helping in groups

Productive Helping in Cooperative Groups

by N. M. Webb, S. H. Farivar, & A. M. Mastergeorge

(Theory Into Practice, 41, (1), 13-20, 2002年)

 この論文では小集団学習における子どもどうしの支援、特に学習内容についての説明のやりとりのメカニズムに焦点が当てられている。その記述に当たって、7年生での小数、分数、パーセントの学習における小集団の記録を分析したWebb氏のグループの論文から、事例が引かれている。

 理論的に考えると、問題の解き方についての詳しい記述といった精緻化された支援 (elaborated help) をすることが、支援を与える側にも受ける側にもメリットがあると考えられる。実際、これまでの研究では、こうした支援を与えることが子どもの達成度にプラスの効果を持つことが見いだされている。しかし、こうした支援を受けることがプラスの効果を持つかどうかについては、結果が一貫しないことから、支援が効果を持つにはほかの条件にも目を向ける必要があると、Webb氏らは考えている。

 こうした条件の第一として、支援が受ける側のニーズに合っていること、タイムリーであること、正確であること、受ける側の理解の不適切さや不十分さを訂正できる程度に精緻化されていること、などの支援の条件を挙げている。第二としては、受け手が支援を受けた後でどのような反応をしたかに着目している。説明を理解する、説明を用いて自分で問題を解いてみる、説明を適用しようと試みて練習する機会を持つ、などが挙げられている。問題の解き方を自分でやり直してみたり説明した生徒は、事後のテストで問題を解ける可能性が高かったと述べられている。さらにWebb氏らは、支援の質と反応の質の関連にも触れている。質の高い支援を受けた生徒は、他からの働きかけがなくても、質の高い反応を自分からする可能性が高く、その結果事後テストの成績が伸びるとされている。

 質の高い支援を受け、また質の高い反応をするためには、支援を与える側はもちろん、支援を受ける側にもそれなりの責任があるとし、Webb氏らは説明がなされる段階とその支援を適用する段階に分けて、支援を受ける側と与える側の責任について論じている。

 説明がなされる段階での受け手の様子は、Webb氏らのグループの研究によるとかなり多様であったとされる。そして、答えだけでなく、自分の理解できる説明を引き出すまでねばり強く支援を求め続けた生徒は数が少ないと報告されている。また途中で質問をする際に、具体的な質問(どうして29になるの?)や具体的に誤りを示すことは、一般的な質問(どうやったの?)や単にわからないと言うよりも、質の高い支援を引き出すことになる。これらは仲間に対してどのような支援が必要かを知らせることになるからだと、Webb氏らは論じている。また、支援を与える人を邪魔したり攻撃したりして、疎んじないよう注意することも、受け手の責任とされている。

 支援を与える側にはまず、精緻化された支援を与えようという気持ちを持つことが求められるが、これは共同作業を支えるグループの規範に対するとらえ方に依存するとWebb氏らは指摘する。共同で作業することを大切に思っていたり、説明や理解を大切に思っているグループでは、質の高い支援が与えられる可能性が高い。また精緻化された説明を提供できるためには、内容をよく把握し、説明と詳しくない支援との違いを理解し、説明を明確に表現できる能力が求められる。彼女らが例としてあげる文章題で言えば、単に計算の仕方を示すのではなく、各数値が何を意味するのか、どうしてそういう計算をするのかを言葉で説明することが求められるとされている。Webb氏らの研究によると、説明は回数を重ねると徐々に質が落ちてくるそうである。相手の再度の要求にも支援の質を下げずに提供し続けることも、支援者の責任なのであろう。最後に、相手の理解状態をモニターすることも責任として触れられている。

 受けた支援を適用する際の受け手の責任の項でも、受け手が支援の内容を理解することを重視していることが述べられている。理解を重視しない場合には式や答えを書き写すだけになりがちである。また支援者の責任としては、相手が自力で問題を解く機会を提供することがある。多くの場合には、助けなしに問題を解くことが許されなかったと、Webb氏らは指摘している。

 最後にWebb氏らは教師の責任についてまとめている。第一に、グループでの作業に対する肯定的な規範を確立することを挙げている。精緻化された説明や理解、共同作業を重視するという期待をはっきりさせていくことが必要となる。第二に、理解を促すような仕方で課題を構造化する必要を述べている。手続きの背後にある考え方を説明するよう求めるなど、理解をグループでの作業の目標とすることは大切とされる。第三に、教師が好ましい行動のモデルを示すことがある。数値の誤りを正すだけでなく、誤りの背後にある考え方に触れるような姿を見せていく必要がある。第四に、やりとりされている説明のタイプを含め、グループの作業を積極的にモニターしていくことを挙げている。

 論文は、生徒も教師も自分の責任を自覚すること、そしてその責任を遂行しやすいように活動をデザインすることが、支援が生産的になるためのステップだと述べて、結ばれている。

   なおここでは支援の受け手という言い方をしたが、原文ではhelp-seeker、つまり支援の探求者という能動的な言い方になっている点にも注意をする必要があろう。双方が能動的に関わるところにこそ、本当に支援が成り立つということなのであろう。

 相手に説明することが自分の考えを整理し深めるのに役立つこと、また友達からの説明が教師の説明よりもともすると理解しやすいことは、我が国でもよく指摘されることである。しかしWebb氏らは、長年の調査から、必ずしも効果の見えない生徒のやりとりの多いことを認め、その上で、当事者双方が責任を果たすかどうかに支援の質の違いを求めており、興味深い。相手に説明することは、単に説明を与えるだけでなく、相手の理解状態や学習の機会の確保に責任を持つことであり、他方で支援を求める方も単なる受け身の存在ではなく、礼儀を重んじながらも、理解できるまで相手から説明を引き出そうとする能動的な存在だということであろう。こうした責任をどう自覚させるかについては、この短い論考だけからではわからないが、当事者双方に責任の遂行を求めるという考えは、子どもたちどうしのやりとりのみならず、子どもと私たち教師のやりとりを考える際にも、重要な視点を提供してくれているように思う。


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