2. 論文の概要
第1章ではまず,Bell,Balacheff,Hanna,國本の主張を取り上げ,証明の持つ意
味や機能を整理し,学級の合意作りとしての証明指導を行うことの意義について考察
した。特に,Bellは,コミュニティーの合意を作り上げる公の活動が証明の本質であ
ることを主張しており,さらに,Balacheffも証明は本質的に社会的なものであると
とらえている。これらの主張から,学級の合意作りとしての証明もこれらの証明のよ
り本質的な見方と整合するものであることを示した。このように証明を社会的なもの
とみた場合,証明はBalacheffが規定する「説明」や「証明」のように,自由な形式
を認めることとなり,これまで証明に取り組めなかった生徒が証明に取り組むことが
期待できる。次に,数学の哲学の変遷を概観し,学級の合意作りとしての証明が,準
経験主義の立場と整合し,現在の数学哲学とも両立しうることを示した。以上まとめ
ると,学級の合意作りとしての証明指導の意義は次の2つである。(i)これまでの証明
に取り組めなかった生徒が証明に取り組むようになるとする教育的な意義。(ii)数学者
の実際の活動を反映した数学の創造的な活動を生徒たちが行えるとする数学的な意
義。
第2章では,Balacheffの証明の社会的機能を引き出す研究と,Chazanの準経験主
義に基づく図形指導の研究を取り上げた。そして,学級の合意作りとしての証明指導
を実現するための具体的な方法について考察した。その結果,Balacheffの研究から
は,証明が学級の「コミュニケーションの道具」として機能する過程が「真の証明の
過程」であり,その「真の証明の過程」を学級に生じさせるためには,生徒に主張の
妥当性の判断を委任することが必要であることが示唆された。またChazanの研究から
は,学級の合意作りとしての証明指導を実現するために,演繹的証明に特有な形式で
はなく,生徒自身の言葉で説明するよう教師が促すことなどが重要であることが示唆
された。
第3章では,これまで得られた指導への示唆に基づいて,「円周角の定理」を題材
に,学級の合意作りとして2回の実験授業を実施した。1回目の実験授業では,教師
が議論を促そうと努める一方で,生徒に円周角の定理に気付かせようとする必然的な
教師の介入が,学級の合意作りを阻害していることがプロトコル分析から明らかにな
った。2回目の実験授業では,この1回目の実験授業の反省から,教師の教材の指導
者としての立場を抑制するために,班毎に解法を学級に提示させ,その解法の妥当性
について議論する状況を設定した。その結果,学級の合意作りを阻害する教師の介入
が改善され,生徒たちの議論の仕方に変容がみられた。例えば,班の解法の提出の仕
方に変化がみられた。はじめの解法の提出の仕方は,作った解法を一気に読み上げる
ものであったが,最後の解法の提案者は,他の生徒が解法を理解できたか確認しなが
ら解法を提示していた。この変化には教師の介入が影響していることがプロトコル分
析から明らかになった。教師は,はじめの班の提案者の解法の提示をさえぎり,そこ
までの解法が理解できるかを他の生徒に尋ねた。「うなずく」ことで解法に合意を示
した生徒に,さらに教師は,自分の言葉で説明し直すことを指示した。これらの介入
によって教師は,解法の過程を検討することがこの議論では重要であることを示唆し
ようとした。また,常に教師は,提示された解法には,一切の妥当性の判断を行わ
ず,すべて生徒たちに判断することを促した。その結果,この最後の解法の提案者
は,他の生徒が解法を理解できたか確認しながら解法を提示した。これは,生徒自身
で解法の過程が妥当であるかを判断していこうとするものであり,これまでの教師の
介入の意図を反映したものであった。また,教師が一切の妥当性を与えなくとも,議
論において提案者を孤立させることがなかったのは,班で解法を見いださせたという
「状況設定」があったからである。この状況設定なくして,主張の妥当性の判断を一
切行わないという教師の介入は効果を発揮しえなかったということが分析の結果明ら
かになった。以上のことから,学級の合意作りとしての証明指導を実現するために
は,主張の妥当性の判断を行わない「教師の介入」とそれを可能にする「状況設定」
が必要であることが示された。
指導 手島勝朗、岩崎 浩