How Students Think: The Role of Representation

by R. B. Davis & C. A. Maher
(In L. D. English (Ed.), Mathematical reasoning: Analogies, metaphors, and images. Mahwah, NJ: Lawrence Erlbaum Associates (pp. 93-115). 1997年)


 本稿のタイトルは「生徒はどのように考えるか」であるが、単に短期的な問題解決の場での思考というよりは、課題を解決しながら数学を学習していくという状況を扱っている。ここでの "representation" は、心的な表象と外的な表現の双方をその場に応じて指しているので、ここでは表象/表現として訳しておくことにする。本稿は表象/表現についての議論ではあるが、その根底に「構成主義」の基本を内包していると考えられる。

 本稿で大切にされていることの一つは、うまい表象/表現は、「それがなければ『新しいもの』とラベル付けされるようなアイデアについて、考えることを可能にしてくれる」(p. 114) ということである。例えば日常の経験については強力な表象/表現を我々は持っているので、そうした表象/表現は数学のアイデアを表わす際に、考えるためのツールを提供してくれる。彼らは幼稚園児が奇数+奇数=偶数といった命題をみずから「証明」するという実践を紹介しているが、このとき利用されるのは、「お友達とのペア」という表象/表現である。ペアのいない人がいるグループどうしが一緒になれば、ペアのいない人どうしでペアができ、皆がペアのある状態 (偶数) になるわけである。一方で表象/表現は日常的なものにかぎられるわけではない。2乗して2になる数を求める授業では、ある生徒は書かれた筆算の様子を念頭においている。この表象/表現をもとに考えると、末尾がどんな数になっても2乗したときに0にはならないから、ちょうど2になる数はないという考えである。つまり以前の筆算の様子が考えるよりどころとなる表象/表現となっているのである。

 注意しなければならないのは、長期的には数学的な表記法やフォーマルな定義などへの移行が起こることを、彼らが視野に入れていることである。大切なのは、そうしたものが十分に発達しない状態、特に新しいアイデアに最初に触れる場合に、「考えるためのツール (tools to think with)」を生徒に対して保証するという点であろう。

 これを保証するには、生徒の持っている表象/表現に注意を払う必要がある。つまり、「生徒の経験は大人の経験と異なるので、生徒の使うことのできる表象/表現も異なっている」(p. 98)。例えば、分数の導入でキズネール棒を使った場合、一本の棒を「5分の2」と呼ぶことに抵抗をおぼえる子が出てくる。これは量についての豊かな経験を持つ大人は、今の場面を量についてのこととして解釈できるが、子どもはむしろ数えることとして解釈してしまうからである。

 また後の学習を考えたときに、適当な表象/表現を意図的に授業の中で作り出すよう計画することも考えられる。彼らはこうした表象/表現を、「同化のための範例 (assimilation paradigms)」と呼んでいる。例えば、負の数の導入で、おはじきのたくさん入った大きな袋と机の上に置かれたおはじきの山を利用している。机の上から5つを取り袋の中に入れ、袋の中のおはじきがどれくらい増えたかを問い、さらに袋から6つを取り出したときに、袋の中のおはじきがどれくらい増えたかを問う、という形で、5−6=−1を導入している。(この袋の中のおはじきにしても、日本のようや数直線を用いたものにしても、加減や負の数×正の数のときは考えるツールとして働いたとしても、×負の数になったときに、ツールとなるのかは難しい問題のように思う。)

 以上の話は、実は彼らにとっての「構成主義」の本質になっている。「構成主義」の中心的アイデアは彼らによると、「生徒が自分の頭の中で構築しつつある心的表象に教師が関心を払い、生徒の表象をできるだけ正確に認識しようと教師は努め、構築されつつある心的構造をより発達させたり修正したりするのに最も有用であろうような経験を正確に生徒に提供しようと教師が努める」(p. 94) ことなのである。生徒の「個人的な心的表象」の形成に対して、教師はそれにできるだけ注意し、最も適当と思われる経験を提供するという、限られた仕方でしか貢献できない、という認識が「構成主義」の本来のアイデアであったということであろう。

 本稿では多くの授業からの例が挙げられているが、それらは彼らのグループにより実践された授業のVTR記録などによるものであり、それらのビデオの一部は入手可能のようである。また途中には「構成主義からの研究方法論への示唆」という一節も含まれている。著者の一人 Davis 氏は1997年末に逝去されたが、そうしたことを念頭において読んだせいか、こうした内容の全てが、Davis 氏がこれまでの研究生活の中で得てきた、数学教育および研究に対する知恵を淡々と語っているもののように感じられた。


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