多くの教科書では,半具体物の操作と数の操作をつなげるために,お話の型やさくらんぼ図を紹介している。また,小学校の先生方によって,お話の型を提示して唱えさせる実践や,子どもに自由に語らせる実践が行われている。しかし,なぜ「話すこと」がよいのか説明しているものはほとんどなく,両者の違いも明確ではない。また,筆者自身,型を用いたお話による実践を試みた結果,提示したお話の型が効果的に働かない子どもがいた。
本研究では,「話すこと」が,半具体物の操作から数の操作への移行において,どのような役割を果たすのかを明らかにするとともに,その知見に基づき,半具体物の操作から数の操作への移行のよりよい支援のあり方を探ることを目的とした。
2. 本研究の概要
第1章では,10を一つのまとまりとして見たり,ばらしたりして見る考え方が十進法の構造において重要であること,一方で,10を一つのまとまりと見たり,分解したりするという考え方には難しさがあることを示した。加えて,半具体物の操作から数の操作への移行において,具体と抽象の中間に位置する「ことば」や「図式化」が重要な役割を果たすことも示した。
第2章では,「話すこと」の役割について知見を得るため,ヴィゴツキー著『思考と言語』『子どもの知的発達と教授』を検討した。そして,ヴィゴツキー理論より,「自覚と制御」,「自己中心的ことば」「機能的側面におけるより高いタイプの一般化への移行」という研究の枠組みを得,本研究の可能性を次のように指摘した。(尚,本研究では,藤岡ら(2001)を参考にし,ピアジェ理論による「自己中心的言語」と区別する為に,「自己中心的ことば」にプライベートスピーチという用語を用いた。(藤岡, 2001))
半具体物の操作過程を実況中継するように自由に話す方法をとったりおは,次のような理解の進展の様相を示した。
初期のりおは,ブロックを動かした結果に注意が向けられていたが,操作過程には向けられていなかった。ブロックをどのように操作しているかを実況中継するように話すことを促すことで,ブロックの操作過程を自覚し,さくらんぼ図での数の操作が,不適切な手続きから,意味を伴ったものへと変容した。その後,操作過程を語るようなプライベートスピーチによって,自分の思考や行動を制御しながら,さくらんぼ図を書き進めるようになっていった。さらには,プライベートスピーチが内言となり,さくらんぼ図の機能は,より高いタイプの一般化へと移行した。
一方,剛は,提示したお話の型がもつ幾つかの問題点により,ブロックの操作過程とお話が結びつきにくかった。そのため,どのようにブロックを操作しているかを自覚することが阻害された。さくらんぼ図の書き方は,ブロックの操作とは分離して,手続き的に記憶されることとなり,結果的に,思い通りに数を合成・分解できるようにはならず,数え足しに戻ってしまった。
このような両者の違いを比較することにより,自分がどのように操作しているか操作過程を自覚すること,また,プライベートスピーチによって,自分の思考や行動を制御していくことが,半具体物の操作から数の操作への移行において,重要であるという知見を得た。
3. 今後の課題
本研究の調査は,抽出児2名に対して,個別に行った調査である。このプライベートスピーチを通常の授業の中にどのように取り入れ,展開していくかを考え,実践し,その有効性をさらに明らかにしていくことが今後の課題である。
また,本研究は,ヴィゴツキー理論を基礎に置いているので,学年を越えて,具体物や半具体物の操作から抽象的な知識へ移行する学習へ適用できるよう検討していきたい。
4. 主な参考文献
指導 布川和彦