ヴァンダービルト雑感

(1998年4月3日)


   筆者(布川)は現在米国テネシー州の州都ナッシュビルにあるヴァンタービルト大学数学教室にお邪魔している。ヴァンタービルト大学と言えば、やはり Paul Cobb氏のいる大学ということになろう。大学に来てみて来てみてその広さに驚いたが、と同時に、近代的な建物とともに歴史のありそうな煉瓦造りの建物も並んでおり、芝生の向こうに見えるそうした建物を見ていると、夢のような感じすら受ける。おまけにこの芝生のところには、多くのリスが遊んでいる。なおナッシュビルには30以上の高等教育機関があるが、ヴァンダービルト大は私立ということもあり、学費はかなり高いようである。例えばテネシー州立大が同州出身者が年1000ドル、州外出身者が3000ドル程度なのに対し、ヴァンダービルト大は3万前後もするらしい。
 ヴァンダービルト大学は21番通りを挟んで、大学病院などのあるメインキャンパスと、新しいピィーボディ・キャンパスの二つに分かれている。数学教育教室は、後者の南端にある Social & Religious という建物の中にある。建物の概観は煉瓦造りの歴史的なものなのであるが、中に入ると近代的で明るい作りである。数学教育教室のある部分は4階建てだが、中央部が1階から4階まで吹き抜けになっている。一方の壁は以前の建物のものと思われる煉瓦の壁が4階までそびえており、他の3つの面に階段、廊下がある。廊下の向こうがそれぞれのオフィスであるが、オフィスは廊下に面した壁がガラス張りであり、一層明るい雰囲気である。吹き抜けになった1階部分にはいくつかのテーブルやソファがあり、院生と思われる人たちが勉強したり、議論したりしている。
 数学教育教室は3階にあり、教官の部屋やゼミ室などのある部分と、院生のいる部分とが隣接している。院生室はオフィス用品のCMに出てくるような、クネクネトした長い机がいくつかあり、6個所ほどにパーティションで区切られている。院生は各自のスペースを持ち、自分のコンピュータや資料などを置いて使っている。コンピュータは全員がマッキントッシュであり、これがネットでつながれている。プリンタなどもネット上で共有して使っているようである。筆者のいる部屋もイーサーネットのケーブルが来ており、ここに自分のコンピュータを接続させてもらうことで、メールの読み書きをしたり、このようにホームページへの書き込みができているわけである。なおこのネットワークは教育関係の建物全体にわたるらしく、私のコンピュータでプリントアウトできないかと院生の方にお願いをしたら、学習テクノロジーセンターが来てくれ、そのセンターのサーバを経由して数学教室のプリンタに出力されるように設定してくださった。
 教官や院生の紹介は、数学教育教室のページに譲るが、皆さん親切であり、筆者がこの10日間を無事に過ごせたのも、院生の方々からのお世話によるものである。
 この間、別稿で述べた統計教育のプロジェクトの他に、 Patrick Thompson氏による学部3年生を中心とした Teaching Mathematics in Elementary School という授業と、博士課程の院生向けの Doctor Seminar: Multiplicative Structures という授業に1回ずつ出ることができた。英語力不足で授業の細かい内容には触れることはできないが、そこで感じた雰囲気だけでもこの稿でお伝えしたい。
 前者は教師を目指す大学生のための講義であり、50分のものが週に2回ある。学生はあらかじめ読むべき論文を綴じた冊子のようなものをもらっているようであるが、それは300ページはあろうかという厚いもので (実際は1ページに元論文の2ページが印刷されている個所もある)、これを授業で扱うスケジュールもあらかじめほぼ決まっている。論文は Arithmetic Teacher, NCTM の年報などのものが多いようでもあるが、Stigler らが1992の ICME で配布した日米比較の論文なども入っている。もっとも講義の中で論文の内容に順に解説することはなく、それを読んだという前提で、ポイントになる部分を教官が問題を投げかけ、皆で議論をしながら進み、適当なところで教官が最低限のポイントだけを押さえて終わるといった感じであった。
 学生は20名ほどで全員が女性であったが、ほとんどがミネラルウォーターやコーラを持っていてそれを飲みながら講義を聴いている。講義中に「プシュ」という缶を開ける音がしたときはさすがに驚いてしまった。しかし一方で、学生が能動的に議論に参加しようとする姿勢は、日本では考えられないものがある。4月1日の講義は、Thompson氏が NCTM の年会に行かれており、ティーチング・アシスタントの院生2名が代わりを勤めていたが、20名ほどの参加者全員が、50分の間に発言していた。しかも他の学生が話している最中からもう次の学生が手を挙げていたり、他の学生の発言にすぐに他の学生が反応したりと、かなり自主的に議論が進んでいくのである。日本での自分の講義と比較したときに、こうした活発な議論の様子だけでも、反省すべき点があるように感じた。
 3月30日の講義では、前半は measurement というアイデアについてThompson氏が説明していた。「24のなかに 1/27 がいくつあるか」という問題を取り上げ、「24の中の 1/27 の個数が、27に、24の中の1の個数をかけたものになる」というのが measurement のアイデアだと説明されていた。後半では長方形の面積を小さい長方形で数えるという、Simonの論文と類似の授業であり、平方インチというのが何なのか、また結局たて×横で何を求めているのかということの理解に重点があったように思われる。
 4月1日では、NCTM の1994年報の中の Alba G. Thompson氏らによる "Calculational and Conceptual Orientation in Teaching Mathematics" という論文についての議論が中心であった(ちなみに AlbaさんはPatrickさんの奥様であり、1年半ほど前に亡くなられたそうである)。白熱した議論の後で、ティーチング・アシスタントの方は、次のようなTPを示されていた;「指導案での焦点/ 生徒にしてほしいことではなく、生徒に理解してもらいたいことに焦点を当てる。例.この授業は (授業1) 生徒が年齢に関した問題がとけるようになる、(授業2) 生徒が量の間にある関係を理解する、ようにデザインされている」。教師が数学をすることに対してどのようなイメージを持つかにより、授業のデザインや授業中の生徒への対応が変わってくる、という点がポイントであろう。講義では上のTPに見られるように、何を生徒に学んでもらうのか、に議論の焦点があったように思うが、実際の論文では事例となっているいずれの授業でも「どうしてそう計算したの」という点は教師は尋ねていながら、もう少し微妙な点で生徒への対応の違いがあるように見え、このあたりがどの程度言及されていたのかは不明である。また論文では、場面の理解に関わって、その理解を表現したり反省する手段としての記号法ということも触れられているのだが、学部生向けの講義ということもあり、こうした点までは扱われてないようであった。
 院生のセミナーでは、Harel氏らによる "Invariance of Ratio: The Case of Children's Anticipatory Scheme for Constancy of Taste" (JRME, v25, pp. 324-45, 1994) が扱われ、やはり前もって論文を読み、そのポイントになる点を皆で議論するという形態であった。この論文は同じパックからとったオレンジジュースに対して、量の多いほうがより甘いと子どもが答える傾向にあるという調査を中心としている。Thompson氏は、濃度の概念を当たり前にしている成人(ここでは院生)に対し、それを再考する機会を与えるような質問をして、セミナーを進めていた(これについても細かい議論の内容までは残念ながらわからなかった)。
 これらの講義やセミナーについて共通しているのは理解やコネクションの重視ということと、乗法的推論の重視ということである。後者については Cobb氏らのプロジェクトでも統計における乗法的推論が問題になっていたが、こちらに来て非常に多く耳にする。4月6日のセミナーの課題として、Thompson氏による乗法的推論についてのドラフト原稿が配布されたので、それを読んだ後に、乗法的推論について報告できるようならしてみたい。


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