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授業の見方

 我々の授業を見た方が驚かれるのは、ごく普通の授業であることです。際だったものはありません。しかし、よく見るといくつかの特徴があります。この授業ビデオから見取って欲しいことを列記します。

1)子どもが生き生きしているところを見て欲しいと思います。学び合いのクラスでの子どもの姿を見れば、いわゆる一斉授業で「いきいき」していたというのは本当のいきいきした姿ではなく、クラスのごく一部の子が劇を演じている姿であることに気づかれると思います。

2)授業では教師が子どもたちに語りかける場面、また、教師が仕切って子どもたちに語らせる場面があります。どちらにしても教師主導です。我々の授業にもあり、その姿は普通の授業と同じです。また、子どもたちが自主的に活動している場面があり、我々の授業にもあり、その姿は普通の授業と同じです。従って、個々の場面を見たとき、その差は全くありません。しかし、決定的に違うのは、その比率です。多くの授業では、教師が主導する部分が圧倒的大多数です。教科によっては、それは90%を越える場合が少なくありません。一方、我々の授業の場合は、教師主導の場面が相対的に少なく、子どもの自主的な活動の部分が相対的に多いという特徴があります。もちろん、授業者、教科、学校段階によってその比率は様々ですが、子どもの自主的な活動の部分が相対的に多いという特徴は一貫しています。

3)教師が主導する場面が少ないならば、そこで語れることは限られます。普通の授業の場合、「どのような方法でやりなさい」のような方法の指定や、授業をスモールステップに分解して、そのスモールステップでの目標の指定が大部分を占めます。一方、我々はそのような部分を殆ど語りません。我々が教師主導でかたるのは、「なぜ、それを学ぶのか」と「何をしなければならないか」です。それをオブラードに包んだ言い回しをせず、直裁にかたります。是非、授業中の教師の語りを、1時間授業の目標を語っているか、方法を語っているかで見て下さい。さらに言えば、長い単元で目標を与えれば、毎時間の目標さえも言う必要はなくなります。

4)子どもたちが自主的に活動している時、教師の動きを見て欲しいと思います。多くの教師は気になる子どもの脇に付き、個人指導をしています。従って、特定の子どもの脇に、腰を下ろして一生懸命に話している様子が見えるはずです。しかし、我々の場合は、個人指導をしません。というより、気になる子を含めて、教えません。その代わりに、ニコニコしながら褒めています。さらに遠くから子ども集団の動きを見まもっています。従って、一定箇所にべったりと言うことはありませんし、ニコニコしている場面が多いと思います。もしくは、個々の子どもには繋がらず、距離を持っている姿が多いはずです。

 以上の姿が生じるのは書籍に書いた授業者、教科、学校段階に基づくものです。授業の姿を見ながら、書籍で確認して欲しいと思います。さらに言えば、書籍で紹介している学術論文を参照して頂ければ、子どもたちがどのように変容したかを示す、膨大な質的・量的なデータを参照することが出来ます。


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