記録編 ピッツバーグ 2/4
ピッツバーグの社会科教育
Social Studies in Pittsburgh
上越教育大学・院 言語系
(上越市立城北中学校) 姉崎達夫
○多文化国家…コロンブス以降
 コロンブスが来た1492年以降、ヨーロッパのさまざまな国から探検家がやってきた。当時の東海岸をサウス、ミドルアトランティック、ニューイングランドという3つの地域に分けて、教育はどう築き上げられたか考えたい。まずサウス(現在のバージニア、メリーランド、カロライナ)を見ると、バージニアに入ってきたのは経済的な理由からの移民だった。彼らはイギリスでの土地の所有や仕事のやり方をそのままアメリカでも続けたいと考えた。そして労働力が必要になり、アフリカから奴隷を連れてきたのである。このことが一層の多様性を我が国にもたらした。次にミドルアトランティック(現在のペンシルバニア、ニュージャージー、ニューヨーク)にはヨーロッパのさまざまな地域から人々がやってきた。彼らはクェーカー教徒、ルーテル派、プレスィビテリアン、カトリック教徒などさまざまな宗教的背景をもった人たちだった。学校に関しても教会が経営するものや仕事を教えるものなどいろいろなものがあった。もう一つニューイングランドに関して、現在のマサチューセッツを例に挙げてみる。この地域には、「教育とは責任ある子供になるよう支援するものだ」という考えがあった。清教徒にとって教育とは、聖書を読むために読み方を教えるものだった。マサチューセッツの教育の歴史は公教育のモデルになったという点で大変重要である。1642年に「州は子供の教育に責任がある」と規定した最初の法律が成立した。数年後には、学校を建てたり教師を雇ったり施設を整えたりするために、税金を納めさせるという法律が成立した。教育を地方の権限とする、現在と同じような制度が約350年前に成立していたわけである。
 基本的には特定の分野には国家的な権限がある。例えば、特別な教育が必要な生徒に対して特別教育を行わなければならないという政府の権限である。今までにも国家の標準は示され推奨されてきている。例えば1892年には10人委員会が設置されて、高校において一週間にどの教科が何時間教えられればよいかガイドラインを示した。また、わずか数年前から国家の標準を強調するようになってきた。とは言っても、やはり教育の権限は地方レベルにある。
○日本の教育制度との違いも歴史的な経緯から
 次に日本とアメリカ合衆国の制度を比較してみたい。まず、小中高の制度や教科、教室、児童生徒の様子などは共通している。逆に相違点としては、非常に多様な生徒がいるために多様な教科が提供されている点があげられる。才能のある生徒には特別な教育を与えるというのがアメリカ合衆国の考え方である。数学に秀でた生徒には大学の授業をとることができるよう配慮したり、授業が分からない生徒にはレベルにあった授業を提供する。これに対して、日本では共通のカリキュラムが定められている。このような違いは、歴史的な経緯が日本とアメリカ合衆国で異なっているためであろう。