Working Knowledge: Mathematics In Use

by R. Noss, C. Hoyles, & S. Pozzi
(In A. Besssot & J. Ridgway (Eds.), Education for mathematics in the workplace (pp. 17-35). Kluwer. 2000年)


 本稿は、3つの職業における数学の利用について調べたNoss氏らのプロジェクトを紹介したものである。

 論文の冒頭では、知識が職場の活動を形作る同時に、知識は職場により形作られるといった様子が、近年のいくつかの研究から明らかにされてきたことに触れるとともに、職場での数学に関わる研究として、大きく2つの流れを取りあげている。1つは状況的認知に基づく研究であり、もう1つはカリキュラム改革を視野に入れて職場でのニーズを調べる政策志向的な研究である。いずれも、数と計算、幾何学的パタン、文字式などの内容が文化的に規定される側面に目を向けており、前者では、一般的なやり方としてとらえることよりもある状況の中での諸断片として数学を特徴づけることとなり、結果として、利用される数学が持つ豊かさが見落とされがちになる。後者では、学校数学の内容をもとにとらえようとすることで、職場における目に見える (visible) 数学のみが取りあげられ、結果的に、あま数学が使われていないと考えられたり、仕事の実践の細かい点を引き出すことができなかったりしている。Noss氏らはここで、数学的な構造に重点を置くという立場を表明している。これは、NCTMのハンドブック (1992年) にNunes氏が述べている、「現実の数学化」についての以下のような特徴に基づいている。

  1. 表された現実についてのさらなる知識が、心的表象を用いて生成されうる
  2. この新たな知識を確かめるために、現実を操作する必要がない
こうした推論を可能にしているのが数学的構造なのである。これに着目することで、職場ごとの文化による内容の違いだけでなく、それらに不変 (invariant) にみられるものを、とらえようとしている。また、彼らが、子どもの発達させる数学的意味がツールや言語によりどのように形成されたり制約を受けたりするかをとらえるために導入した、状況的抽象 (situated abstraction) という考えに触れ、状況的抽象について状況に埋め込まれているものが一体何なのかを、さらに考えていきたいとしている。職場という文脈で調査を行うことは、これを考えるのに適当とされている。

 職業としては、銀行員、小児科の看護婦、パイロットが選ばれているが、これらは数学が要求され、訓練プログラムにも取り入れられている職であり、またミスが許されない活動において数学が関与するものでもある。調査の最初の目標は、実践的知識、専門的知識、数学的知識の間の関係や、仕事においてこれらのリソースがどのように一緒に、あるいは別々に用いられるのかを調べることであった。しかし、その目標は、2つの段階にわたる一連の問いを定式化する形で、精緻化されていった。

 こうした問いを調べるために、彼らは多様なデータを収集している。
  1. 教授用テキストの分析
  2. 上級スタッフへのインタビュー
  3. 調査に協力してくれるボランティアへのインタビュー(協力者は全て2年以上の経験を持つ人とする)
  4. 職場でのエスノグラフィー的観察
  5. シミュレーション・インタビュー(ありがちな状況やあまり出会ったことがないであろう状況などのシナリオを提供し、推論の仕方や関連する数学の用いられ方を調べる)
  6. 質問紙
  7. 教授実験(モデルを考える助けになるようなソフトウェアを活用した教授実験)
 彼らは最初のとっかかりとしては、テキストの分析や上級スタッフとのインタビューから、やはり目に見える (visible) 数学を取り出しているが、これが職業の中に位置づけられた数学の「不完全な」マップしか与えないことは意識している。ここでの目に見える数学とは、学校数学に見られるような記号や表象の使い方(数、グラフ、表、縮尺、文字式、幾何の図など)、および学校数学に見られるような概念ややり方の利用を指しているが、調査者にとって目に見えるものであり、実践者が同じように認めているかはわからない(実践者がどのように捉えているかは、一つの問いとして述べられている)。

 テキストの分析から見出されたことの例として、銀行員の場合は数学が用いられる文脈についての表示がない傾向にあるのに対し、パイロットや看護婦の場合は特定の活動を志向している傾向にあった。3つの職業のテキストにおける数学の利用の例は、表として載せられている (p. 24)。それらは大きくは2つに分けられ、1つは特別のアルゴリズムを用いて特定の問題に対する解を見出すことであり、もう1つは測定や記録、計算によるルーチンなデータ収集とその表現であった。

 エスノグラフィー的観察から見出されたこととして、ルーチンな出来事のかなりの部分が、関数関係によるシミュレーションを行い、要求される未知量を計算することを含んでいたが、その際に、目に見える数学による標準的な手続きよりも、個人的なアプローチが採られる傾向にあると述べられている。パイロットが機体に対する風の横風成分を求めるやり方が詳しく報告されているが、三角関数を直接用いるのではなく、特別な図 (quadrant diagram) を読みとるやり方や、腕時計の表示板を利用した求め方が採られていた。三角関数がよくできるパイロットでも、こうしたやり方に依拠していた。Noss氏らは、着陸するかどうかの判断においては、不必要な正確さよりも、素早く効率的に求められる大雑把なやり方 (rules of thumb) の方が有効なのだとしている。またパイロットの計算においてはコックピットの中にいるという感覚 (feel) が重要であり、判断や見積もりが成功的になされるのはまさにこのポジションからであり、これが計算を有意味なものにしているのである。

 続く節では、トラブルが起きたときの様子が論じられている。ルーチンな活動では、どのようにしているのかを実践者が言葉にできないことも多いが、トラブルになったときの意思決定においては、自分のやり方やモデルを正当化する必要が出てくるので、(当人が意識しているかは別として)調査者には実践者が基にしているモデルが多少なりとも見えてくる可能性がある。Noss氏らの調査では、そうした意思決定では一見数学とは無関係な専門的判断が用いられているように見えるが、よく調べてみると数学的な要素(ただし目に見える数学とは限らない)関わっていることが見出されている。トラブルの様子については、看護婦のことが事例として取りあげられている。血圧については年齢や性別ごとの分布から統計的に推定することが基本となるが、患者の一時的な状態を含め多くの要因が関わるので、母集団モデルはガイドラインに過ぎず、他の様々な種類の知識を考慮して、血圧が正常かどうかの判断を下すことになる。彼らはこうした知識がどのようなもので、それらが母集団モデルとどのように関わっているかに疑問をもち、ある子どもの血圧が正常かどうかについて看護婦が2名の医師と相談するエピソードを取りあげている。

 このエピソードを考察する中で、Noss氏らは、医師が看護婦に説明する際に母集団の中でのパーセンタイルなどの言い方を用いているのに対し、看護婦の方がこうした言葉遣いをするのを観察することはなく、母集団モデルを用いているかは明らかではなかったとしている。そして、彼女らが正常ということについての別の捉え方をしていると述べている。つまり、看護婦の場合、特定の患者のある期間にわたる血圧測定を通してベースラインが想定され、そこからのずれにより正常かどうかの判断がなされていた。同様の傾向は、インタビューにおいても見られたが、看護婦の場合、母集団よりも個人というものに注意が向けられていた。30歳男性の血圧の平均ではなく、「この」30歳男性の血圧の平均が大事なのであり、各患者のユニークな生理学的プロフィールを考慮に入れて判断をしているのである。教授実験においても、看護婦は、傾向やパタンよりも、説明できない変化に目を向けがちであったが、それは、そうした変化やそれが説明できるかということが、医者を呼んで処置を相談するというアクションの契機となるからだと、Noss氏らは述べている。

 最後の第4節では、状況的抽象ということの意味が、彼らの調査の事例との関わりで述べられているように思われる。1つは、実践者による方法は早さと効率性 (efficiency) を満たすものであるが、このときの「効率性」ということが、数学での考え方とは異なる、という点がある。すなわち、数学であれば、同じやり方で様々な課題が解決できるという一般性を持つことが効率的とも言えるが、実践においてはそうとはならず、そのために、あるやり方が一般的な数学の特別な場合と解釈されたり、あるやり方が別の課題へと変形されたり、といったことがあまり生じない。一方で、よく見ればそこには数学に当たるものがあり、数学的に記述することも可能なのである。もう1つの点として、実践者のやり方は、場面の特徴と結びついていることがある。Noss氏らは、実践者のやり方に見られる量、空間、時間などの認識は、学校数学から期待されるものと根本的に違う可能性があるともしている。実践者の認識は、彼らの実践の特殊性と緊密に結びついており、しかも直観的レベルに留まることも多い。架空であっても類似の状況を提示した場合には、実践者は自分たちのやり方を用いることができ、その意味では全くの状況的ではないのであるが、状況の特徴を変える(例えば飛行機を船に変える)と、解決ができなくなってしまう。そうした特徴が利用できない場合には、専門的知識の断片や、うろ覚えな学校数学を成功的ではないやり方で適用することになる。

 以上を踏まえて、Noss氏らは調査からのメッセージを以下のようにまとめている;「実践者は仕事において数学を確かに利用している。しかし、彼らが利用しているものや利用している仕方は、一般的な数学的方法の考察から予想されるものではない。さらに、やり方は、活動の本性(それがルーチンなものであろうとトラブル時のものであろうと)と入手可能なリソースに依存している」(p. 33)。

 Noss氏らは、仕事場での数学と数学自体との関係を分類するには、3つの方法があるとしている。

  1. 数学とは方法や言葉遣いは違うが、実践者は、同じ対象や関係を扱っているとする
  2. 実践者が認める対象や関係、あるいは彼らが活動に対して捉えるモデルは、標準的な数学におけるものとは同じではない
  3. 仕事場の数学の一般性は、特定の、よく規定された環境に制限されており、そこでならうまく機能する
彼らは、3つの可能性を意識し、実践者が仕事場において発達させる状況的抽象に注意を向ける必要性を指摘し、論を閉じている。

 Noss氏らの状況的抽象という考えに関わることでもあろうが、量、測定などに関わる意思決定をすれば、数学的な要素があると言えるのか、あるいは「数学的」と言えるためには他の条件があるのか、紙幅の都合からか事例があまり多くないこともあり、このあたりが読んでいてよくわからない部分でもあった。しかし、いろいろな仕事について、実際の観察やインタビューをしながら、それらの仕事と数学との関わりを詳細に調べようとする研究は興味深いものと感じた。我が国においても、そうした仕事と数学との関わり、あるいは日常での意思決定と数学との関わりなどについて、エスノグラフィー的に調査を行うことは、数学教育の目標を考える上でも大切なことではないだろうか。


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