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2014.07.09.
1956年,山形県生まれ。蔵王の山ふところで高校までを過ごした。
その後,筑波大学第二学群人間学類(2007年に改組されて,現在は人間学群心理学類)・同大学院心理学研究科(2001年に改組されて,現在は人間総合科学研究科)を経て上越教育大学(新潟県上越市)へ。筑波も上越も設置されてまもなくだったので,ずっと工事現場の土ぼこりと騒音の中で生活してきた気がする…。唯一よかったことは,学生宿舎・アパート(今まで5回引っ越した)がいずれも新築だったこと。
大学・大学院を通じて,児童心理学研究室に籍を置いていた。だから,考え方はけっこう発達的だったりする。動機づけの分野は教育心理学・社会心理学・発達心理学などの境界領域だ。
コンピュータとの出会いは,大学4年のとき生理心理実験室に導入されたCOMPO-80BS。その前身であるワンボードマイコンTK-80だったらおそらく手が出なかっただろうが,COMPOにはフルキーボードとBASICインタープリータがついていた。雑誌に載っていたTiny BASIC用のスタートレックのプログラムを,意味もわからず必死に打ちこみましたね。当時はたしか配列変数が1個しか使えなかったので,いろいろな変数を配列から読み書きするテクニックは,ちょっと芸術的だった。それは,その後メモリの使い方におおいに参考になった。
当時コンピュータといえばほとんど実験制御用だったので,あんまり厳密な実験をやらない児童心理では,コンピュータを導入するなんて考えられなかったが,幸い指導教官に理解があり,ポンと買っていただいたのがPC-8001。ほどなく,統計解析用として,コンピュータは欠かせないものになっていった。
以来,ずっとNEC98シリーズを使いつづけている。大学のネットワーク端末もNECだったのでラッキーだったが,ちょっと偏食が強すぎるかもしれない。他の機種についてはからっきしわからない。
昔,大学の「情報処理」の授業といったら,ひたすらFORTRANのプログラム作りだった。コンピュータを使うことは,すなわち自分で必要なプログラムを書くということであったのだ。それはパソコンでもまったく同じ状況で,実験を制御したいと思えばまずアセンブラでプログラムを書き,データ解析をしなければならないと思ったら,BASICで処理プログラムを作らないといけなかった。ほとんど泥縄。必要になってからプログラムを書き始める。今のように各種アプリケーション・ソフトが豊富に,そして高機能に利用できる状況ではなかったので,それはしかたのない手順ではあった。
昔の市販ソフトの持つもうひとつの問題は,ひとり一人のユーザが使いやすいように「カスタマイズできる」という発想が乏しかったことだ。ユーザは基本的に,ソフト側が要求する操作方法に合わせ,それに慣れるしかなかったのだ。「使いにくいところは,随時使いやすくなるようにプログラムを修正する」という,プログラミングの癖がついていた身には,この融通の利かなさはひじょうに苦痛であり,市販ソフトは,いつまでたっても自分からは遠い存在であった。
で,そのギャップを埋めてくれる存在が,パソコン通信隆盛時代に急速に広まったフリーウエアやシェアウエアだ。これは,機能がシンプルに絞り込まれているので,自分のやりたいことに合わせて,また自分の操作感に近いものを,自由に選ぶことができる。カスタマイズという発想も比較的早くから取り入れられていて,自分の操作感に合わせてソフトを「手なずける」こともできるし,いろいろなソフトどうしで操作の共通化を図ることも容易だ。
そんなわけで,私のマシンでは,今もたくさんのフリーウエア・シェアウエアが活躍している。その多くは,MS-DOSやWindows3.1時代からバージョンアップを繰り返して,長くつきあっているソフトたちだ。ものによっては少々古くなってしまったのもあるので,他人にオススメするわけではないが,たとえばこんなものたちがいる。