで,
「この患者さんは,ただ弱音を吐きたいんだと思いますよ」
と私の解釈を話したら,みんな一斉にうなずいてくれて,そこから先は早かった。
その事例に出てくる入院患者の場合,ふだんの治療態度や家族への応対と比べて落差が大きく,一見するとその日はひどく落ち込んでいて,励ましてあげたくなるところなのだが,よく見てみると,どうもふだんの態度の方が嘘くさい。がんばりすぎている。病状の深刻さから見ても,むしろ落ち込むのが自然なくらいだ。そんな人が,この日は看護師に弱みを見せているのだ。
つまり,正確な情報を得たいわけでも,励ましてもらいたいわけでもなく,ただ気丈に振る舞ってきた分,人に言えない泣き言を,事情をよく知っている看護師さんに聞いてもらいたいだけなのだろう,という解釈である。
そんなときは,患者の「弱音を吐ける自分」をしっかり受けとめて,いっしょに落ち込んであげればいいのでは,と言ったら,なぜか受講生の看護師さんたちにすごく喜ばれたのだった。
そのときの「弱音を吐きたい」というフレーズが,頭の中をぐるぐる回っていた。この人は「弱音を吐ける相手」ではない。この最初の会話で,そのことを思い知らされた。そして同時に,もうこの人には何も語るまい,と私は心に誓ったのであった。
(エピソードその2)
さて,そうこうするうちに検査室に着いた。若い検査技師さんが,これからいろいろな姿勢で写真を撮らせてもらうので,苦しいが少しの間ガマンしてくれ,と説明してくれる。すると看護師さん,すかさず続けて,
「吐き気はありませんか? あったらいつでも言ってくださいね。」
なぁんだ,優しいとこあるじゃん,とほんの一瞬見直したのだが…。
横になって撮影しているうちはよかったのだが,立ちあがったら急にこみ上げてきた。あわてて「吐き気がする」と申告したら,そのとたん看護師さんの態度が一変(…したように見えた… 看護師さんは後ろに控えているので,表情はまったく見えない)。まずは,しばし無言。時間にすればほんの数秒だろうが,その数秒がコワかった。そしてさもめんどくさそうに,
「○○さん,ここになんとかセットある?」
と技師さんに聞いた。あれあれ,これから探すんですか? 「いつでも言ってください」って,すぐに対応できるって意味ではなかったんですか。それともあれは,看護師ぎょーかい伝統の社交辞令かなんかですか。「いつでもお立ち寄りください」というお誘いを真に受けて行ったら迷惑がられる,みたいな。
う~む。なんとかセットの到着を待って我慢しているうちに,吐き気はすっかり引っ込んでしまった。若い技師さん,自分のテリトリーだからなのか立場が弱いのか,サササッと動いてなんとかセットを用意してくれたのだが,申し訳ないことをした。(せっかくなので,いちおう使う努力はさせていただきました)
エピソードはまだまだ続く。というか,その看護師さんとのやりとりすべてがエピソードになっているのだ。まったく。
(エピソードその3)
検査から戻ってきた。検査結果のX線写真を見ていた例の八嶋医師が,おなかのあちこちを押して痛みを確かめ始めた。しかし,もう右腹全体がしびれていて,どこを押してもおんなじ。どうにも反応の返しようがなかった。やがて医師は,らちがあかないとあきらめたのか力を緩めて,「楽にしていいですよ」と声をかけて来たので,私もいつのまにか体のあちこちに入っていた緊張をふっと緩めた。その瞬間である。
一瞬,何が起こったのか理解できなかった。後ろにいた看護師さんが,いきなり私のおなかのある部位を叩いてきたのである。まったくの不意打ち。しかも力を緩めた瞬間をねらっての,プロの犯行だ。あまりの痛さに,私は文字通りそこに崩れ落ち,うずくまったまましばらく動けなかった。
そんな私に対して,看護師さんは勝ち誇ったように吐き捨てた。
「あ,やっぱりここが痛いのね。」
ひ,ひきょうものぉぉ。予告もなく後ろから襲うとは,武士の風上にも置けぬヤツだ。世が世なら仇討ちものだぞ…。
とはいえ,それが診断の決定打だったらしく,すぐに追加の検査をひとつやることになった。結果はまもなく出て,戻ってくるなり年輩看護師さん,八嶋医師に向かって「ビンゴ!」とつぶやく。いちおう患者に聞こえないように小声を装ってはいたが,その口調はあくまで明るく,2人でハイタッチでもしかねない勢いだった。「どうです,私が見つけたんですよ」的な。
(エピソードその4)
そんなこんなで無事(?)診断が出たので,ようやく薬局に連絡がいき,すぐに鎮痛薬が届いた。看護師さんが座薬を入れてくれる。あれ? と思ったのはそのときだ。処方された座薬と錠剤の使い方について説明し終えた看護師さんは,最後こう締めくくったのだ。「あとはもう,いつでも帰ってけっこうですよ」と。実際,指につけていた心拍のセンサもはずされ,モニタも切られた。
どうも彼女は,薬を入れたらすぐに痛みが止まり,スタスタ歩いて帰れるようになると思っているらしい。そんなものなのか,ふつうは? 他の人がどうなのかはわからない。しかし私の場合,いくら待っても痛みはいっこうに引かなかった。歩くどころか,ベッドの上で1分ごとに姿勢を変えながら,なんとか痛みをやわらげるのにせいいっぱいだった。
少したって,八嶋医師が聞いてきた。「いちばん痛みが強かったときを10とすると,今の痛みはどれくらいですか?」 いわゆる痛みの主観的評定というヤツだ。とっさに基準について考えた。いちばんひどかったのはさっきの検査の前後なので,これが10。もうひとつくらい中間の基準があった方がいい。今朝救急車に乗り込んだあたり,つまり痛みはあったがなんとか歩けた頃を6としよう。今はその中間,8といったところか。そう返事したら,追加で錠剤を飲むことになった。
さてこのころから,例の年輩看護師さん,露骨に私を追い出しにかかるようになった。どうも私は,大げさに騒いでベッドを不当に占拠しているニセ患者とでも思われているらしい。他のスタッフとの会話から,ちらちらと,聞こえよがしの嫌味が聞こえてくる。
「あそこ,もう治療は終わったんだけどねえ。どうなってんだか…。」
「もうすぐひとつベッド空きそうなんですけどねえ…。」
ただ,これは気持ちはわかる。どうやら現在は満床のようで,救急受け入れを断るのを聞いていたからだ。早くベッドを空けて新患を受け入れたい。その気持ちは私もまったくいっしょなのだが,いかんせん足に力が入らない。
またしばらくして,八嶋医師が主観的痛み評定を聞いてきた。
「う~ん,7か…やっぱり8かなあ。ちょっと下がった気もするけれど,まだかなり痛いのは痛いです。」
すると看護師さん,いきなり割り込んでくる。
「そんなことはないでしょうっ! さっきは体が動いてましたけど,今は動いてないから,痛みが8なんてことはないはず。せいぜい6か7でしょうっ!!」
敵はあくまで理詰めだ。いいかげん崩壊しつつある患者の頭には,それはよけいにこたえる。なにしろ,おっしゃるとおりなのだ。反論のしようもない。自分の頭がいかに冷静さを欠いているかを思い知らされて,落ち込むばかりだ。
あまり動くと危険だといわれて(ベッド幅が狭いからだろう)極力我慢したという事情もあるにはあるが,たしかに冷静に考えれば,姿勢を変えたくなるまでの時間は着実に延びてきている。
だが,そうはいってもねえ。冷静な頭に戻った今だから言わせてもらうが,主観的評定というのはそもそもそういうものだろう。客観的に見てわかるのなら,わざわざ冷静な頭を失った患者になんか聞くなって話だ。いちいち評定にケチをつけられては,だれも自分の気持ちを表そうとはしなくなるだろう。
まったく,つくづくコミュニケーションを拒否する人だ。
ありがたいことに,八嶋医師の判断は「さらに点滴を入れる」だった。私の主観的評定を信用してくれたのだろう。そして点滴。一度片づけた心拍のモニタに再び電源が入れられ,指にセンサが装着された。そして,座薬+錠剤+点滴とフルコースの処置のおかげで,どうやらやっと落ち着いてきたのだった。
ちなみに,点滴の針を腕に刺すとき,例の年輩看護師さんが「ちょっとチクッとしますよ」と声をかけてきた。まあ,ただの決まり文句なのだが…。何か悪い冗談かと思った。私はあなたのコトバにもう何度もチクチクされているのですけれども…。
点滴が終了し,八嶋医師の質問にも「今は5から4ぐらいに下がっています」と答えて,ベッドから起き上がった。痛み止めで抑えているとき特有のくぐもった痛みはあるが,まあふつうに歩ける。よかった。これでやっと大事なベッドを空けることができるし,あの年輩看護師さんとの絶望的なやりとりからも解放される。
会計で今後の手続きについて説明を受け,外に出た。院内は寒いくらいに冷房が効いていたが,さすがに外は真夏だった。日の光を浴びたとたんにめまいがした。いったいどれくらい時間がたったのだろうと左手を見て,時計を忘れてきたことに気がついた。運び込まれて早々に,治療のじゃまになるからとはずされたのだった。救急外来へは外からは戻れないようになっていたので,受付の人に頼んで探してもらった。
少しの間外で待っていたら,入口のドアが開いた。例の看護師さんとは違う人だ。その人は,腕時計を私に手渡しながら,「顔色がだいぶ悪いようですが,大丈夫ですか? 歩けますか? おだいじにしてくださいね。」と声をかけてくれた。
そうなのだ。私はれっきとした患者だったのだ。顔色が悪くて,足もともちょっとふらつくくらいの。例の看護師さんにはなぜかニセ患者扱いされていたけれど…。そう確認できて,あらためて時計を確認したら11時過ぎ。長い長い,夏の午前中だった。
それが,この夏のできごとだ。