Reflections on the Status and Nature of Visual Reasoning:
The Case of the Matches

by R. Hershkowitz, A. Arcavi, & M. Bruckheimer
(International Journal Of Mathematical Education In Science And Technology, 32 (2), 255-265. 2001年)


 この論文は、ある問題に対して見られた多様な解決の仕方を分析し、その中から視覚化 (visualization) の果たす役割やその性格について考察を加えている。また、視覚化が容易な場面を文字式の学習の最初に利用することについても言及している。

 論文では次のような問題について考えられている;「次のようなn×nの格子を作るのに、マッチ棒は何本必要か?(図省略)」。例えば、2×2の格子なら12本のマッチが必要となる。観察、規則性の理解、上手な数え方の発見、一般化とその文字式による記録といった活動が含まれるので、彼らは現職教員のコースにとって適当であると考え、いくつかの国の教師向けコースでこの問題を用いたようである(謝辞を見ると、実施された国は、ブラジル、スペイン、オーストラリア、南アフリカ、チリ、イスラエルと思われる)。

 この問題に対して出された解決の仕方として、以下のようなものが考察されている。

(1) 数値的にパタンを見つける
 1×1のとき、2×2のとき、・・・とそれぞれの場合に必要なマッチ棒を求めて表にまとめる。階差数列を作って4+8+・・・+4nの式に至った者いたが、他の多くは成功しなかった。

(2) 1つの正方形からの分解
 隅にある1つの正方形をまずとり、次にその横と下に並ぶ部分をU字(3本のマッチ)のパタンで捉え、最後に残りの部分をL字(2本のマッチ)のパタンで捉えるもの。結果として、4+2×3(n−1)+2(n−1)(n−1) となる。分解は3つの異なる単位で導かれている。再構成は、類似の単位に現れる個数をかけることと、3つの部分和を加えて全体を再現することからなる。また別の解決者は、1×1の特殊な場合を考え、それを元に2×2、3×3、・・・と拡大していく中で、上のような単位を作っていた。

(3) 大局的なパタンの知覚
 格子全体の隣り合う2辺(例えば左端の1列と下端の1列)をはずし、残りをL(あるいはその裏返し)の集まりを見る。Lの部分がn2個あるので、2n2+2nとなる。少ない単位が用いられ、結果として全体のプロセスや文字式が簡単になっている。

(4) たて糸と横糸
 たてに並ぶマッチを見るとどの列もn本であり、それがn+1列ある。横のマッチも同様であるから、2n(n+1)となる。今回の調査では、これが最もポピュラーならやり方であった。彼らはこのやり方について、単位を1本のマッチと考え、全体を同一単位の「集まり (conglomerate)」に分解したとし、それが全体構造の大局的な一般化になったとしている(1列の「集まり」を単位として見てはいけないか、という疑問が残るところである)。
 (2)〜(4)を比べて、単位が単純であるほど全体の分解も単純になり、数え方はより大局的で統一的なものとなる、としている(これも、(4)の単位の解釈による部分はあろう)。

(5) 「揺さぶって数える」
 タイトルは、ある解決者が「全体の構成を揺さぶったら、n2個の小さい正方形になるのがイメージされた」と述べたことに依っている。その解決者は4n2 とした後、内部のマッチ棒を(4)と同様のやり方で数え、4n2 −2n(n−1)としている。別の解決者は、格子の周囲のマッチ棒分を加え、全マッチが2回ずつ数えられるようにした後、それを2で割ることで、(4n2+4n)/2を得ている。ここでの単位である1×1正方形は、1本のマッチほど単純ではないが、構造全体に見いだせる大局的なものである。

(6) 交点
 これは、4本のマッチが交わる交点に着目したものであり、マッチを並べた図では隙間になるので、はっきりとは「存在」しない単位だとしている。格子の外側に適当にマッチを加える((n+1)本×4カ所)ことで、周囲にある交点についても4本が交わるようにする。交点は(n+1)2個あるので、元もとの格子に必要なマッチ棒は、(4(n+1)2−4(n+1))/2となる。ここでは解決者は、交点という全体に見出しうる単位を特定したことから、補助的構成を行って大局的パタンが見えるようにしている。

(7)「カット・アンド・ペースト」
 格子全体である正方形を1つの対角線で切って2つの同じ三角形状に分ける。1つの "三角形" に着目すると、水平方向に並ぶマッチがn段あって、その本数は上から1、2、・・・、nとなる。縦に並ぶマッチもn列あって、その本数は1、2、・・・、nとなる。こうした三角形が2つできていたので、2×2(1+2+・・・+n)となる。Hershkowitz氏らはこの考え方について、「最も単純な単位 [おそらく1本のマッチ棒; 引用者] に分解することが、(全体構造に対する)大局的で視覚的なアクションと一緒に行われ、数えやすい新たな結果を生みだしている」と考察を加えている。

(8) 対角線化
 格子の中の各1×1正方形について、右上から左下へ向かう対角線を引いたとする。格子の左上半分はこれらの対角線によりn段に分けられる。この1段目には2×1本のマッチがあり、2段目には2×2本のマッチが、・・・、n段目には2×n本がある。つまり、格子の左上半分には2(1+2+・・・+n)本のマッチがある。格子全体では2×2(1+2+・・・+n)本となる。ここでは補助的構成が(6)とは異なる役割を果たしている。補助的構成は現れるパタンを認識しやすくし、数えるのを体系化するような視覚的手助けとなっているが、それ自身は数えられるものではない。この事例の示唆することとしてHershkowitz氏らは、「視覚化は単に現存する(あるいは加えうる)要素の分解と構成にとどまらない。視覚的手がかりをより明らかにし、考え方を示唆するように場面を再配列し、変形し、再提出するような、外的要素を導入することも含むのである」としている。

(9) 文字式からの出発
 (4)で解いたある解決者は、その結果である2n(n+1)から1+2+・・・+nの和の公式を思い出し、2n(n+1)=4×((n(n+1))/2)と考えて、1+2+・・・+nとなるパタンを見出すという目的を持って図を眺めた。それにより図の新たな分解を見出している(4つの階段の組み合わせ)。つまり、「視覚的推論が文字式によりガイドされ、インスピレーションを与えられ、支えられ」ている。

  以上の事例から、Hershkowitz氏らは以下のようなポイントを引き出している。

 こうした考察を経て、彼らはマッチ棒問題が、文字式の初期の学習に視覚化を取り入れるのを可能にする問題と考え、文字式学習以前の、あるいは初期の学習をしているいくつかのクラスでマッチ棒問題を実施している。生徒は4〜6名のグループに分かれて作業し、2つ以上の解法を見出すことと、解決過程についてのグループのレポートを書くよう促された。授業の半分を過ぎる頃から、視覚的なアプローチを用いて3〜4個の解法が見られ、文字式にまとめた後では、具体的なnの値について、具体例を数えた結果と式に値を代入した結果が同じになるかをチェックしていた。クラス全体の話し合いでは、自分たちの文字式が正しいことを示そうとした。様々な式が出てくるので、それらの式の相等性についての疑問が生徒から出されたと、Hershkowitz氏らは報告している。この疑問に対して見られた反応として以下のものがあげられている。
 こうした考察を踏まえて、次のような点が結論の中で述べられている;(1) 上のような活動を数学的文化化 (mathematical enculturation) の一部としてカリキュラムの早い時期から取り入れ、視覚的推論への拒否反応を起こすことを避け、視覚的推論と記号的推論の双方を促し、またそれらの相互作用を促すこと;(2) 異なったやり方が記号的結果の同値性を探求する動機となり得て、記号操作の規則の学習をより有意味で目的的なものとできること。

 論文の最後に述べられている、文字式の導入においてマッチ棒の問題のようなものを使うことは、我が国では比較的多く行われているように思えるが、逆に言えば、我が国における数学の授業を行う上での知恵を大切に見直すことをこの論文を示唆しているとも言えよう。また、そうした場面が利用されながらも、すぐに「n個のときのマッチ棒の本数は?」といった文字式への以降が急がれ、Hershkowitz氏らが述べているような、式の同等性から式変形を考えるといった面や、文字式と視覚的推論との相互作用といった点が見落とされていることもしばしばであろう。文字式の初期の学習で生徒が直面する困難について、マッチ棒の問題のような場面がどのような役割を果たしうるか、またそのためにどのような活動が必要かについては、考えていかなければならない点も多いと思われる(例えば、谷沢 (2001) を参照されたい)。

 論文のタイトルにも出てくる視覚的推論についても、個々の解答に見られる視覚的推論はすでに気づかれているものが多いように思うが、それらを統一的に捉えて、視覚化も「一般的でフォーマルな解法に至るような、分析的過程そのものになりうる」(p. 262) と述べたことは興味深い。このことは、図による表現を直観的として分析的な推論と対立させるような単純な議論を避けることにも通ずるし、また、図の利用において解決者がいろいろと考えていかねばならない部分のあることを再確認させてくれる(こうした部分については、廣井 (2001)、あるいは布川 (2000)を参照されたい)。

参考文献


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